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「正欲」読書感想文

すっきりしない。しかし面白い。五感を奪われるような感覚に陥る。今まで自分が信じてきたものすべてを奪い取られる。まるで無理やり早起きをした日のように自分というものを背中からべりべりと剥ぎ取られる。そんな感覚にさせてくれる小説が私は大好きだ。
今回読んだのは朝井リョウ作『正欲』。性欲ではない。正しい欲だ。この作品では特殊性癖について取り扱っている。
私は異性愛者だ。性癖も特筆すべてものはなく、あえて言うならば男の人同士の恋愛ものは好きだったりする。ごく一般の女子大生だ。……それは果たして一般的なのだろうか?
『正欲』では、容疑者、容疑者の妻や同級生、検事等それぞれの視点からひとつの事件に至るまでの出来事が語られ、おじさん同士の恋愛もののドラマや不登校小学生YouTuber等社会で話題となっているものを絡め取りながら物語が進んでいく。主なテーマは特殊性癖を持つ者たちの生きづらさ。
そして私は「性欲」というものの根深さに気付いた。
例えば、多くの人は好きな異性についての話をした事があるだろう。彼氏にしたい芸能人や好きな異性の服装、髪型、キュンとくる言動や彼氏との性行為の話。そのどれもが「異性を好きである」ということを前提として話が進んでいることに気がつく。近年LGBTQという言葉の広がりによりその気付きは多くの人が得たといえるだろう。そのために「彼氏いる?」ではなく「恋人いる?」という聞き方をするようになったのは私だけではないはずだ。ジェンダー平等、LGBTQに優しい社会。そんな謳い文句が世の中を染め上げてから数年経った。でも、それもやはり「大切な人がいる」という前提の話である。

話を変えよう。私は常々『差別や偏見のない世の中』という言葉に疑問を抱いている。差別や偏見のない世の中なんて無いんじゃないのか、むしろその差別や偏見があるからこそ文化が守られているという側面があるのではないか。法で禁止されているものを好む人は差別されたり、偏見の目を受けたりするが、それって人の好みを否定し差別していることにはならないのか。「それ、変だよ。」の積み重ねで社会が出来ているんじゃないのか。

少々本の内容から逸れてしまったかもしれない。人間の三大欲求の一つである性欲は食欲や睡眠欲よりも根深いところに位置していて、それが人と違うだけで大いに生きづらくなるということは分かっていたはずだった。しかし、それ以上に性欲は恋愛、結婚、出産、育児などライブイベントと呼ばれるものに向いていて、健康なはずなのに生きづらいということに繋がっているのだ。私は異性愛者である。これを公に言えるのはこの世界が異性愛者を前提として成り立っているからだ。昨今それを正そうという、異性愛者だけでなく、他の人も生きやすい社会にしようという動きがある。でも、そんなこと出来るのか? どんなに時代が進んでも一人も生きにくい人が居ない社会なんて難しいのではないか? 努力は行うべきだと思うし世の中は良い方向に向かうべきだとも思う。しかし、それが本当に世の中を良くするのか考えていくべきだとも思う。

睡眠欲は裏切らない。食欲は裏切らない。性欲が人と違う方向に向いている人にとってはそうなのかもしれない。でも、睡眠障害の人にとって睡眠欲は裏切るものだし、摂食障害の人にとって食欲は裏切るものである。人間の感覚に正しさも、真実も、ない。だとしたら信じられるのは今の自分の感覚だけなのかもしれない。

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