見出し画像

違うからストレスがあるし、ワクワクもする 【Salmons 南谷友香(1/2) 】

カルチャーショックを受けたあと、その人の人生はどうなるのかを追うこの企画。
そういえば、自分たちはどうだったんだっけ? ということで、Salmonsのメンバーのカルチャーショックも振り返ってみることにました。
今回は青年海外協力隊としてアフリカのカメルーンに赴任していたSalmons南谷の話を、同じくメンバーの森田と安村が聞きました。

違うからストレスがあるし、ワクワクもする

-そもそも異文化に興味を持ったきかっけって、なんだったんだっけ?
1番最初は、小学4年生のときの担任の先生に「英語はおもしろいよ」って言われたこと。
好きな先生だったこともあって、英語に興味が湧いて、英会話教室に行かせてもらったんだよね。はじめて自分でやりたいと言った習い事だった。
その教室でハロウィンパーティーとかイースターとか、そういう日本にない文化に触れるのがすごく楽しかった。

-英語がきっかけだったんだね。
うん、それではじめて海外に行ったのが中3のとき。
行政が中学生をオーストラリアに派遣するプログラムに応募して、抽選で当たったの。期間は2週間くらいだったんだけど、すごく嬉しかった。

-実際行ってみた感想は?
まずは得意なつもりだった英語が、全然通じなかったのがすごくショックだった。
あとはライフスタイルがこんなに違うんだって驚いたかな。
共働きの家庭にホームステイしたんだけど、ごはんもちゃんとだしてもらえなくて。でも、中学生だったこともあるし、英語力が足りなかったこともあって、うまく主張できなくて、もやっとした体験だったよ。
だから、「VIVA海外!」というより、ストレスを感じたっていう印象のほうが強いかなぁ。

-VIVA海外(笑)それで海外への興味は減退しちゃったかんじ?
それがそうでもなかったんだよね。なんでだろ。
ストレスがあったとはいえ、日本にないもの、日本と遠いものへのワクワク感があったからかなぁ。コアラとかオペラハウスとか、いま思えばベタだけど、すごくワクワクした。
小さいときから、地元でも友達と一緒に、知らないエリアに爆走したりする子供だったから。そういう冒険感を、異国の地でも感じたんだと思う。

夜逃げする子、最新のゲームをいつも持っている子

-ストレスがありつつも、ワクワク。そのアンビバレントなかんじは、今に通じるかもね。海外への興味はその後はどうなったの?
これは海外に限らずなんだけど、中学生あたりから「機会の不平等」について考えるようになって。
というのも、田舎の公立中学に通っていたから、いろんな家庭環境の子がいたのね。夜逃げとか暴力事件とかもすごく身近だった。
一方で自分はいわゆる平和な家庭で、習いごともさせてもらって。もっと言えば、同じ地域にすごくお金持ちの人もいて、その家の子は最新のゲームをいつも持ってたりして。
その差はなんなんだろうと思ったんだよね。

-カメルーンに行く前に、アルバイトしていたアスクネットの活動も、キャリア教育とか学習支援とか、教育機会に関するものだよね。
うん、子供の相対的貧困みたいな話は、そのころからずっと関心がある。
で、ちょうど同じ頃に、社会科で途上国をテーマにした授業があって、自分と同い年くらいの少年兵の子供の作文と写真がとてもショッキングだったんだよね。
同じときを生きてるのに、なんでこんなに差があるんだろう? ってここでも同じ疑問が湧いて。
当時はなんかしなきゃという気持ちもあったし、自分にはなんかできるという勘違いもあった(笑)

-ワクワクとはまた違う、海外への興味がでてきたんだね。
海外の文化を知るというよりも、問題解決への興味がでてきてたのかな。
それで大学でも、国際協力の勉強をしたんだよね。

ビビりだったのが、アフリカへ

-それで私たちと同じゼミにはいったわけだ。
大学で唯一の国際協力のゼミだったからね。
特に特定のエリアに関心があったわけではなかったんだけど、先生がアフリカの専門だったという理由でアフリカ地域研究のゼミに入った。

-ゼミではなんか企業のCSRとかBoPビジネスとか、教育の問題とかやってたよね。
CSRとかBoPは、当時流行ってたからっていうのも、正直あるんだけど(笑)BoPは、モノとかサービスが、今まで届かなかった人に届くことに、ロマンを感じたなぁ。
教育のほうは、中学のときから興味がある「機械の不平等」について考えるなら「教育」だよねって単純に考えてたから。

-そのころって、海外には行ってたんだっけ?
オーストラリアとか韓国とかアメリカとかには、遊びにいてったかな。
カンボジアのスタディツアーとかも調べたりしたけど、当時はビビリでいわゆる途上国に行くことが、怖かったんだよね。
だから、大学4年生のときに2人と南アフリカとタンザニアに行ったのは、だいぶ踏み出したかんじ。

