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2023.4.13 アジアで崇拝される名もなき日本人

貴方は、この写真に写るものが何か分かるでしょうか。
林の中で雨に打たれる2つの十字架…。

そう、お墓です。
しかし、ただのお墓ではありません。

この写真は、国際派ジャーナリストであり、海外セキュリティ・コンサルタントとしても活躍されている丸谷まるたに元人はじめ氏が、28歳の時にパプアニューギニアで撮られた写真なのですが、この写真に写る2つのお墓は、私たち日本人の祖先のお墓で、77年以上も日本国民に忘れ去られた“名もなき英雄”のお墓なのです…。

当然、ここは観光地でもなく、近くに日本人が住んでいるわけでもありません。
さらに、足場も悪い山奥のため、現地住民も住んでいません。
それにもかかわらず、定期的に現地住民がここを訪れ、2つのお墓の周りだけを綺麗に手入れし、長い間、大切に守ってきたと言います。

自分たちの祖先でもないのに、なぜ現地のパプアニューギニアの人が、何年、何十年にもわたって、このお墓を守り続けているのでしょうか。
どうして、雨の降りしきる日まで花を手向けに来るのでしょうか。
なぜ日本から遠く離れた島のこんな山奥に、日本人のお墓が残っているのでしょうか。

ここで眠る日本人の正体とは…。

この“お墓の真実”を知った時、20年前の丸谷氏自身、そして丸谷氏の話を基に今回の記事を書き綴ろうとしている私と同様に、貴方は途轍もない罪悪感や言いようのない悲しみを感じてしまうかもしれません。

しかし、私は多少、心に傷を感じたとしても、この真実を全ての日本人が知るべきだと確信しています。
なぜなら、この2つのお墓が、大東亜戦争で戦った日本兵の偽りの無い真実を私たちに教えてくれるからです。

真実を知るための心の準備はできたでしょうか?
それでは、丸谷氏自身の目で見てきた20年前のありのままの真実をご紹介します…。


「日本兵が返ってきた!」現地住民が大喜びした理由

当時、丸谷氏はニューギニア戦の戦跡調査のため、防衛大学校の教授とパプアニューギニアを訪れていました。

ある日、調査の途中、車がパンクして身動きが取れなくなっていると、現地の大人たちがゾロゾロと丸谷氏たちの周りに集まってきたのです。
そして、一人の現地住民が、こう尋ねてきました。
「お前たちはチャイナかコリアかマレーシアか?」

丸谷氏が、
「私たちは日本人だ」
と、こう答えたことで、無表情だった男たちは一変して笑顔に変わり、辺りは、やんややんやの大騒ぎに…。

あっという間に、どんどん人は増え、すっかり取り囲まれてしまいました。
何が起こったのか分からず、丸谷氏が驚いていると、彼らは丸谷氏にこう問いかけてきます。

「日本軍はどうして居なくなったんだ?」
「日本はどれぐらい遠いんだ?」
「日本の兵隊はいつ戻ってくるんだ?」

あちらこちらから降ってくる質問の嵐。

なぜ、今さら日本軍の話をするのか…。
その時の丸谷氏には見当もつきませんでした。

さらに、質問が終わったかと思えば、今度は現地の女が銀の器を持ってきて、丸谷氏に無言で差し出します。
その中には、煮た芋のようなものが入っていました。
差し出されたものを断るわけにはいかないだろう。

そうして、一口食べて、
「トゥルスイ(美味い)!」
と丸谷氏が告げると、現地住民たちは湧き立ち、一人の男が立ち上がってこう叫んだのです。
「日本の兵隊と同じだ!!」

丸谷氏は初め、何を言われているのか分かりませんでした。
しかし、やがて1人の男性が、その理由を語り始めます。
「白人のマスターやチャイナの人間は、我々を汚がって寄せ付けなかったし、我々の食べ物など“汚い”、“臭い”と言って、決して手を付けなかった。
しかし、日本の兵隊だけは違った。我々と一緒に円を作って座って一緒に同じご飯を食べてくれた」

彼らは、大東亜戦争中にこの辺りに駐留していた日本軍の兵士と丸谷氏とを重ね合わせているようでした。

「我々だって、我々の食べ物が日本人の口に合わないのは分かってるんだ。だけれど、日本人は我々と一緒になって『うまい!うまい!』と言って食べてくれた。それが何より嬉しかったんだ。お前を見ていて分かった。日本は今も変わっていない。俺たちと日本人は今でも友達だ」

こうして丸谷氏は、日本軍が、このパプアニューギニアで大いに受け入れられていたことを身を以て知ったのです。

日本軍は本当に悪者だったのか?

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