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2022.1.11 「コメを食うとバカになる」慶應大学医学部教授の大嘘

アメリカの2大日本人洗脳作戦

「米を食うとバカになる」
1958年、慶應大学医学部教授の林たかしが著書『頭脳』で発表。

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日本人のほとんどが米食だった時代…。
この衝撃的な発表は世間を賑わせることになった。

有名大学医学者の発表ということもあり、著書『頭脳』は僅か3年で50版も出し、累計30万部以上の売れ行き…。
大手マスコミでも大々的に取り上げられ、瞬く間にベストセラー書籍となった。

また、各地で米食を批判した講演会も実施。

そして、『米を食べるとバカになる』というパンフレットが数十万部も印刷され、多くの人々の目に触れることとなった。

慶應大学医学部の林氏の衝撃的な発表をきっかけに、ますます『米食低脳論』が過熱。

実際に、朝日新聞のコラム「天声人語」では、
<白米食は栄養の不足を招き高血圧や脚気になる。パン食を歓迎する。>
と記載。

他にも、TBSテレビでは、毎週1回『家庭でできる小麦粉料理』という番組が企画され、小麦製品の宣伝が活発に行われた。

TVや新聞などの主要メディアだけに留まらず、映画までも『米食低脳論』を宣伝。
当時公開された『いたちっ子』でも、米食非難とパン食の優位さが強調された。

しかし、皆さんは不思議に思わないでしょうか?

なぜ、日本人の食生活を約2000年もの間、支えてきた主食の米が突如、非難の的として晒されたのか…?

実は、これは陰の暗躍者であるアメリカによって仕掛けられたGHQ占領後の『第二の日本占領計画』が大きく関係していたのです。
この『第二の日本占領計画』は、一部の穀物メジャー企業とアメリカ政府が甘い蜜を吸い、現代となってもなお続く、日本の食生活を貶める謀略でした。

実は、アメリカ穀物メジャーが利益を拡大させ、日本にとって国益を損なう種子法廃止・種苗法改正というような不可思議な法改正が行われたということも、そして小豆類5倍、小麦6倍、蕎麦150倍といったグリホサート農薬をはじめとする食の安全基準を緩和し、国民を危険に晒すような世界と逆行する流れとなっているのも、さらには、食料自給率が先進国の中でもダントツの最下位となったのも、日本がアメリカの言いなりになり、この占領計画によって生み出された悪の産物の一つだったのです。

『第二の日本占領計画』は、現代において集大成を迎えます。
約70年もの間、アメリカが日本に仕掛けてきた占領政策がようやく完結します。
しかし、ほとんどの人はこれに気付いていません。

・アメリカがGHQの占領政策後に仕掛けた『第二の日本占領計画』の全貌とは一体…?

・『第二の日本占領計画』を裏で支える人物の正体とは…?

・『第二の日本占領計画』によって、現代の私たちにどのような弊害が生じているのか…?

本記事で明かすアメリカが裏で仕掛けた『2つの日本攻略戦』を読み解けば、これらの謎が明らかになっていくでしょう。

この『2つの日本攻略作戦』には、皆さんの中にも小さい頃に親しんだ、学校給食を利用した戦略もあったのです…。

戦後日本の食糧難

時を遡ること約75年前。

日本が敗戦したその年、国内は飢餓者で溢れ返っていた。
東京上野の地下道では、東京大空襲をはじめとする無慈悲な爆撃により親や親戚を失い、腹を空かせた子供たちが多くいた。
ここだけでも、ひと月に餓死者は70~80人…。

戦争孤児だった一人は、
「GHQの基地の食堂から出た廃棄物はゴキブリ、ウジ、タバコなどが入っていたが、それらをかき集め、鍋で煮た残飯シチューは涙が出るほど美味しかった」
と語る。
また、衰弱した子供が道端で犬の糞を食べて、口から泡を吹き
「ラーメンを食べたい…」
そう言って亡くなったという。

このように、今では想像できないほど日本国民は苦しんでいた…。

しかし、このなんとも悲惨な食糧難に目を付けた国があった。

それがアメリカだった。

1940年代後半~1950年代、世界的な小麦の大豊作によって価格が大暴落。
さらに、アメリカが第二次世界大戦・朝鮮戦争などのために大量生産していた小麦は、戦争が終わりを告げると共に行き場を失った。

