「好きなようにやる」が難しい
アダルトチルドレン。
なんてひとことで表すのは、味気ないけれど。
「好きなようにやる」が難しいわたしは、その気があるんだろうなー、と思っている。
「相手が何を求めているのか」察する能力がわたしにあるのかは分からないけれど、古い記憶によると、幼稚園の時から「察しようとしていた」。
「好きなようにやる」を全くしてこなかったわけではないが、日常の意志が希薄な部分は、"思い込み"に支配されている。
ご飯を食べる。
お風呂に入る。
掃除をする。
お出かけをする。
仕事をする。
このような行為で、「わたしがどうしたいか」というより、「周りからどう求められるか」を追求してきた。
結果、わたしの時間は限りなく少なくなっていた。
能動的というより、受動的。
「自分がどうしたいか」より、「周りにどう求められているか」。
それを追求しすぎたあまり、心身の不調和――いわゆる、精神疾患?みたいなものに足を踏み込み、10年ほど経った。
わたしは悲観してはいない。
構造に、"ようやく"気づいたからだ。
本当に困っているから、本気で人生を考える。
構造を知った以上、暗い底からはもう上がるしかない。
それに、上がることだけが正だと、思ってない。
「あなたは何がしたいですか」
毎日のこの積み重ねが、こころとからだの柔軟さを生んでいる。
今日はその反応のせいか、非常に眠い。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?