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自分を型に当てはめることができると、どこかホッとする(HSPについて)

今の時代、「自由」とか「多様性」とか、そういったものが重視されています。「私は私」「みんな違ってみんないい」を貫き通すことが良い、みたいな価値観が広がっているように感じています。

一方で、「私らしさ」を型に当てはめることができないと、私は不安に感じてしまいます。

例えば、カフェにお金を落としまくっているとして、「自分はどうしてこんなに無駄遣いをしてばっかりの人なんだろう、、、」と落ち込んでいる時に、「カフェ巡り」っていうラベルがあると、趣味にできるし、仲間の存在に気づけるし、「ああ、カフェって巡ってもいいものなのね」っていう認識を持つことができる。

この現象と少し似ているなあと思うのが、病名の診断。

体がどこか不調になると、恐怖に陥ることがある。
でも、「あなたの病気はこれです」って言われたら「そうか、だから不調だったのか。こういうふうに対処すればいいのか」と安心できる。(不治の病、もう手遅れだった、癌だった、みたいな話はまた別だけど)
そういえば、どこかのSNSでコメント欄をみていて、「自分が発達障害だとわかって安心した」というコメントが多くあることに驚いたことがあります。自分が仕事できないことに辛さを感じていたけれど、発達障害ということが分かって、正しく自分と向き合えるようになった、そんな声があったんです。

型にはまらない自由(私は私)を求めているようで、やはり型は必要なのかもしれないな、とそんなことを考えるようになりました。(他人から型に当てはめられるのが嫌なだけなのかもしれない)

(1)HSPという言葉を知って、安心した

今日、なんで型の話を書いたのかというと、「HSP」という型を知ってから、私の心が軽くなったと感じているからです。

今までは、小心者で、傷つきやすくて、人の顔色をすぐ伺ってしまい、寝る前は一人反省会を開いて寝付けなくなるし、満員電車で気分が悪くなって途中下車してしまう(他にもたくさんあるけど割愛)、、、そんな自分が嫌いでした。

でも、HSPというものの存在を知って、「そうか、自分ってHSPだからそう感じてしまうのはしょうがないのか」とどこか安心することができました。

そして、HSPにはいい面があることも知りました。

例えば、感情移入できるとか、共感するのが上手とか。

「ああ、確かにそういう自分の良いところ、あるじゃん」と客観的に自分をみることができるようになったのです。そして、自分の嫌いだった自分の弱点は、自分の強みにも繋がっていると気づくことができました。

そこから、「自分の強みを生かせるように、生きていきたい」と思えるようになりました。

(2)「HSPは嘘だ」に対して思うこと

「私はHSPです」と書いている人に、「言い訳にするな」「嘘だ」という言葉をかける人もいます。「そういうブームに乗っかるな」みたいなコメントもSNSで見かけたことがあります。

でも、それって違うよな、と。私は、HSPという型は、その人の特徴をわかりやすく言い表すためのツールでしかないと思っています。それに嘘だをつくなと言うことはできないはずです。

それに、「そういうブーム」が起こっているのではなくて、「今まで気づけなかった自分に気づける人が増えた」だけであり、「型があるから、そういう人の存在が見えやすくなった」だけなんじゃないかなぁと、私は思います。


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