アメリカ国内には、3000万トンの小麦が有り余っていた。
これは、1年間で消費される日本の米の量の3倍以上。

余った小麦は倉庫にも入らず、路上に野積みされていた。

小麦の保管には、1日2億円以上の莫大な費用が掛かるため、余剰小麦の処理にアメリカは頭を悩ませた。
しかし、アメリカが考えていたのは余剰小麦の処理だけではなかった。

同時にこんな戦略を考えていた。

「余剰小麦を売りつける国には、今回だけでなく長期的に売り込む。その国の食をアメリカに依存させる」
つまり、アメリカは『食』を武器として一国を支配することを狙っていた。

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事実、アメリカ政界のドン、アメリカ国務長官も務めたヘンリー・キッシンジャーの
「『食』はミサイルよりも強力な武器。アメリカは『食』で世界を支配する」
という発言が、アメリカの食糧戦略を象徴している。

アメリカは大統領直々の指令により、全米製粉協会の輸出促進部長をはじめ、35人の調査団を1ヶ月半世界中に派遣し、市場調査を行わせた。
大規模な調査によって得られた結果は、
「最も有望な市場は、日本である」
ついに、“余剰小麦”を売りつける標的が日本に定められた瞬間だった。

そして、アメリカは1人の男に『余剰小麦支配戦略』を託した。
その男の名は、リチャード・バウム。

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1954年、早速、アメリカ農務省の役人・全米製粉協会の役人と共に、リチャード・バウムを日本に送り込み、根回しを図る。
例えば、彼らは農林省・厚生省・文部省などの省庁や商社、製粉業界に足を運んだ。
「このまま、アメリカの食糧戦略はとんとん拍子で上手くいく」
と、誰もがそう考えていた。

しかし、彼らにはもう一つ重大な問題が目の前に立ちはだかった。

日本人のほとんどは米、味噌汁、漬物を中心とした、いわゆる和食しか食べない。
つまり、日本の現地では小麦の需要がほとんど無かった。

リチャード・バウム一行は、日本の現状と小麦販売拡大の厳しさをアメリカ本国の役人に報告する。
しかし、そう簡単にアメリカの一大戦略を頓挫させるわけにはいかない。

そこで、アメリカは日本に『2つの日本攻略作戦』を水面下で仕掛けていった。

2つの日本攻略作戦①
粉食化戦略

日本に小麦を消費させるために、まずは民衆にパンや麺類、ケーキ類の味を覚えさせる」

リチャード・バウム一行は動き出した。

度々、厚生省・農林省などの省庁に赴き、一機に小麦を普及・宣伝する方法を模索する。
彼らは、ある方法を見つけ出した。

それは、『キッチンカー』を利用すること。

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事実、1955年、バウム一行がアメリカ農務省に送った報告書にも
「キッチンカーを利用して、(粉食の)拡大強化をする」
と、記されている。

そして、アメリカは、ある契約を日本との間で結んだ。
その契約とは、
<キッチンカーの費用1億数千万円を全額負担する。但し、条件として『日本は必ず食材にアメリカの小麦を使うこと』>
というものだった。

当時、キッチンカーは日本の財政難により運行継続が危ぶまれていた。

しかし、アメリカとの契約により1956年、12台を一気に製造。
日本各地へと飛び回った。

キッチンカーによる、料理実演は大反響だった。
たった5年間で2万会場。
総勢200万人の前で行われた。

キッチンカーの効果について、当時の厚生省の役人は、
「キッチンカーで披露した料理は瞬く間に広がり、現地の八百屋では材料の売り切れが引き起った」
と語った。

まんまとアメリカの小麦戦略に、日本は知らず知らずのうちにハマっていた。
リチャード・バウムらの食糧政策はキッチンカーに留まらない。

彼らは学校給食にも目を付けた。

1957年、文部省管轄の全国学校給食連合会との間に、5735万円の契約を締結し、農村部の小学校にまでパン給食を拡大させた。
さらにアメリカは、総額55億円の小麦と脱脂粉乳の援助を約束。
<日本政府は4年間、年間18万5千トンレベルの小麦給食を維持すること>
を条件にして。

「幼児期に覚えた味は、一生忘れることはない」
と言われるように、子供の舌まで洗脳していった。

このように、アメリカはこれらの小麦戦略に大量の資金を投じた。
しかし、アメリカにとっては安すぎる買い物だった。

2つの日本攻略作戦②
肉食化戦略

リチャード・バウムらの小麦戦略が功を奏している中、ここぞとばかりにアメリカの穀物メジャーも動き出した。
カーギル社の役員やコンチネンタル社の副社長など、構成員がアメリカの穀物メジャーで占められている『米国飼料穀物協会』が1961年5月、日本に活動拠点を作り上げた。
その名も、『日本飼料協会』。

