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料理に正解はない、人生にも正解はない

「料理が好き」

というのは、振り返ってみたら
子どもの頃からそうであったと記憶していて
たしか、家庭科の料理の時間もはりきっていた子どもだったな。笑

でもそうかといって、これまでに
お金を出して料理を学びに行ったことはないし
料理を仕事にしよう!と思ったことも実はない。

私の中では「料理=仕事・経済」という考えはなかったように思います。

・ただ自由に自分の好きなものを作る
・面白い食材を見つけたらそれで何ができるのか調べてみる
・異国料理を調べて作ってみる
・知識や食材を組み合わせたりして創造の時間を楽しむ

ただただ、
その料理のプロセスを楽しんでいる時間が好きでずっとやってきたようだ。

それで、ふと、

「こういう料理の仕方をずっとしてきたのかな?」

と考えてみると、
案外そうでもないことに気がつきます。

いや、そういう時間を楽しんできたのは事実だけど

人と一緒に何か作る時や誰かに食べてもらう時は
ちゃんとレシピを見て、それ通りに作ることが多い。

とりわけ、会社員の時は
ひとりでもレシピ通りに作っていたことが結構あった気がする。

きっちりじゃなくてもだいたい同じに作って
アレンジを楽しむこともあまりなかったな。

で、もっと色々巡らせていたら

それは自分の人生に対しても「何が正しいのか」を
求めていた時期だったことに気がついたんです。

その時から比べると、
自分に正直になって自分の人生を生きるようになった今の方が
料理の仕方がもっと自由になっている。

もともと好きだった料理のプロセスを楽しむことを
家では、ほぼ100%の確率で行っている。

すごく面白い気づきでした。

しかも、そうしようと思ったわけでもなくって
実は自然とそうなっていったんです。

料理に正解はない、人生にも正解はない

正解を求めずに、
そのプロセスを自由に楽しむことが
私に取っては最高に楽しい。

自分の大事なことに気づけて本当によかった。

でも今だに「人と作る・人に食べてもらう」のように
誰かが関わってくる場面では

「きっちり計ろう」「ちゃんと作ろう」としている自分がいるから、
きっと、料理をしていない場面でも
無意識にそう意識してしまっているのでしょう。

料理の仕方や姿勢は自分の日々のあり方をそっくりそのまま教えてくれる。

生きている中でもよく聞くし大事にしている

「人生に正解はない」

というフレーズ。

頭ではわかっていても
それを本当に自分に取り入れて生きている人は少ない。

だって、外側の影響を受けずに
自分の軸をぶらさず生きていくのって実際は難しいもん。
(それができたら、誰も苦労してないよきっと!)

だから、もしかしたら
日常のなんてことない料理の時間を
自由に、自分の赴くままにやってみたら
自然と生き方にも反映されていくのかもしれない。

そんなことがあるのかもしれません。

私の場合は生き方が変わったと同時に
料理の仕方も変わっていったと自覚しているのですが、
だったら、その逆だってありえる。

自分の無意識の領域って、とってもパワーがありますから。

自分が窮屈に感じている時こそ、
料理くらいはという気持ちで
自分の自由に好きなようにやってみると
案外自由な心が戻ってくるかもしれません。

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