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2020.3.17 日本で70年隠された“海の武士道”

「もう、助からない…」

太平洋戦争真っ只中の1942年3月。

イギリス海兵のサミュエル・フォール少尉は、先の日本軍との海戦で乗っていた駆逐艦を爆破され救命ボートで脱出。

ジャワ島近海を仲間の400名と共に漂流していた。

赤道付近の炎天下の中、飲まず食わずで20時間も海を漂い、中には自殺を志願する者もでてきた。

フォールが死を覚悟したその時、目の前に巨大な船が現れた。

「おおーい!ここだ!」

必死に叫び助けを求めたフォールだったが、船が近づいてくるとフォールは絶望した。

なんとその船は、敵国である日本の駆逐艦「雷(いかずち)」だった…。

一方…

「雷」の船員は220名。
イギリス海兵の数は、そのおよそ倍。

「雷」の艦内は一気に緊張が走る。

「こっちはいつでもいけます!」

敵兵を目の前にいきり立つ部下たちに対し、「雷」の艦長は冷静だった。

「取舵いっぱーい!」

身長185cm、体重90kgの堂々とした体格から、風格のある声が艦内に響き渡る。

この声の主こそ雷の艦長 工藤俊作である。

そして「雷」はゆっくりとイギリス兵の元へ近づき、ついに工藤はイギリス兵を射程圏内に収めた。


フォールを含む、イギリス兵全員が
「殺される…!」
と覚悟を決めたその瞬間だった。

なんと「雷」に救難活動中の国際信号旗が掲がった。

工藤はイギリス海兵を救うと決断した。

同時に、艦内にはどよめきが走った。

「敵を助けるだと!」

「艦長は正気なのか?400名以上もいるんだぞ」

「助けたあと元気になったら、俺たちがやられるかもしれない!」

部下たちがそう叫ぶのも無理はなかった。
そんな大人数の救助をすれば長時間の作業を要し、敵の潜水艦、航空機の格好の的になってしまう。

しかし、工藤は己の中の武士道を貫き通した。

そして、漂流乗組員422名を救助し、さらには大変貴重な真水やミルク、食料などを惜しげも無く与えました。

当時は漂流中の敵兵を助ける国などどこにもなく、むしろ発見した場合、これを殺していましたが、工藤は翌日にオランダ海軍の病院船に捕虜全員を引き渡しました。

戦後、日本軍の行動に感銘を受けたフォール元中尉が、自分たちの倍以上の敵兵を助けた工藤の勇気ある行動を世界中に広め、日本の「武士道」は世界で賞賛を受けました。

1987年には、米国海軍の機関紙「プロシーディングス」に、1998年には「英タイムズ」に工藤艦長の偉業が掲載されました。

なので「日本の英雄」は、アメリカ海軍やイギリス海軍には太平洋戦争の英雄として広く知られています。

そして2003年、フォール氏の来日をきっかけに日本人ジャーナリストも工藤の偉業を広めるため活動を開始。

まず、日本海軍の伝統を引き継ぐ海上自衛隊に手がかりがあるのでは、と彼らに取材協力を求めました。

しかし、返答はまさかの取材拒否。

彼らの回答はこうでした。

「帝国海軍と海上自衛隊が繋がっていると誤解を受けてしまう」

つまり彼らは、戦後「悪」とみなされた帝国海軍と海上自衛隊を「一緒にされたくない」として、これを拒んだのです。

ちなみに、海上自衛隊は戦後、帝国海軍が使用していた兵学校を引き継いで、今なお使っているにも関わらず…。

校舎に残っていた東郷平八郎など、日露戦争で日本を救った英雄たちの資料をすべて破棄しています。

一体なぜ、海上自衛隊は日本にとって誇りある先人たちを隠そうとするのか。

実は、そこには自衛隊のみならず、我々日本人全員を洗脳したGHQの占領政策WGIPにより、武士道につながる日本文化はことごとく消し去られ、日本人は祖国の英雄さえも戦犯扱いし、誰も教えなくなってしまいました。

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