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人の魅力とマーケティング
コミュニケーションはそういう気楽さでやっていい
「恥」と「ストレス」
「恥のストレス」
創作は他人に近づく行為ではなく自分に成る行為ということか!
無為自然に生きる者が自我を取り戻す時
子どもの頃、無為自然を旨として生きていた。
なんとなく自分の存在以前に世界は完璧であり、自分の意思の発揮は完璧な世界の運行の妨げになるような気がしていた。
なるべく世界に干渉、影響しないように、息をひそめるように生きていた。
そんな自分が自我に返る時があった。
怒りに駆られ復讐の炎が燃え上がるとき。
激情がもたらす自由自在があっていい。
その感情は恥ずべきものではないということ。
息の仕方を
社会からの斥力を受け、生きてきたが
どうせ社会から浮いてしまうなら、その浮力を斥力として、自ら社会からの逸脱を目指す、みたいなのが人生のモチベーションとしてあったりした。
自分なりの積極思考。
しかしながら、それは壊れてしまった。
自分と社会の間に確かな距離があって斥力が発生していた、そういう想定だったのに、一地点たる社会が拡散して自分を「通り越して」しまった。
ひとまずの「正しいもの」としてのの社会があったはずなのに、自分には
明け渡さない魂と文体
言葉を表現するとき、自分ではない誰かを感じる人生。
自分の言葉に対する離人感。
常に、みんなと同じような言葉を使えているかどうか、「間違った言葉」を使っていないかと自分を圧するものがあった。
言葉に対する自分の不能感。
そんな生き方はもう終わりだ。
言葉自体は「間違っていてもいい」。
今ある言葉もいつかは過去の古語となる。
そんなものに拘る必要はない。
人の使う言葉が「正当な言葉」であった瞬間
人生は円軌道と捉えた方が楽だと思う
人生は円軌道。
始まりからスタートして始まりの地点で終わる。
1つの人生で1個の円というわけではなくて、一つ終わらせては繰り返していく感じ。
円ができてから、その中心に1試行の成果となるものが立ち上がってくる。円が完成しないかぎり、どんなに長く線を引いても、その成果は見えてこない。
その心は、とにかく「臨機応変」に。
人生がマラソンだったり、旅だったり、山登りだった言われることがあるけど、なんと
「人は幸せになるために生きている」:書いてみて気づくこと
「人は幸せになるために生きている」という言葉の違和感というか歯がゆさ。
小学生が言いたいことがあるのに、適切な語彙が分からず口ごもるような何か、を感じていた。
用は「嫌なことは我慢し続ける必要なない」というメッセージなのか。
どでかい主語からの同調圧力は受け手に自らの個人的な幸せについて想起させる効果がある、のかも。
このnote自体、この言葉に対する個人的な違和感を書こうかと思っていたけど、考
地獄=無限のストレージ
インプットとアウトプット。
知識の体系は「理解できる」けど、それを覚えてアウトプットするとなると途端にできなくなる。
インプットの段階でタグ付けするようなことも意識したけど、煩雑な作業にインプット自体したくなくなる悪循環。
そこでこんな考えが浮かんだ。
得た知識の置き所は、理路整然とはかけ離れたカオス、「地獄」なのだと。
字面で誤解してたけど、インプットとアウトプットは並立する概念じゃなかった。