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"しあわせ"を目指さないことにした

"しあわせ"

という言葉を見ると、ふわふわで捉えどころがない感覚がする。

でも、「"しあわせ"を目指そう」と誰かから教えられて、そう生きてきた。

雲に包まれるようにふわふわで、嫌なことがなにもない世界。

そんなの、ありえないのに。


「あなたの"しあわせ"ってなに?」

ときかれると、わたしは困ってしまう。

人生のほとんどの時間を、"しあわせ"に向けて使ってきたはずなのに、困ってしまうのだ。

ぼんやり生きてきたせいかもしれない。

でも、"しあわせ"のために犠牲にするものはびっくりするほど多くて、冷静に考えると、「おかしくない?」となる。

(「遊ばず勉強しなさい」「のんびりするな、走り続けろ」とか)

未来にあるかもしれない、ふんわりとした"しあわせ"のために、"今ここにいる、わたしの時間"を使い込む。

こういう感じで、わたしは体調を崩した。


"しあわせ"は、

今、ここで、感じるものなのに、

未来のどこかで掴もうとしてた。


「"しあわせ"を目指そう」

この言葉で、今のわたしは"しあわせ"ではなくなってた。

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