この組織は、初代理事長だった人物がケネディ政権の農務次官を務めたこともあり、アメリカ政府とも関わりが深い。
つまり、アメリカ政府と穀物メジャーがタッグを組んで日本に押し寄せてきた。

「日本人の味覚、食習慣を肉食にすれば、飼料穀物(麦など)を消費できる」
このように考えた。
そして、契約を取り付ける。

<(家畜用の)飼料穀物の市場拡大に必要な事業費65%をアメリカ負担にする>
つまり、日本人を肉食化するためのキャンペーンに使う事業費の65%は負担するというもの。

こうして、日本人肉食化キャンペーンが展開されていった。

例えば、テレビCMで肉食キャンペーンを宣伝したり、東京都では『肉まつり』が実施されたり、畜産農家への技術提供が進められた。

様々な策により、アメリカの戦略通り日本人の肉食化は完璧に成功した。
事実、国民一人当たりの食肉消費量は、20年間で4.5倍(豚肉8.7倍、鶏肉9.6倍)になった。

これに伴い、家畜の飼料である麦類やトウモロコシ消費も上昇させることとなった。

アメリカが仕掛けた『2つの日本攻略作戦』は、想像をはるかに超える結果を生み出すことになった…。

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今日、皆さんはパンと肉をどれだけ口にしたでしょうか…?
戦前、現在のような食生活はほとんど見られませんでした。

コンビニに陳列された種類豊富な菓子パン、スーパーに並べられた大量の食用肉や加工肉…。

「人類の歴史の中で、これほど短期間に食生活が変わった国はない」
と一部専門家の中で指摘されています…。

実は、その裏には、日本を余剰穀物の安定的な捌け口として作り替えるため、意図的に、そして戦略的に動いたアメリカと穀物メジャーの存在があったのです…。


アメリカは学校給食、キッチンカー、テレビCM…、あの手この手を使って、日本人の舌を半ば強制的に作り変えてきたのです。

そして、時には、
「米を食うとバカになる」
というプロパガンダを撒き散らし、都合の良いように日本を貶めてきました。

そして、それらは何ら偶然のことではなく、アメリカが意図的に仕組んだ食糧政策だったのです。

この結果、アメリカの穀物メジャーやアメリカ政府は大儲け。

それだけでなく、現代まで不平等な規制緩和を押し付けられています。

例えば、
・BSE(狂牛病)の輸入制限を完全撤廃させられたり…
・日本が禁止している防カビ剤OPPを振りかけたレモンの輸入を拒否できなかったり…
・安全性を確かめられていないゲノム食品の表示義務を課すことが許されなかったり…
しています。

他にも、紙に残すことのできないような日米間の不平等な事実もあります。

例えば、米の需要がなくても、77万トンの米の輸入を強制され、そのうち半分の36万トンは必ずアメリカから輸入しなければならない。

このように、アメリカのやりたい放題を見逃し続けてきた結果、現代の私たちまでもが危険に晒されているのです。
しかし、このような状況に気付いている日本人が、それだけの数いるでしょうか?
私たち国民のほとんどが、この現状を知らないのですから、アメリカのやりたい放題は止めようもありません。
さらに近年、アメリカのやりたい放題は加速しており、アメリカのメジャー企業が甘い蜜を吸うだけでなく、日本の農家・食糧安全保障をさらに窮地に陥れる種苗法の改正が、ほとんど報じられることなく成立し、施行されています。
このままでは、日本が長い年月をかけて育んできた食文化、そして厳しい土地環境にも対応して生きた農業技術が、一瞬にしてアメリカのメジャー企業の支配下に置かれ、それだけでなく、彼らの金儲けのためだけに使われてしまうかもしれません…。

皆さんの子供や孫世代が大きくなった時には、現在よりも理不尽な要求をアメリカに課され、安全な食料にすらアクセスすることが出来なくなるかもしれないのです。

「気付いた頃には、もう手遅れ」
というような状態に日本がならないためにも、アメリカが水面下で日本に仕掛けてきた食糧戦略を知ることが重要ではないでしょうか。

今回も最後までお読み頂きまして、有り難うございました。

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