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2023.3.24 靖國神社の歴史が消されたワケ

もし貴方が、靖國神社について、
「いい加減、メディアの“戦争賛美”のような悪いレッテル貼りはやめてほしい」
「靖國神社で先人たちを祀りたいだけなのに、まるで悪いことをしているみたいに言われて嫌だ…」
「今の日本人は靖國を悪いものと思っているんじゃないか…」
そう感じているなら、これから書き綴っていく内容は貴方にピッタリかもしれません。

なぜなら、今回の記事では、靖國神社創建の歴史を紐解くことで、メディアが垂れ流す、靖國神社についての様々な憶測や不毛な議論に決着をつける内容だからです。


靖國創建の歴史

「みんな、死んでしもうた…。尊い命が失われてしまったのだ…」
時は幕末。
日本は窮地に立たされていた。

ペリーの黒船来航から始まった、列強諸国の唐突な開国…。
国内では貿易のために外国に向け港を開こうとする開国派と、異国を排除し鎖国を貫こうとする鎖国派が激しくぶつかり合い、国難は混乱に陥っていた。

やがて、その混乱は大きな流れとなり、遂には血で血を争う武力衝突にまで発展した。
「幕府を倒せ!」
「国を守れ!」
「天皇をお守りせよ!」
様々な想いがぶつかり、砕けていくことで、日本は近代国家という新たな道を歩み始めた。

それこそが、『明治維新』だった。

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