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2022.5.21 東京裁判の知られざる真実

天皇を殺しかけた日本人

1948年12月23日午前0時1分。

厚い雲が垂れ込め、星も見えず、12月の暮れであったが、風はどこか暖かかった。

「天皇陛下万歳!大日本帝国万歳!」
重苦しい空気を引き裂くように、男たちの声が響き渡った…。

A級戦犯が拘留される東京の巣鴨プリズン。
死刑を迎える7名のA級戦犯が、米軍の作業服を身にまとい、牢獄から出てくる。

彼らの両手には手錠が掛けられ、革のベルトが付けられていた。

手が自由に動かない中、順に仏壇の前に立ち、筆で署名。

これが、彼らにとって絶筆となる。

中庭の絞首台へ向かう道、「万歳」という声が誰かの口から出る。

「天皇陛下万歳!大日本帝国万歳!」
男たちは、声を揃えた。
刻一刻と運命の瞬間が近づいてくる。

死刑囚は絞首台に着くと、13段の階段を登って壇上に向かっていった。

1歩、2歩、3歩…。

最後の「南無阿弥陀仏」を唱えながら、落とし戸の上に歩を進めた。
階段を登りきると、黒い頭巾が彼らの頭に被せられた。
綱と輪を確かめると、死刑執行官が準備完了を報告。
まもなくして、巣鴨プリズンに死刑執行官の声が響き渡った。

「やれ!」
その合図と共に、死刑囚の体を支える落とし戸が跳ね返る。

午前0時35分。

左から東條、板垣、木村、土肥原、武藤、松井、広田

土肥原賢二
松井石根
東條英機
武藤章
板垣征四郎
広田弘毅
木村兵太郎

7名のA級戦犯の絞首刑が終了した。
この日に至るまで、判決に掛かった歳月は2年と6ヶ月。
長い判決文の朗読には1週間もの時間を要した。

こうして、日本の戦争は終わった。

かのように思われた…。
しかし、東京裁判には、不可解な事実が今もなお残されている。

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