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理想的な飼い主(弱気の)
たとえば、験を担いでいるとき。お店でやけに端っこの席をとっているとき。妙なタイミングで模様替えをし始めたとき。「あ、俺はいま弱くなってるのだな」と気づく。
何かにすがりたかったり、とにかくこれ以上心を乱したくなかったり、どうにかして気分転換をしたかったりと理由はさまざまなのだろうが、とにかくそうした弱気な心がもっている癖のようなものに気づくことが、よくある。
一方で、弱っている心を回復させる伝手(つて)は、いまだにない。
スーパーマリオのキノコのように、チョッパーのランブルボウルのように、一気に気持ちが回復する手がかりがあればいいのに。結局、ダラダラと引きずったまま毎日の暮らしやいつもの人たちとの会話の中でなんとなくうやむやになっていき、気づけば前を向いている。
4000年の歴史が生み出す、心のケア
昔、うつになった後輩と食事をしたことがある。彼は漢方を飲んでいて、その日も朝に飲んできたと言っていた。4000年の歴史が生みだす、心のケア。なるほど説得力がある。そういうもんなんのかと納得しかけたころに、彼はふと「まあでも、こうやって話してるのが一番気が楽ですけどね」と言ってのけた。
結局、抱えることが弱気を育てるのかもしれない。ということは、わりと自分のなかに悩みを抱えがちな自分は、弱気にとってはそこそこ理想的な飼い主なのだろうか。望まないペット。でもエサは豊富にある。
打ち明ける相手は誰でもいいのだろうか。あるいはAIでも。それはそれで、新しい悩みが出てきそうでもある。店の端っこでチャットボット相手に模様替えの相談をしている姿って、明らかに弱ってそうな気がしますよね。
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