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2022.7.26 86年間封印された日本最大のクーデター

早朝5時…。
「問答無用、撃て!」
2発の銃弾が首相に浴びせられました。

今から90年前の5月15日、「五・一五事件」が起きました。
現役の総理大臣(犬養毅)が暗殺されたショッキングな事件。

そして、わずか4年後の2月26日…。
今度は「二・二六事件」が起きました。

数千の兵士たちが、数時間で永田町を占拠し、高橋是清大蔵相や斎藤実前首相ら政府の要人を、次々に暗殺した事件です。

「五・一五事件」に比べて、規模の大きさや計画の細かさから、近代日本史上最大のクーデター事件、テロ事件とされています。
1930年代の日本は、こうした暗殺事件が二度も起こるほど危険な時代でした。

そして、「二・二六事件」がきっかけとなり、軍部が手を付けられないほど暴走し、日本は泥沼の日中戦争・日米戦争へと突入したと、今の学校では、そんな風に教えられています。

さらに、事件を指導した「青年将校」たちも「国賊」「逆賊」「テロリスト」と呼ばれ、日本を戦争に導いた張本人だと言われ続けてきました。

しかし、戦後教育で言われているように、「二・二六事件」は単純なクーデターやテロだったのでしょうか?

青年将校たちは、若くして順調に出世し、兵士たちを束ねるエリートのような存在だったにもかかわらず、なぜ、武力によって国家を変えようと思ったのか?

そして、「二・二六事件」は、その後の日中戦争・日米戦争に、どのような影響を与えたのか?

「二・二六事件」と令和の共通点

実は、この事件には大きな謎が隠されています。
それは、
「なぜ1930年代に暗殺事件が起こったのか?」
という謎です。

この謎は、今の私たちに全く関係のない話ではありません。
むしろ、目の前に差し迫っている大きな問題と密接に関係のある話なのです。

実は、事件が起こった1930年代と今の日本には、多くの共通点が潜んでいました。

国民を苦しめる「経済の危機」
留まることのない「貧富の格差」
いつまでも長引く「政治の混乱」
目の前に迫る「世界戦争の脅威」…

つまり、今から90年前の日本と令和の日本を比べたとき、驚くほど社会の状況が似ていたのです。

そこで今回は、政治・経済の行方が混沌とする今だからこそ、「二・二六事件」という「敗者」の視点を基にして、
1930年代の日本では、本当は何が起きていたのか?
ということについて書き綴っていこうと思います。

昭和で最も苦しい経済危機

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