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カメルーンの暮らしで変わったもの、出会った人【Salmons 南谷友香(2/2) 】

Salmonsメンバー南谷のカルチャーショックのその先。
CanCam路線の女子大生から一転。アフリカに心奪われたことをきっかけに、青年海外協力隊としてカメルーンに赴任することを決断した前編につづき、今回はカメルーンでのカルチャーショックが彼女をどう変えたのかを聞きました。

5メートルごとに声をかけられるカメルーンの村と、機械みたいな東京

-いわゆる安定を捨てて行ってみた、カメルーンはどうだった?
行ってよかったと思ってる。帰ってきたら29歳で、婚期逃すかなという不安はあったけど(笑)
暮らせたことは、やっぱりすごくよかったかな。

-けっこう田舎で暮らしてたんだよね。
そう、The村。商店が一つ、飲み屋が一つで、あとは家と畑だったかな。
首都から車で8時間のところ。一番近い町、町っていってもちょっとした市場があるような小さな町なんだけど、そこに行くも車が通らないから車待ってると1時間くらいかかるようなところ。

(村の中心部)

-暮らしてみてどうだった?
人との距離感が近すぎるのには、辟易したかな(笑)
家を一歩でたら5メートルごとに登場する近所の人に、「ボンジュール。なにしてたの? どこに行くの?」って聞かれて、それにちゃんと応対しないといけない。彼らは「Socialiser(社交)」って言ってたけど、「空気読んでよ」と思ったよ。

-私(安村)も行ったけど、たしかに声かけられて、家の前の坂をのぼりきるのに時間かかった記憶ある(笑)
そうそう、あとは日本とか、旅行で行ったルワンダとかタンザニアとかほかのアフリカの国と比べて、本音と建前がないかんじがした。
良くも悪くもガツガツしてて、「何かちょうだい」ってあいさつのように言いあうんだよね。

-それは、ともかちゃんが日本人だからではなく?
現地人同士でも言いあってたよ。「Socialiser」(社交)の一つなんじゃないかな。

-それだけコミュニケーションがあった生活から、いまの東京での暮らしって、すごくギャップがあるんじゃない?
最初はさみしかった! みんな機械みたいだと思ったよ。

-日本とカメルーンの間くらいがいいのかもね(笑)まぁでも、そういうどっちもいいしどっちもよくないっていうのが、「一刀両断! カメ美ちゃん」になったんだもんね。
うん、カメルーンで暮らしたことで、日本にも違和感をいろいろ持つようになった。
どっちがいいわけではないけど、他の文化の価値基準を知ったことで見えるようになったものを表現したいなと思ったんだよね。
私と同じように海外から帰ってきて、逆カルチャーショックを受けた人に共感してもらえたら、うれしいと思ってる。

(カメルーンの妖精が、カメルーンの常識で日本につっこむ4コマ「一刀両断! カメ美ちゃん」)

部屋のテーブル、ダンボールでよくない?

-「アフリカでの暮らし」に憧れてカメルーンに行ったわけだけど、どうだった?
いまはもう住むのはいいかなと思ってる。住んでみて、アフリカへの渇望感は満たされたというか。お腹いっぱい感がある(笑)
日本食が一番と思ったし、家族が体調崩したのもあって、家族のそばで働きたいというのも大きい。

-なるほど。それじゃあ、前編で言っていた、アフリカへの気持ちの対極にありながら持ってた、キラキラしたい、安定したいみたいな気持ちが蘇ってきたりはする?
それはあまりないかなぁ。いまはアフリカへの憧れでもキラキラ路線でもなくて、丁寧な暮らし、シンプルライフをしたいなという気持ちが強い。

-新しい路線がでてきたんだね。
カメルーンでの生活の影響が大きいと思う。カメルーンの村の人たちは、本当にモノを大事に長く使っていて、そんなにごちゃごちゃモノがなくても暮らせるし、モノを大切にする感覚っていいよねと思ったの。
カメルーンに行く前は、お買い物中毒でいっぱい服が欲しかったんだけど、いまは1枚1枚を大切に着ようと思うし。いまの職場はすごくキラキラしてるから、そのギャップに苦しんでるよ(笑)

(何度も洗って再利用されるペットボトル)

-たしかに変わったよね。部屋のテーブルもダンボール使ってるっていうのには、びっくりした(笑)
今でもダンボールでよくない?と思ってる(笑)
モノだけじゃなくて、予定も前よりも詰めなくなったかな。
昔は部屋がどんなに散らかっても、予定をいれて出かけたりしてたけど、今は掃除が優先。
カメルーン時代に借りてた家の家主が、たまに突然来ては「床が汚い」って小言を言われたトラウマがあるというのもあるけど(笑)、ばたばたしたくないというのが大きい。カメルーンでの生活は、時間がゆったり流れていたから、その影響は大きいなぁと。

