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2021.9.23 「なぜ歴史を学ぶのか?」

侵略する日本軍か?
戦争に引きずりこまれた日本軍か

今回は、2冊の中学歴史教科書の日中戦争に関する記述を読み比べていこうと思います。

<1937(昭和12)年7月7日、北京郊外の盧溝橋(ろこうきょう)で起こった日中両国軍の武力衝突(盧溝橋事件)により、日中戦争が始まりました。戦火は華北から華中に拡大し、日本軍は、同年末に首都南京を占領しました。その過程で、女性や子どもをふくめ中国人を大量に殺害しました。(南京事件)。しかし蒋介石は、政府を漢口、ついで重慶に移して、日本軍への抵抗を続けました。>

<1937(昭和12)年7月7日夜、北京郊外の盧溝橋で、演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおき、これをきっかけに、翌日には中国軍と戦闘状態になった(廬溝橋事件)。事件そのものは小規模で、現地解決がはかられたが、日本側も大規模な派兵を決定し、国民党政府もただちに動員令を発した。こうして、以後8年間にわたる日中戦争が始まった。同年8月、外国の権益が集中する上海で、二人の日本人将兵が射殺される事件がおき、これをきっかけに日中間の衝突が拡大した。>

同じ日本の中学生が、かくも違った教科書で歴史を学んでいる

前者で描かれた日本軍は能動的に中国を侵略しています。

多感な中学生時代に、こういう歴史教科書で学んだら、我が国さえ中国を侵略しなければ日中戦争は起きなかったと考えるに違いないでしょう。

これは、中学歴史教科書で50%以上のシェアを持つ東京書籍の『新編新しい社会歴史』です。

尖閣海域で我が国の巡視船に体当りしてきた中国漁船の船長を無罪放免してしまった政治家などは、こんな歴史教科書で育った人だろう。

後者の教科書で学んだ中学生は、国際政治の難しさを学ぶでしょう。

自国が間違いを犯すこともあるし、何者かの陰謀で戦争に引きずりこまれることもあります。

そうした中で、自国の平和と安全を守るには、よほどの知恵が必要だと痛感するかもしれません。

こちらは育鵬社『新しい歴史教科書』です。

両方とも、平成17年の検定に合格していますが、同じ日中戦争をまるで違ったように描いています。

これはほんの一例で、それぞれの教科書は、各時代を全く異なった歴史観で記述しています。

同じ日本の中学生がこれほど異なる歴史教科書で学ぶとは、なんとも異様な事態です。

中学校の歴史教育という一般国民の常識を形成する教育過程で、こんなことが許されてよいはずはありません。

すべてのものに歴史がある!?

今回は読み比べの準備段階として、
「なぜ歴史を学ぶのか」
という部分を比較してみましょう。

このスタートの部分から、既に双方の教科書の姿勢が大きく異なっています。

まずは東京書籍から。

「なぜ歴史を学ぶのか」
について直接的に述べているのは、僅か3分の1ページほどです。

「なぜ歴史を学ぶのか」
ということを考えたことがありますか?

「過去のことを知ったって、何の役にも立たないよ。現在に生きているわたしたちには、現在のことが大切だよ。」
という声が聞こえてきそうです。

しかし、過去のことが姿を変えて、何らかの形で現在にまでつながっていたらどうでしょうか。

現在のことが大切なら、その歴史にも意味があるのではないでしょうか。

つまり
「すべてのものに歴史がある」
ということを考えてほしいのです…。

これから日本を中心とした、人類の歴史を学習する前に、まず、自分の好きなものを選んで、その歴史を解き明かすことを始めましょう。

それが、歴史の学習の基礎になっていくのです。

“自分の好きなもの”の一例として、生徒が“マンガの歴史”を調べた事例が紹介されています。

鳥獣人物戯画、北斎漫画、のらくろ、鉄腕アトムなどが年表風にまとめられています。

なぜ「日本を中心とした、人類の歴史を学習する」のか

しかし、この説明で「なるほど」と納得する中学生がどれくらいいるだろう。

「すべてのものに歴史がある」
というのは事実ですが、それなら、なぜことさら「日本を中心とした、人類の歴史を学習する」
のかが説明されていません。

ある中学生から、
「自分は日本の国よりもゲームに関心があるから、日本の歴史よりもゲームの歴史を勉強したい」
と言われたら、どう答えるのでしょうか。

そして、この生徒の希望通り、ゲームの歴史を勉強させても、
「へえー、昔の子どもはこんな幼稚なテレビゲームしかなかったんだ」
と思うくらいが関の山だろう。

そんな子に、
「現在のことが大切なら、その歴史にも意味があるのではないでしょうか」
と言っても、“馬の耳に念仏”ではないでしょうか。

東京書籍版の“著作関係者”として、一流大学の教授陣も含め、50人ほどの方々が名を連ねており、それぞれが生涯をかけて歴史の研究をされている人々なのでしょうが、それにしては他人事のような迫力に欠けた説明です。

