見出し画像

2022.7.3 日本の命運を分けた“幻の4ヶ月”と“1人の英雄”

『東京裁判史観』
『歴史教科書採択問題』
『慰安婦問題』…

これら、戦後に歪められた“日本の歴史観”を正すべく、40年以上最前線で戦ってきた東京大学の小堀桂一郎名誉教授。

梅雨が早くも明け、今年は例年以上に酷夏とも言える今夏。
正に、このような暑い時期に、小堀名誉教授は必ず思い出すことが“1つ”ありました。

今から77年前。
彼が忘れ得ぬ、絶望に陥っていた僅か12歳の少年時代と、そして、この日本国を救った“1人の英雄”の姿…。

【小堀氏の回想】
昭和20年。
当時、私は12歳の小学生でした。
その頃は大東亜戦争において、日本は劣勢に立たされていた時でした。

東京を始めとして、日に日に勢いを増す空襲。
そして、広島と長崎に2発の原子爆弾が投下されました。

ただでさえ日本国民の多くの命が奪われ、そして東京、広島、長崎は焼け野原になり、日本は正にボロボロでした。

そんな状況を目の当たりにし、絶望していた日本国民に追い打ちをかける出来事がありました。

なんと、中立国だったはずのソ連が『宣戦布告』してきたのです。

12歳ながらに私は、絶望的な不安に陥り、生まれて初めて世界の不条理に対する“衝撃”を感じたことを今でも鮮明に憶えています。

そんな絶望の淵に立たされていた私を、そして日本国民を救った1人の男がいました。

“現代世界史の奇跡”とも言える出来事です。
決して忘れることができません。

彼は、たった4ヶ月で、絶望的な窮地に陥っていた日本を救ってしまいました。

歴史の教科書にも決して載ることのない、日本人のほとんどが知らないその英雄の名は……。

その前に、これから先の話は、小堀桂一郎氏によって明かされた『日本人の歴史観』を根底から覆す重大な真実です。

今や数少なくなってしまった“大東亜戦争の目撃者”として、生涯を懸けて後世へと伝えなければならないと感じた“1人の英雄”と“終戦物語”…。

・当時を生きていた小堀桂一郎氏にしか分からない、『戦争の景色』とは一体どんなものだったのか?

・なぜ、高名な歴史家であっても、「『日本が無条件降伏した』という大嘘」を主張するのか?

・歴史教科書から抹殺されてしまった、『日本国の英雄』の正体とは?

今回の記事は、今まで誰にも教わらなかった初めて知る衝撃的な内容もあるかと思いますので、この先をご覧になる場合は心の準備をお願いします…。


ここから先は

5,467字 / 2画像

¥ 195

この記事が参加している募集

#日本史がすき

7,185件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?