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最小単位の舞台芸術の豊かさ。usaginingen in SALT舞台裏から。

昨晩、アーティスト『usaginingenウサギニンゲン』がSALTにやってきて、公演をしてくれた。コロナが少しだけ緩和されている今しかできない、曇天の雲の中から差し込む、晴れ間の光のような素晴らしい公演だった。

今回ウサギニンゲンについての紹介は省く。是非素晴らしいWEBサイトがあるからそちらを是非チェックして見てほしい。

そもそも、彼らと私はつながりはなく、日田の豊かな映画館リベルテの原さんの紹介で、SALTで公演を実現してみたらの一言からこの公演は実現した。ベルリン発、独特の名前と、独特の楽器。映像と音を組み合わせたライブパフォーマンス。そのくらいの情報量しかキャッチできていなかったのと、公演までもそれほど時間がない。集客もかなり心配だったが、なぜかこれは絶対実現せねばと思ったのだった。約2週間で準備をして来たが無事に終わってほっとして、舞台となったSALTの4Fで力尽きて眠ってしまいこの文章を書いている。

3歳の子供をつれて北海道と沖縄の国際芸術祭をスタートとゴールに全国30か所近い公演を決めた夫婦アーティストの挑戦はどこから来たのか?

どんな人たちなんだろうとワクワクしながら、はじめましてのウサギニンゲンの夫婦と出会った昨日昼の12時。出会いで印象的だったのは、本当に無邪気なエネルギーを放つ3歳のお子さんを連れていたこと、独特の楽器をハイエースから降ろし終えた彼らは、穏やかな笑顔で挨拶してくれた。

準備をしながら、話を聞くとどうやら、今回のツアーは23か所目。北海道の国際芸術祭から沖縄の国際芸術祭までを起点と終点として北から南下してきたというのだ。まずは、そのことに凄みを覚えた。マネージャーもアシスタントも居ない彼らが、ちいさな子供を連れて・・集客もチラシの制作と現地への配布もすべてやってきたというのか。夫シンイチさんも、いやー正直やっちまったとおもっているよと笑顔を見せるけど、なぜそんな過酷な挑戦をしたのだろうか。

ベルリンでスタートした彼ら。その原体験には、ドイツの生活では日本にはない豊かさを感じたのだという。なんでもお金で買うのではない、自分の手で創り出す生活の豊かさがベルリンにはあったのだという。その後、ヨーロッパで公演を着実に重ね、実績とキャリアを創ってきた夫婦アーティスト。約4年前に瀬戸内海の豊島に移住し、お米づくりなどの農業のスキルも身につけながら劇場をつくり、少しずつ暮らしを創ってきた。人口500人程度の小さな島に、アーティストが移住するということは、すべてが順調であったわけではないだろう。それでも消防団に入ったり、地元に貢献しながら地域に溶け込んでいったようだ。

コロナで封じ込められた表現

そしてコロナが訪れた。瀬戸内国際芸術祭の効果もあり、劇場や島には世界各国から芸術観光の人々が訪れていたという。そんな順調な日々が一転、アーティストとしての表現ができない日々が続いた。公演がなくなり、島での暮らしは豊かだったが、『枯れていく』自分たちに、気づいたのだという。

コロナ時代が経過して1年半近くたち、北海道と沖縄の国際芸術祭での招致が決まった。それであれば、北海道を起点に、沖縄まで南下しながら、全国各地で自分たちの表現を届けよう。やるしかない。と夫のシンイチさんは思ったのだそうだ。妻エミさんも同意し、この長い長い、旅ははじまった。3歳の長男、海凪君を連れて。舞台装置を運ぶためのハイエースも勢いで買った。

