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「早い」は正義なのか

何事においても「早い」ことは良しとされる。

早い、安い、うまいの牛丼
Amazonのお急ぎ便
重たい通信をしても速いネット回線…

仕事においても、即レスや「完成度は低くても良いから、早いタイミングで報連相しなさい」とか。

確かに消費者側としても、早く手に入ることは嬉しいし、色々と忙しいときにモタモタ提供されて時間を無駄にするのは嫌だろう。

通っていたスクールで、スピーチやトークの練習をし、試験を受けたりすることがあった。時間内にスピーチをしたり、相手に話を伝えることができるか、などが評価ポイントになる。

当然時間内にやらないといけないので、相手の話を聞きながら、話を受けてのレスポンスも早くする必要がある。私は言葉が出てきたり、考えがまとまるのに少々時間がかかるので、他の優秀な人に比べるとトーク系のカリキュラムや試験の進みが遅かった。

今も昔もよく喋るタイプの人間ではないので、トーク系の試験に受かるために「もっと喋ろう」「とにかく練習だよ」という言葉を信じて、練習をしていた。

練習すればある程度は伸びるのは確かだが、やはり自分の得意分野でないことをやっても「これで一生やっていける!」と言えるまでの感覚は生まれなかった。とりあえず社会人として最低限何とか仕事して生きていけるくらいのレベルにはなったのかな…と思っている。

私のように喋るのが苦手で克服しようとやっている人もいるが、やはり目立つのは元々喋るのが好きで、話するのも得意、話の返しも早いし上手いし、面白い。そういう人だ。

自分とは対極にいるそんな人たちをみると「やっぱり話が上手い人っていいよなぁ、自分は絶対なれないだろうけど」といつも思う。

ただ(全員ではないが)そういう人の中には、人への対応が雑だったり、本当かな?と思う話をするような人がいる。確かにレスポンスは「早い」し、面白いのだが、それは良いのか?正しいのか?と思う行動をする人もいるのだ。

話のレスポンスが早いことはいいが、「早い」だけが本当に「価値」があり「正義」なのだろうか。

冒頭で「早い」ことは嬉しいと書いたが、メリットがあれば、反対にデメリットも生じる。「早い」ことにはリスクも伴うのである。

相手の話にすぐにレスポンスするとなると、事実を調べる時間も当然ないので、自分の知識や経験から語らなければならない。自身の経験なら良いが、事実に基づく話をするときは「正しさ」という基準が発生する。

「早い」ということは、ある程度の「正しさ」はかなぐり捨てて、とにかく即レスポンスに注力する、ということだ。

聞いている側が知識がなければ、とりあえずその場ではその人の言うことを信じるしかないので、「すぐに話が出てきて、すごい!」となるわけだ。

事実は後からいくらでも調べることができるから、"その話が正しければ"その場ですぐにその話ができたその人は、すごい人と言われても納得できる。

もちろん、いつも正しい話ができる人というのは自分を含め、ほとんどいないだろう。逆を言うと、聞いている側の立場では自分が聞いた話の大半は、もしかしたら正しくない話の可能性もはらんでいるということでもある。

「早い」ことにはそういったデメリットも含まれていることを忘れてはいけない。

今回は「早い」ことが悪い、ということを言いたいわけではなく(「早い」ことに様々お世話になっているので…)、「早くない」ことも良いよ、ということを言いたい。

先述の通り、私は言葉が出てくるのが早い方ではないが、その分、過去振り返っても、人を傷つける軽率な発言はほとんどしたことがない。それも「早くない」からこそできたことだと思う。

ここ一年くらい、茶道と生け花を習っているのだが、これらの伝統文化もまさに「早くない」ものの代表だろう。

茶道で言えば、お茶を点てるだけなら道具があれば、1分もかからない。なのに、器や道具を清め、器を温め、お茶を点て、片付けるところまでをやることで、10分、20分使う。

早さに慣れた現代人の感覚では意味不明すぎる時間の使い方だと思う。だけど、「早くない」作法があることで、お茶を点てて差し上げる心遣いが、初めて相手に伝わるのだ。

「早い」行為では絶対に伝えきれない部分を「早くない」ことで伝えることができる。

人にも様々な事情を抱えた人が、苦しい中でもひたむきに生きている。早く結果を出し、早く家族を持ち、早く富を得ている人ばかりではない。

「早くない」から自分はダメだ、そう思ってしまう時もあるかもしれないけど、「早い」ことだけが正義ではない。

「早くない」からこそ、見える景色や得られること、語れることが絶対にあるし、「早い」人にはできないけど「早くない」人にだけできることがたくさんある。

人よりも「早くない」ことをバカにしたり、揶揄ったりと、「早い」ことを基準に物事を判断する人がいるけど、ほんとーーっうに狭い価値観の中に立て籠って生きているだけの人だ。

私自身も「早い」タイプの人間ではないからこそ、「早くない」ことに価値を見出して生きていきたい。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

salar

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