「自分が生涯をかけて追求している歴史学とは、こんなに面白い学問なのだ。それを見てくれ」
というような気迫がまるで感じられません。

これでは、中学生の心に届くメッセージにはなり得ません。

「これから皆さんは、歴史の旅を始めます」

育鵬社版のアプローチは、まるで違っています。

まず冒頭の口絵から『日本の美の形』と題し、古代から江戸時代までの芸術作品が、美しいカラー写真で何ページにもわたって、盛り込まれて紹介されています。

琴を引く埴輪の可愛らしい姿、青空を背にすっくと立つ法隆寺五重塔、そして金剛力士像の憤怒の表情、朝焼けに染まった雄大な赤富士の浮世絵。

新学年になって、真新しいこの教科書を開いた中学生が、心をときめかせながらページをめくる姿が思い浮かぶ。

その後で、
「歴史の旅を始めよう」
と題して、次のように語りかけます。

<これから皆さんは、歴史の旅を始めます。この旅の途中で、いろいろな歴史の風景に出会うことでしょう。その際に、注目して欲しいことがあります。>

として、まず漢字からひらがな、カタカナを創り上げた日本語の例を挙げて、
<海外からさまざまな文化を取り入れながらも、それを独自のものにつくりあげてきた長い伝統があることに注目してください>
と述べています。

次に、

<この旅では、様々な文化遺産と出会えるでしょう。穏やかな仏像や力強い仏像、華やかな絵巻や動きが伝わるような絵画、そして美しい庭園や建物・・・。このようなみごとな文化を築くことができたのはなぜでしょうか。そうした視点で日本列島にある各時代の「文化の宝庫」を見ていけば、歴史の旅は数倍も楽しくなるでしょう。>

冒頭の見事な口絵に心動かされた中学生にとっては、これからの「歴史の旅」に期待を抱くだろう。

たくましいランナーになるために

続いて、こう述べています。

<何百年、何千年という長い時間の中で、私たちの先人が積み重ねてきた分厚い地層のような歴史には、さまざまな「成功や失敗の教訓」がぎっしりとつまっています。この「経験の宝庫」を学んでいくと、歴史の登場人物の中に、数多くの尊敬できる人を見いだすことができるでしょう。皆さんがこれからの人生で、困難に直面し判断に迷ったとき、それらの人物の行動から、大きなヒントを得ることができればと思っています。そして、歴史の旅を進めていくと、私たちが住んでいる日本という国は、古代に形作られ、今日まで一貫して継続していることに気がつくと思います。その理由は何なのか考えてみてください。>

歴史は、さまざまな「成功や失敗の教訓」がぎっしりと詰まった「経験の宝庫」です。

そこで尊敬する人物を見出したり、自分の人生での大きなヒントが得られるかもしれません。

すなわち、歴史とは『生き方』を学ぶ場だ、と捉えているのです。

この後で、次の印象的な結びを迎えます。

<いよいよ歴史の旅が始まります。先人が築いてきた歴史のバトンを受けつぎ、これからの歴史をつくっていく、たくましいランナーになるための、旅の始まりです。>

ここに何のために歴史を学ぶのかが、簡潔明瞭に述べられています。

一人ひとりの生徒が、先人からバトンを受け継いで、これからの歴史をつくっていく「たくましいランナー」になることです。

歴史学研究と歴史教育の違い


「なぜ歴史を学ぶのか」
というスタートラインだけでも、これだけの違いがあります。

東京書籍版は、
「現在のことが大切なら、その歴史にも意味があるのではないでしょうか」
と、知的、抽象的に述べ、育鵬社版は、
「先人が築いてきた歴史のバトンを受けつぎ、これからの歴史をつくっていく、たくましいランナーになるために」
と、生き方のレベルで説きます。

なぜこんな差が出るのか。

私が邪推するに、東京書籍版の著者たちは、戦後長らく歴史学界を風靡してきたマルクス主義の影響下で研究してきた人々ではないだろうか。

マルクス主義は
「労働者階級と資本家階級の階級闘争が歴史を形成してきた」
というような理論的、抽象的な見方をします。

そこには歴史上の人物が志を抱いて、自分の人生を何かに懸けて生きていたというような個人の『生き方』は捨象されてしまいます。

したがって、歴史の中に尊敬する人物を見つけるという、心躍らせる醍醐味は味わえません。

味わえるのは、歴史のメカニズムを理論的に解明する知的興味だけです。

これはマルクス主義に限らず、専門的な歴史研究では概ねこうなってしまいます。

こういう姿勢で、長年歴史を研究してきた人々には、歴史学で知的興味を満たすことはあっても、手に汗握る歴史物語を読んだり、尊敬する人物の伝記から生きる元気をもらったりという経験はあまり持ち得ません。

歴史学の専門研究者ならそれでも良いでしょう。

しかし、そうした人々が専門研究を離れて、中学生になぜ歴史を勉強するのかと説こうとすると、
「現在のことが大切なら、その歴史にも意味があるのではないでしょうか」
などという気の抜けたセリフになってしまいます。

歴史("history")は物語("story")

これに比べると、育鵬社版の
「尊敬できる人物を見つけ、そこから生き方を学ぶ」
というアプローチは、従来からの歴史物語や伝記の世界に通じるものであります。

『歴史("history")は物語("story")』というのは、一昔前までは世界の多くの文化文明での常識的な捉え方でした。

中学の歴史教育は、専門的な歴史研究を中学生にも分かるレベルで水増しして教えるものなのか、それとも自分の生き方を考えるための『経験の宝庫』を探求させるためのものなのか。

中学校学習指導要領の[歴史的分野]では、目標として次の項目が挙げられています。

●我が国の文化と伝統の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる。

●国家・社会及び文化の発展や人々の生活の向上に尽くした歴史上の人物と現在に伝わる文化遺産を、その時代や地域との関連において理解させ尊重する態度を育てる。

どちらの教科書が、この学習指導要領の目標に適っているかは明らかです。

今回も最期までお読み頂きまして、有り難うございました。

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