途方もない挑戦だと思う。このことを決めて、すぐにオリンピック後の9月のコロナ拡大で、一気に決めていた劇場がキャンセルにもなったり。それでも折れずに全国を回りながら。紹介とあわせて公演先は、自分たちでリサーチしラブコールを送り、調整し、フライヤーを創り発送し、そして公演し演奏し。そして移動し。海凪君は生まれたころ、ヨーロッパ公演中は、エミさんがおんぶひもでおんぶしながら演奏してきたようだ。演奏を見ながら寝てくれて助かったという恵美さん。シンイチさんが奏でるドラムパーカッションに、エミさんのデジタルとアナログを組み合わせた映像表現は、確かに小さい頃にどこかで見た絵本のようなやさしさがある。きっと海凪君は、お母さんが絵本を読んでくれるような気持ちで公演に一緒に居たのかもしれない。

そういう姿を息子に見せたかったんだよねとシンイチさん。この夫婦はきっともともと突出した表現力とエネルギーを持っていたのだとおもうけど、きっと海凪君の存在がさらに、二人を強くしているのかもしれないなと思った。

コロナの前と後。お客さんの変化はあった?

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公演後のアフタートークで、聞いてみたかったのがこの質問だった。演奏する側の並々ならぬ覚悟。一方見る側は、どんな変化があったのかなとシンイチさんに聞いてみた。そこは、本当に変化したのだという。コロナの前は、チケットを買って表現を楽しみに来てくれているのは感じていたが、コロナによって、やっぱりお客さん自身がこういう場所に来るということ自体に、ある意味覚悟していて、ぐっと吸収しようとしているというか・・お客さん自身からも強いエネルギーを感じていたようだ。

実際今回のSALT公演も、短い集客期間ながら、来た人はやはり何かに挑戦している人が多かったように思う。フランスから日本に移住しようとしている人、コロナにもがきながらまちづくりを続けている人、人生を豊かにする住宅を生み出す建築家、日々デザインと真剣勝負で格闘するデザイナーなどなど・・きっと彼らの目にも、usaginingenの表現のすばらしさと共に、アーティストとして、そして親として探索する彼らの姿が、刺激となったに違いない。

最小単位の舞台芸術。『場』とは何かをあらためて感じさせらた。

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今回舞台として使われたSALTの4Fは『問と学びの間』として、日田の杉材をふんだんに使ったフラットで非常にシンプルなフロアである。これも日田での出会いから、日田の瀬戸口剛さんに作ってもらった場である。

ここに、ウサギニンゲンの独特な、2つの楽器が運び込まれた瞬間に、実はすでに世界観がガラッと変わって、ウサギニンゲン劇場になっていた。この場の変化というものに、今回プロデューサーとしては一番の学びがあった。そうかやはりこういうことかと。ハードはお金と時間をかければ、それはすごく良くなるんだけど、こうやって最小単位の舞台装置(でもこの最小は最強の装置もしくはコンテンツであることが必要だけど)だけで、エネルギーを持つ場は生み出すことができるのだ。

そして、最初舞台として考えていたステージを、シンイチさんは直感で、海を背景に演奏したい!!俺はこれが今日はやりたい!と子供のような笑顔で、舞台を創っていく。こうやって、まったく初めての場で、直感で、0から1を夫婦二人で作り上げるその様に、本当にこういうことが、ビジネスシーンでも一番必要なことなんだよなと。この価値を、そしてこの挑戦を、多くの人に知ってもらいたいなと、僕は思ったのだった。

最近SALTではワーケーションとか研修が増えてきてその様子を見ていると、やっぱり日本の労働というものは、本来創造という楽しみを含んだプロジェクトというものを、やっぱり労働に墜落させてしまっている。そろそろ、それは止めて、自ら選択し、自らのエネルギーをのせて、自分の仕事をつくったほうがいいよと思っていた矢先のこのイベントだっただけに。強くそう思ったのかもしれない。

場を通して豊かさを、即興で創っていきたい。

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SALTという社名に変えてから、これからどうしていくのか?
?どんなビジョンがあるのかという質問を良くもらう。自然の中に間借りさせてもらっているという感覚がより強くなってきている僕にとっては、今回の公演の学びからも、シンプルな状態を保ちながら、即興で次々に0から1を生み出して、そこに共感するエネルギーで、豊かな時間と学びの時間を提供していきたいと思う。

それではまた。


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