-そうだったんだ。なんでアフリカは行けたんだろう?
直前までビビてったよ。親にもとめられたし。なんか3人ですごい真面目に持ち物リストとかつくったよね(笑)
でも、現地にいる大学のOBの商社の人にお世話になるとか、一緒に行く友達がいるとか、そういうのがあって行けたのかな。
あとはビビりつつも、ずっと自分が勉強していたアフリカに行ってみたいっていう気持ちがあったんだと思う。

アフリカの人は「かわいそうな人」ではなかった

-で、アフリカはどうでしたか? 私たちはさんざん話してるから知ってるけどね(笑)
やっぱり大きな転機だったよ。Salmonsでもよく話すことだけど、自分のアフリカへの固定観念に気付いたのが一番大きい。
それまでは、アフリカって「援助をしないといけない、かわいそうな人たち」ってどこかで思ってた。みんな食料に困っていて、みんな犯罪者みたいな、極端なイメージを持っていて。

-それは3人とも共通してたよね。そして、国際協力を勉強する学生あるあるという気もする。
ね。現地には現地の人たちの生活があって、携帯電話もみんなわりと使っているし、結婚式もやってるし。
もちろんアフリカは広いし、そのとき見たことは本当に一部だったけど、道行く人を見て、自分の感覚とかけ離れた生活をしているわけじゃないっていうのに、びっくりしたなぁ。
カンガ(東アフリカの1枚布)もそうだし、魅力的なものにたくさん出会ったしね。

-そういう気づきからSalmonsをはじめたんだもんね。
そうだね。アフリカがすごく気になる存在になったなぁ。
そして、それまではいわゆる「一般的な幸せ」を求めていたと思うんだけど、そこからぐっと逸れた転機でもあった(笑)

CanCamな自分とアフリカな自分

-一般的な幸せ?
美容に気を遣って、20代でお金ある人と結婚して、子ども産んで……みたいな、女性誌に載っているような幸せ。

-そういえば、アフリカ行ってから、服装ががらっと変わったよね。
うん、CanCam的なのから、すごいナチュラル派に(笑)
アフリカに行く前はCanCamを熟読して、そこに載っている服を揃えていたし、表参道の美容院に行って、表参道のエステサロンに行ってたの。

(愛読書がCanCamな時代のプリクラ)

-だいぶ今と違う(笑)アフリカ行ったあとは、そこに興味がなくなったの?興味がなくなったわけじゃないんだけど、もっとアフリカに行きたくて、服よりもアフリカに行く渡航費に当てたくなったというかんじ。
アフリカへの関心が、異常値的に強くなったのかな(笑)

-異常値(笑)当時は3人ともそうだったかもね。
なんか夢中だったからね(笑)

-でも就職は、アフリカに行くんじゃなくて、地元の愛知に戻っただんよね。
当時は正直、トヨタで働いていた当時の彼氏を追いかけていったのが大きかったかな(笑)
あ、でも、グローバルな仕事がしたいというのはあったし、アフリカでいっぱい日本のプロダクトを見たのもあって、海外展開している日本のメーカーに入ったよ。
CanCam時代の名残で、職場が田舎であることには嘆いていたけど(笑)

-アフリカに行ったあとも、CanCam欲は残ってたんだね(笑)
当時は人格が二つあった気がしてる。
一つは普通に結婚して、キラキラした服着て、安定したいという人格。もう一つはアフリカに行きたいという強い気持ちを持った人格。

-けっこう両極端な人格だよね(笑)
ね、元々キラキラ路線だったところに、急にアフリカがはいってきて、どっちにいけばいいか、悩んでたんだと思う(笑)

-でも、青年海外協力隊でカメルーンに行ったっていうのは、ある意味「アフリカの人格」を選んだかんじなのかな。
そうかも。会社に協力隊に行った人がいて、その人の話を聞いてるうちに、アフリカで暮らしてみたいっていう気持ちが高まったんだよね。

-アフリカへの気持ちが蘇ったかんじ?
そうだね。あとは、大企業に入って昇進、結婚して、地方都市に家を買って、子供を地元の高校にいかせて、定年まで過ごす……そういう人生でいいんだっけ? って思ったのもあるかな。

-安定したいという気持ちは、やっぱり違ったっていうことなのかな。
自分でもよくわからなけど、やっぱり安定は好きじゃないって思ったのかなぁ。ないものねだりというのもあるかも(笑)

10年弱の付き合いでなんとなく知ってはいたけれど、中学生の頃から一貫して両極端な感覚を持っている人なのだとわかった今回のインタビュー。

その両極端の間でバランスをとるのではなくて、その間を派手に行ったり来たりしているのが、この人の面白いところなのかもしれません。
メンバーとして身近でやりとりするなかでも、たしかに人間そんな論理的なものではないよねといつも思わされます。

そして、アフリカへの思いと、CanCam的なキラキラ路線の間で揺れた末、アフリカへの思いを選び、カメルーンでの暮らしを始めた南谷の話は後編に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?