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日記の言葉が変化していく
思いついた時、日記を書くようにしている。定期的ではない。ふと書きたくなった時に、書きたくなったことを書くだけだ。3日つづけて書くこともあれば、1年以上書かないこともある。内容も向きあい方も、かなりダラダラしている。
ダラダラとしている分、つづきはする。10代に始めて、20年以上が経ったいまもなおつづいている。
10代の自意識過剰な文面は、いま読み返すとクラクラする。どんな小説よりも心を揺さぶる。恐ろしい意味で。20代も後半に差しかかると、客観的に書こうと四苦八苦している。30代になると少しずつ本音が、しかし器用にソフィスティケートされた文面で書かれだす。
年齢を経て、言葉が内向きになっていく
読んでいて気づくのは、年齢を経るほどに、文面が内省的になっていることだ。他者を意識した宣言のような日記を書く10代を経て、他者と自分とをフェアに扱おうとする20代を過ぎ、30代以降は自分自身にのみ語りかけるような言葉が増えていく。
日記だから、だろうか。どうせ誰にも見られないということを、20年を経て学んだからかもしれない。あるいは、本音を語りたい相手が自分だけになったからかも。
ということを、noteに書く。するとこれは、誰に向けた言葉なのだろうか。
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