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2022.3.27 日本人はどこから来たのか?

日本の文化について語るには、その歴史的な積み重ねはもちろんのこと、最初に自然環境の特殊性をしっかり押さえておくことが重要です。

日本という国の輪郭、文化の拠って立つ基盤には、自然環境が大きく影響しているからです。

まず、何といっても日本は島国であるということ。

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有名な『文明の衝突』を著したサミュエル・P・ハンチントンは、日本を世界の八大文明の一つとし、
<日本は孤立しており、世界のいかなる他国とも文化的に密接なつながりをもたない>
と記しています。

しかし日本は、ハンチントンのいうように決して“孤立”していたわけではありません。

実際に、中国大陸や朝鮮半島から多くの人々が海を渡って日本にやって来ました。

南方からもやって来ましたし、島伝いでやって来るという人たちもいました。

日本人の起源については、いわゆる『南方説』というのもあるほどで、太平洋岸の島々から日本に渡って来た人々もいました。

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そもそも、人類はアフリカで誕生しました。

ですから、人類がこの日本までやってくるには、広大なユーラシア大陸を横断してこなければなりませんでした。

ユーラシア大陸の東端に位置する日本は、“日の本”の名前の通り、日出ずる処(太陽が昇る国)です。

先述の通り、日本は島国だと書きましたが、何が重要なのかというと、大陸と適度な距離があるために簡単に攻められなかったということです。

船に乗って来なくてはならないため、侵略するのは容易ではない。

そういう利点があったのです。

他民族が日本に入ろうとしても、日本海を渡って来なくてはならない。

それには大変な努力や工夫が必要になります。

決して泳いで渡れるような距離ではないので、最低でも海を渡りきるだけの船を造らなければなりません。

こうしたことは、大したことではないと思うかもしれませんが、非常に大事なことです。

いわば、日本列島に住もうとする人々の“ふるい掛け”が行われたということです。

少なくとも、そうした工夫のできなかった人たちは、日本に来ることができず、逆に努力や工夫、はたまた才能、組織力をもっていた人たちがやってきたのです。

これは、ただ偶然やって来たということではありません。

日本人の優秀性と言ってしまうと何ですが、少なくともそうした事情はあったのです。

それが、太古の時代に日本列島が大陸と離れた後は、一貫してそういった日本の特殊性があったのです。

しかも、その日本の風土は、熱帯でも寒帯でもない、ちょうどその中間に位置することから、温帯を中心とした比較的温暖で、豊かな自然条件に恵まれていました。

ですから、新天地を目指して長いあいだ歩いてきた人たちが、船に乗って日本に渡って来たときの喜びようは、とても大きかったに違いありません。

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