見出し画像

過去と現代の交差する街

幻の駅があった万世橋

万世橋_01

JR秋葉原駅から神田方面へ徒歩5分。神田川に架かる「万世橋」は。1930(昭和5年)当時の姿を今に伝えている。

1912(明治45)年4月1日に開業した中央線の発着駅「万世橋駅」。赤レンガ造の壮麗な駅舎は、東京駅丸の内駅舎と同様に建築家の辰野金吾によって設計された。万世橋駅は中央線のみならず市電も乗り入れるターミナル駅で、駅前の広場は常に賑わっていた。

万世橋_03

1923(大正12)年、関東大震災により万世橋駅舎が焼失。この時期には東京駅の開業により、ターミナル駅としての役割を終えていた万世橋駅の再開は比較的力を入れられず、また神田駅や秋葉原駅の開業などの影響によって万世橋駅は1943(昭和18)年11月に休止発表となった。

万世橋_04

〒101-0021 東京都千代田区外神田1-1

帝都の気配を伝える国旗掲跡

国旗掲揚_01

秋葉原・岩本町。和泉橋のそばの駐輪場に、古びた石柱が残る。

(表面)帝國在郷軍人會 國旗掲揚所 第拾班 神田區分會
(側面)陸軍中將赤井春海書 昭和八年八月建設 寄贈 大熊柳三
大熊柳三は東京神田の呉服商。
陸軍中将・赤井春海は、1926年(大正12)陸軍中将、1930(昭和5)年に予備役。

国旗掲揚_02

国旗掲揚_03

「帝国在郷軍人会」のシンボルマーク星と錨が取り付けられた国旗掲揚台。中央には当時のものと思われる古びた木が残っている。

東京都千代田区 神田佐久間町1~神田岩本町13

富士山信仰の名残石「富士講関係石碑群」

富士_01

岩本町・柳森神社の境内へ向かう石段の右側に富士講関係石碑群はある。
柳森神社は、駿河富士宮浅間神社から分祠した富士浅間神社を合殿・合祀した富士講に関わりが深い神社で、富士塚なども境内に築かれていたと思われている。
戦後1960(昭和35)年、富士講が廃れ、富士塚は破却された。その際に残った石を境内に積み上げて小山を築いた。
この石碑群は、江戸時代〜昭和初期まで存在した富士講にまつわる記念碑で、千代田区とその周辺の信仰を知るための貴重な史跡として、1998(平成10)年4月千代田区指定有形民俗文化財となった。

富士_02

堆く積まれた多数の石。当時の人々の富士山信仰の大切さを感じられる。

富士_03

東京都千代田区神田須田町2-25-1 柳森神社境内

画像10

このあたりからは新幹線の路線が見え、街中で東北新幹線が見られる楽しみもあった。子どもにも人気のはやぶさが運良く通過した!

交通の要「日本橋」

日本橋_01

現代と過去が交差する日本橋。1603(慶長8)年、徳川家康による全国道路整備計画に従い、木製「日本橋」が架けられたことをはじめとし、五街道の起点として、また江戸の町でもっとも賑わう場所となった。その街は歌川広重の「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」や葛飾北斎の「富嶽三十六景 江戸日本橋」など浮世絵にも多く描かれるなど人々に愛されてきた。

日本橋_02

火事が多発した江戸。日本橋は幾度も焼け落ち、明治維新までに全焼、半焼を合わせて10回の焼失があったとされてる。明治初期には肥後の石工・橋本勘五郎によって石造りの橋が架けられ、1911(明治44)年4月3日に、花崗岩でできた西洋風の二連アーチ橋が現存する19代目の橋として架けられた。

日本橋_03

下を流れる日本橋川は物流の要として重要なものであった。

日本橋_04

神獣麒麟が見守る日本橋。首都高速道路が上を横切っており、景観を損ねるとして地下へ埋める計画があるが、私個人としては現在の景色は戦後の復活を目指した日本の象徴である様にも思えてならない。

日本橋_05

道路元標・麒麟の像・首都高速道路が交差する風景は将来みられなくなる。

日本橋_06

東京都中央区日本橋室町1-1

今に残る時の傷跡

鎌倉橋_01

日本橋川に架かり、大手町1・2丁目から内神田1・2丁目に通じる橋で、外堀通りにある「鎌倉橋」。関東大震災の復興橋の一つで、1929(昭和4)年4月25日の架橋で、長さ30.1m、幅22.0mのコンクリ-ト橋。名前の由来は、江戸城を築くときに鎌倉から石材をここの河岸(内神田寄り)に陸揚げしたので、この河岸を鎌倉河岸と呼んだことによる。
この橋には、市街地への空襲が始まった頃の痕跡が痛々しく残ってる。その欄干には、1944(昭和19)年11月のアメリカ軍による爆撃と機銃掃射の銃弾跡が大小30個ほど存在している。

鎌倉橋_02

鎌倉橋_03

鎌倉橋_04

いくつか修復の跡も見られるが、いくつもの弾痕が残っている。

鎌倉橋_06

当時の傷跡から新しい植物が……。

鎌倉橋_07

東京都千代田区内神田1

日本

日本最初の鉄筋コンクリートトラス「龍閑橋」

龍閑橋_01

神田駅の南西にある「龍閑橋」交差点。その近くの外堀通り沿いに「龍閑橋」の遺構が残る。

龍閑橋_02

1926(大正15)年に造られた日本最初の鉄筋コンクリートトラス橋。

龍閑橋_03

龍閑橋_04

東京都中央区2 / 千代田区内神田3-1-2

いくつかの時代の痕跡を眺めて帰路に。

高架下_01

高架下_02

こうした古い作りの高架下にもいくつもの歴史が残っているのだろう。

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?