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2022.7.18 北方領土問題 ソ連とアメリカはグルだった

ロシアのウクライナ侵攻が、北方領土問題に暗い影を落としています。

ロシアが日本との平和条約交渉を中断し、元島民がビザがなくても故郷を訪問できる、いわゆる『ビザなし交流』の事業を停止すると表明したのです。

アメリカに追従し、ロシアに制裁を加えた日本への報復との見方が強く、北方領土返還がさらに遠退く結果となりました。

そんな北方領土問題ですが、戦時中の歴史を振り返ると衝撃の事実が浮かび上がってきました。

どうやら、この領土問題の裏ではアメリカが裏で糸を引いていたようです。

今回は、戦時中のアメリカとソ連について書き綴っていこうと思います。


北方領土問題というのは、ドイツ降伏から3ヶ月後に、ソ連軍を対日戦に投入するというルーズベルトとチャーチル、そしてスターリンの間で交わされたヤルタ会談から始まっています。

しかし、この北方領土や樺太、そして満州への侵攻に関して、誰が背後にいたのかということを考えると、実は非常に興味深いことが見えてきます。

20年以上前、ある史料を読んだ時に、北方領土などの問題について、最初は、
「えっ?こんなことがあったんだ」
と思いました。

北方領土や千島列島、樺太などに艦隊でやって来て、上陸して占領したソ連兵というのは、実は米国によって訓練されていたということ。

この極秘の軍事作戦を『フラ計画』または『プロジェクト・フラ』と言われているのですが、実は1945(昭和20)年の5月から約3ヶ月間、アラスカのコールドベイ基地という米軍基地で、1万2000人のソ連兵が色々な訓練を受けていました。

当然、対日戦に向けての訓練を米軍から受けていたのです。

海にある機雷を掃除し、航行する艦隊の安全を確保する掃海艇(Mine Sweeper)という船があります。

同年5月~9月の間、アメリカはソ連に対して掃海艇55隻と、兵士たちを上陸させるための上陸用舟艇30隻、駆逐艦やフリゲート艦28隻といった合計145隻の艦船を、アメリカはソ連に無償供与します。

この期間、アメリカ軍のスタッフ1500人が、1万2000人のソ連兵を対日戦に向けて、みっちりと教育、訓練したという風なことがあります。

つまり、今の北方領土問題は、日本とロシアの長年の課題になっていますが、この問題を作り上げた背後には、やはりアメリカがいたということです。

そもそもよく考えてみると、ソ連というのは大陸国家でなので、上陸戦闘をあまりしたことがありません。

一方、アメリカは海洋国家なので、海兵隊を持ち、日本との太平洋戦線でマキン、タラワの戦いやガダルカナル、マーカス岬、もしくはニューギニア、さらには硫黄島やフィリピンなどの様々な戦域で米海軍は上陸作戦をやってきたので、非常に慣れており、経験が豊かであるという背景があります。

そのような海上からの長距離兵力や大量の物資を海上輸送して、それをまとめて一気に歩兵と共に上陸させるという海上侵攻作戦を、1000km以上もある物凄く距離の長い千島列島で、ソ連がどのようにして成し遂げたのかというようなことを考えた時に、そのバックには上陸戦闘に経験豊富な米軍がいた。
彼らがソ連兵を教育したということを聞いて、私はなるほどと思ったわけです。

なので、今も引き摺っている北方領土問題も、結局は米軍の船を使って米軍に訓練されたソ連兵が、米国のルーズベルト大統領などの意思の下にやってきたというのが、その背景にあるということです。

それが、今日もなお、日露の間の潜在的な問題になっているということです。

ちなみに、ソ連時代からそうですが、ロシアと日本が北方領土を返還しようという時に、必ず『四島一括返還論』という話が出てきます。

つまり、択捉、国後といった島々の四島を一気に返すという案と、まずは歯舞、色丹という小さな島々の二島から返してもらうという案が、必ず問題になって潰れてしまうということを繰り返しています。

四島一括で返ってくれば一番良いのですが、やはり物事の交渉というのは、少しずつやっていくのが常道です。

100あるものを最初から「100くれ」と言っても、早々くれるわけはないので、「100をくれ」と言いながら、しかないから最初は二島で良いから、そのうち残りの二島も時間の問題で返してもらわなきゃ困るというところで、一旦は二島返還でも全然良いと思っています。

実際、中国のサラミ・スライス戦略を見てみると、ジリジリときているわけです。
あれは非常に上手いやり方です。

日本も、そういった上手いやり方をすれば良いのですが、二島返還論という話が出てくると、必ずマスコミが
「四島返還じゃないとダメだ」
ということを言い出したり、アメリカの方から圧力が掛かって、
「四島返還じゃないと許さん」
ということが起きるのです。

日ソ平和条約を結ぼうという時も、1950年代に日本がソ連と
「まず二島返還から始めよう」
と言った時に、それを潰したのはアメリカのダレス国務長官でした。

「もし日本がソ連との間で二島返還で合意するならば、沖縄は返さんぞ」
と言ったのです。

だから『ダレスの恫喝』という風に言われており、時の重光まもる外務大臣が、
「ダレスは酷い」
という風に憤慨したということがありました。

つまり、ソ連、ロシアにとっても、いきなり四島返還と言われてしまえば、国民世論の問題もあるので、なかなかできないのです。

二島だったら何とか厳しい交渉の上に、まだ認めても良いかもしれないといった時に、日本側から
「いや二島じゃダメだ。四島じゃないといかん」
という風にごり押しをされると、もう会談は潰れてしまうわけなのです。

そういうことを繰り返してきたのです。

1回目の日ソ平和条約の時には、ダレス国務長官がそれを潰したわけですが、それが繰り返されてきたいうことです。

現在、ウクライナ侵攻で、日本はロシアと敵対する立場を取ったので、ロシア側も日本を非友好国として認定しました。

北方領土返還の可能性は限りなくゼロに近づきましたが、こういう時だからこそ、日本の領土問題と外交の姿勢を見直してみても良いのかもしれません。 

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