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2023.8.23 日本からリーダーを消し去った教育

少し前になりますが、5月12日に発売されたアメリカのタイム誌の表紙を岸田総理が飾りました。

他にも大谷翔平選手や、大坂なおみ選手など、多くの日本人が表紙を飾ってきましたが、日本人で初めて表紙になった人物が誰かご存知でしょうか?

その人物が表紙となったのは、今から80年ほど前のことになります。

初代内閣総理大臣の伊藤博文や戦時中の総理大臣だった東條英機ではありません。

その人物とは、東郷平八郎です。

彼は日露戦争において、世界屈指の戦力を誇ったバルチック艦隊を破り、日本に勝利をもたらしました。

「絶対に勝てない」
と、誰もが思うような戦いを勝利に導いた彼の姿は、誰もが憧れる理想のリーダーとして、国内のみならず世界で高く評価されました。

そんな世界的にも偉大なリーダーを輩出していた日本。

しかし、今の日本はどうでしょうか?

同じタイム誌の表紙を飾った岸田首相を見ると、内閣支持率は33%までに低下し、退陣要求も止みません。

なぜか日本では、東郷平八郎のようなリーダーが育たなくなってしまったのです。

なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか
そこには、日本のある教育制度が関わっていました。

今回は、リーダー教育の極意をテーマに日米を対比して、少し書いていこうと思います。


監督

日本では、誰がリーダーになっても同じだと思われています。
30年間、何も変わっていないので、その気持ちは分からなくもありません。

しかし、リーダーの人選は、それでもなお重要です。

例えば、野球の監督だった場合、誰がなっても同じではありません。
私は大阪出身ですので阪神タイガースのファンですが、誰が監督に就くかでチーム全体がガラッと変わります。

これと同じように、大学の総長を誰にするとか、日本の総理大臣に誰をするとか、この決定によって大学の学風も、日本の政治もガラッと変わります。

この点で、リーダー層の厚いアメリカは、やはり大国だと言えます。
有能な人材が次から次へと出てきます。

ホワイトハウスでは、この間、多くの閣僚が変わりましたが、優秀な人材が山ほどいるので全く問題ありません。

ディベート

良いリーダーを育てようと思えば、グループで行うスポーツかディベートを教育にどんどんと取り入れるのが良いでしょう。

日本との比較で、米国において盛んに行われているのはディベートです。
小学校から大学まで、米国の若者たちはディベートでずっと鍛えられています。

小学校の時から、みんなの前に立ってプレゼンをさせられます。
小さな頃からです。
ですから、プレゼンができないという発想がありません。

お父さんお母さんも必死で手伝います。
プレゼン前日の夜は練習で大変です。

「前に立ったらここから始めるのよ」
と教えて、
「はい」
と返事をしても、子どもはその通りにいきません。

でも、だからこそ面白いのです。

人の前でプレゼンをさせると、時々すらすらと話せる子がいます。
しかも自分の言葉でです。

「ああ、この子は別のブレーン(頭脳)を持っている。別の回路でものが言える子だ」
ということが判ります。
先生もそれをすぐに見抜き、その子をクラスのリーダーにしていくわけです。

司令塔なき教育

アメリカのことをよく知らない方に話すと、よくビックリされるのですが、アメリカには日本のような文部科学省がありません。

日本の政治は中央集権型です。
霞ヶ関にある文科省が日本の教育制度とその中身を決めます。

文科省が進める方向で学校運営をしていかないと補助金が出ません。
それが、どんなに魅力的な学校計画だとしてもです。

一方のアメリカは、大統領がトップにいてピラミッドのように見えますが、日本のような中央集権型ではありません。

それぞれの州が、とても大きな力を持っているのです。

教育についてもそうです。
政府が牛耳って、
「この教科書でやりなさい」
などと言ったら、合衆国全体が大問題になります。

だから、州ごとに決めていきます。

もちろん日本の風土や民族、慣習などアメリカとは異なる点は多々ありますが、霞ヶ関が全てを決める教育は平成、昭和、大正を通り越して明治時代の教育形態のままです。

つまり、国定教科書を使っているのと同じことだと思います。

だとしても、戦前の教育ならば、まだリーダーを育て上げることは可能だったでしょう。
しかし、戦後の教育改革や公職追放により、教育方針は戦前から大きく様変わりし、学生からリーダーの素質の芽を奪い去る教育へと変わり、今日に至るのです…。

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