2023.1.10 敗戦直後の日本で、名もなき技術者たちが挑んだ国家プロジェクト
かつて、この国は、一面焼け野原にされました。
首都東京では米軍による大空襲を受けました。
爆撃被災者は約310万人、11万5千人もの日本国民が死にました。
負傷者は15万人以上にも及び、約85万戸以上の家屋が壊されました。
家が壊され、人は死に、全てが失われました。
誰もが絶望の中にいました。
希望を持つ人なんて誰もいませんでした。
しかし、その敗戦から僅か20年足らずで、日本人は世界を驚かせる大偉業を成し遂げます。
それは、オリンピックの開催です。
一体なぜ、それほど早く復興が進んだのでしょうか?
今回の記事では、日本復興の裏で、この国を支えた立役者たちの知られざる物語を明らかにしていこうと思います。
瓦礫の山となった首都を立て直す100人の技術者
瓦礫の山となった東京。
40万発もの焼夷弾によって破壊された東京の首都機能は、完全に停止していました。
輸送経路もほとんどが破壊されました。
輸送のための橋が無くなれば、東京は陸の孤島です。
更に、復興しようにも多くの死者が出ているため、復興する人手が圧倒的に足りません。
そのような絶望的な状況で東京の復興の先頭に立ったのが、東京都庁建設局の100人の技官たちでした。
「生き残った我々が将来のために良い東京に戻す」
絶望の底にいた敗戦直後の日本人にとって、都市のインフラを立て直す彼らは希望の星でした。
そうして復興が進んでいった1959(昭和34)年。
日本にビッグニュースが流れます。
東京オリンピックの開催が決定したのです。
オリンピックは日本の復活を全世界にアピールする絶好の舞台…。
日本国民全員が期待に胸を膨らませました。
しかし、東京都庁建設局の技官たちの顔は、決して晴れやかなものではありませんでした。
東京オリンッピク開催を阻む巨大な壁
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