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2022.7.11 新疆ウイグルに行った日

すでに“自由な言論”が排除され、小説『1984』でジョージ・オーウェルが描いたような世界が、日本でも着々と現実化されているような気がしてならない昨今…。

そういう思いを抱きつつ、2017の夏、新疆ウイグル自治区を訪れたことをふと思い出しました。

今回は、そのことを書き綴っていこうと思います。


2017年の夏、新疆ウイグルの自治区の首府である烏魯木斉ウルムチ市にて。

オレンジ色:新疆ウイグル自治区、赤色:烏魯木斉(ウルムチ)

そもそも、『新疆ウイグル自治区』って何?
中国とは何が違うの?
という人のために少しだけご説明すると、この辺りはかつて、『東トルキスタン』という1つの国でした。

『ウイグル語』という言葉を使い、イスラム教を信仰する漢民族とは全く異なる人々が暮らしていました。

しかし、1949年以降、中国共産党の人民解放軍による侵略を受け、中国の属国になってしまったという悲しい歴史を持つ地域です。

そんなところを、ただ旅をする物好き。

漢字発祥の地でもあり、今の共産党時代に、漢字をさらに簡単にした簡体字さえも作り出した中国。
北京語は日本語よりも母音が数多く、とても発音が難しく苦労したのを今でも覚えています。

そんな中国の大陸を、砂漠の景色を見るため西へ西へと進んで行った結果、ウイグルまでたどり着いたということです。

もちろん、その当時からウイグルで何が起こっているのか知らなかった訳ではありません。

ただ、当時は外国人でも、自由にウイグルへ立ち入ることができましたし、
「行ってみたい」
という気持ちが勝り、バスや列車を乗り継いでウイグルを目指しました。

中国西方へと向かう高速バス

ウイグル人弾圧の実態を最初に見たのは、自治区に入る手前で高速バスに乗っていた時のこと。

ターミナルを出発して高速道路に入る手前でバスが停車し、2人の警察官がズカズカと、いきなりバスの中へ入り込んできました。

一瞬にして、車内に物々しい雰囲気が流れます。

入ってきた警官たちは、
「身分証を出せ!」
と大声で叫ぶと、バスの入り口側から順番に身分証のチェックを始めました。

私は、日本のパスポートを見せて何の問題もありませんでしたが、私の少し後ろに座っていた男性が、警官によってバスの外へと連れて行かれました。

乗車していた男性の顔を見ると、明らかに漢族ではなく、中東風の顔立ちの若者。

ウイグル人です。

彼は外のテントの下で取り調べを受け、20~30分した後に、ようやくバスの中へと戻ってきました。

まだ自治区の中にも入っていないのに、ウイグル人はこんなに差別されているのかと不安な気持ちになったことを覚えています。

さて、その後、実際にウイグルの中へと足を踏み入れると、現地に入った第一印象は
「他の中国の都会と変わらない」
という印象でした。

上の写真は、烏魯木斉市内の写真です。

右手に建物が並んでいますが、どれも中国語で表記されたものばかり。

ウイグル語など全くありません。

道を歩く人もほとんどが漢民族。

1~2割程度、バスの中で見たような顔立ちをした人を見かける程度。

ところが、しばらく滞在してみると、この地域の“異常さ”に気がつき始めます。

まず、思ったことは、中国共産党による政治ポスターがやたらと多いこと。

雨の中、路線バスから写したので見にくいですが、画像の中央から左側には、塀に赤い文字で12個の言葉が書かれています。

読みにくいかもしれませんが、順番にこう書かれています。

富強、民主、文明、和諧
自由、平等、公正、法治
愛国、敬業、誠信、友善


『社会主義核心価値観』と呼ばれる、共産党のプロパガンダの言葉です。

その文字の上に、とても小さい文字でウイグル語の翻訳が書いてあります。

中央から少し右側の鉄柱に青い看板の交通標識がありますが、こちらにはウイグル語がありません。

共産党のプロパガンダを広める以外、ウイグル語は必要ないということでしょうか。

この壁は、ずっと奥まで続いていて、その他にも『中国前進』というスローガンやウイグル自治区の共産党指導者たちの写真がズラリと並べられていました。

そして、もう1点、非常に驚いたことがあります。

ショッピングモールやホテルなど大きな建物の中に入る時には、空港の保安検査場に置いてあるようなゲート式の金属探知機が必ず置いてあり、警官が常駐しています。

そして、出入りする人々は必ずそこを通らないといけません。

最も厳しい地域では、街の小さなコンビニに至るまで金属探知機が置いてありました。

セブンイレブンやローソンのような小さな店舗の入り口に、ゲート式の金属探知機があるのです。

それだけではありません。

キャッシングで人民元を引き出そうと、近くの銀行に足を運んだ時の事。

金属探知機を潜り、警官がリュックの中身を調べ終わって歩き出そうとした矢先、警官が一言。
「喝一口(he yi kou)」

警官は私のリュックを指差しています。

彼が言ったのは、
「一口飲め」
という意味の中国語。

なんと、私のリュックのサイドポケットに入っていたペットボトルの飲み物を、一口飲めというのです。

私はすぐに察しましたが、液体爆弾や毒物の持ち込みを警戒していたのでしょう。

この「一口飲め」というやり取りは、ウイグルに滞在中、何度も繰り返されることになります。

そして、イスラム教の礼拝堂モスクの入り口。
ここでも厳しいチェックを受けないと中には入れません。
しかも、信仰が禁止されているので、中に入っても祈りを捧げるウイグル人は誰一人いません。

「ここまで警戒しないと治安を維持できないのか…」
「よほどウイグルの人々に恨まれることをしているな」
と、心から思えるほどでした。

体験したことを全て書こうとすると、蛇のように長い記事になるので、今回はこの辺りで区切らせて頂こうかと思います。

私がウイグルで見てきたことは、一旅人の視点にしか過ぎませんし、今もウイグルで起こっている出来事のほんの一部でしかありません。

女性への強制不妊や大量の監視カメラによるウイグル人への支配、そして、再教育という名の無実の罪での投獄や拷問…。

こうしている今も、ウイグルからは悲惨なニュースが流れてきています。

参院選が終わった今、改めてこの事実が、多くの日本人に伝わればと思い書き綴らせて頂きました。

日々暑い最中、最後まで読んで下さり、有り難うございました。

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