この人と一緒になにかしたい

-カメルーン生活が、人生や価値観に及ぼした影響は大きいね。
そうだね。あとは影響を受けた人もいるよ。
現地で一緒に事業をしたフローランスっていうカメルーン人の女性。
彼女との関係は切りたくないし、一緒にこれからもなにかしたいと思っていて、彼女のつくるプロダクトを日本で展開できたらいいなと思ってる。

(フローランス)

-シアバターの加工製造販売で起業した人なんだよね?
うん。私自身、はじめは協力隊として農業省に配属されたけど、仕事がこれというように決まっているわけではなくて、それで先輩隊員に紹介してもらったのが、彼女の団体だったの。
シアバターと石鹸を作って売ってたんだけど、利益がきちんと出ているのかもよくわからないような状態だった。それで同期の協力隊員と一緒に、団体の収入向上のサポートをしたんだ。
彼女がいなかったら、私の協力隊生活はどうなっていたんだろうと思う。

-フローランスの団体と一緒になにかしようと思う理由はどのあたりにあるんだろう?
フローランスが、すごく尊敬できる人というのがあるかな。
彼女はそもそも隣国のセネガルに行ったときにシアバターの実が商品化されて売られているのを見て、自分の地域にも同じ木があるから同じようなことができるんじゃないかと思って、村の女性を集めて団体を立ち上げたんだって。
意志とか思いを持って団体をつくって、しかもそれを続けている。しかもメンバーを引っ張っていけるリーダーシップがある。そこがすごいと思った。

-意志とか思いというのは?
私がいた村では、女性の地位がまだ低くて、男性は家をあけてふらふらしている家庭が多かった。しかも子供の医療費や教育費は、女性が払うことになっている家が多いんだよね。で、そのお金が足りなかったりすることもあるらしくて。
フローランスは、事業に女性を巻き込むことで、彼女たちの地位向上を目指してるの。そういう問題を国や人任せにするのではなくて、自分で動く姿勢を尊敬してる。
実際に村の女性たちは、この事業で収入を得ることで医療費や教育費の心配が減ったり、自分の力で収入を得たことで自信を持って村で発言できるようになってきているみたい。

-すごい人だね。
常に良くしようっていう前向きな気持ちがある人だったんだよね。
一緒になにをするにしても、私たちの提案を受け入れながら改善案をだしてくれる。たとえば、現地で採れる特産品を入れた石鹸の新商品にしたらどうかみたいな話をしたときも、一緒に試行錯誤しながら考えてくれたよ。

-そして、リーダーシップもある。
うん、団体には村の女性が25人いるだけど、みんなフローランスをすごく信頼感していて、彼女が言うことはみんな信じてついていくというかんじだったよ。
会議の場でのファシリテーションも上手でメンバーからの意見を吸い上げたうえで、事業の方向づけをしていた。

-日本帰ってきて、いまの仕事をしているのも、フローランスとの出会いが大きいんだよね?
前職のメーカーでの経験から、利益状況を正しく理解して、事業計画を作るとか、製造工程の整備とか原価計算とかはできたんだけど。
マーケティングとか売上を立てるというところは、満足にできなかった。そういうことに関する知識や経験があったら、もっと成果を出すことができたかなぁと思ったんだよね。
だから、いまマーケティングの仕事をしているというかんじ。

-そして、Salmonsとしても、満を持してシアバターを日本で売ることを本格的にやってみようっていう話になってきたんだよね。
私(安村)は、モノを売ることにあんまり興味がなくて、Salmonsは展示とかWebでの発信をしようよと思ってたんだけど。フローランスという尊敬すべき人と、なにかしたいというのには共感するし、カメルーンの暮らしの魅力みたいなものもうまく伝えられたら、面白そうだと思ってる。

うん、フローランスとなにかしたいっていう思いは強いし、おもしろいプロジェクトだと思う! がんばろう!

カメルーンでの暮らしと帰国後の東京での暮らしのギャップで感じた「どっちもよくて、どっちもよくない」というアンビバレントな気持ち。

そして、フローランスという尊敬するカメルーン人女性との出会い。
前編から常にアンビバレントな気持ちを語る南谷の話で唯一、フローランスについては、その揺れるかんじがなかったような気がします。

まだはじまったばかりですが、Salmonsとして、このフローランスとのプロジェクトがいい形になるといいなと思っています!


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