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ホームレスと少しだけリッチマン

私は毎日楽器を練習しています。毎日何を思ってやっている?無心にやっているの?楽しんでやっているの?どうして毎日練習するのか?これについて書いていきます。

どうして毎日練習をするのか、と考えたときにある物語を思い出します。ホームレスと少しだけリッチマンの小話、こんな話です。

ある寒い夕暮れ、少しだけリッチマンが家路につこうとしたとき道端のホームレスに目がとまりました。こんなに寒いのに気の毒だなぁと思い声をかけます。「こんばんは。寒いですね。」するとホームレスは答えます。「私はお腹が減っています。何か食べ物をください」少しだけリッチマンは「お安い御用だ。私があたたかいスープをご馳走しよう。少し待っていてくれ」と言い残して立ち去ります。

少しだけリッチマンは急用が入ります。急いで用事をすませて翌日夕方にそこへいくと、ホームレスは死んでいました。そして傍にはメモが。「とても楽しみにしていましたが私はもう耐えられません。」

もし少しだけリッチマンが声をかけなかったらホームレスは死んでいなかったかもしれません。

なぜこの話なのかというと、絶望感と死、希望と裏切りのような言葉がキーワードです。何かを続けていく事にもこの話の中の根本と同じものがあります。

具体的にどういうことか、次の投稿で書きます。

ホームレスと少しだけリッチマンvol.2 続きはこちら


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