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EPIC DRUMS 00s~ (part2)

2000年以降の楽曲のみを取り上げ、流行り廃りを超えた多角的なドラム/リズム分析を目指します(アーティスト名/曲名/リリース年、の順に表記)。一応ジャズ研OBという体は最低限守りつつも年代順不同、ジャンル不問。主観全開、批判は楽しく適量で。要するに単なる長文駄文。あえて音源掲載は行いません。気になったものだけコピペ方式で。

星野源/ミスユー/2015

流浪の自己満足コラムpart1があわやパンク寸前という分量になり、急遽part2を立ち上げました。一端のドラマーらしく教則本的に、個々の拍子にもスポットライトを当てその魅力を深堀りしてみましょう企画の第3弾。「6拍子」編の解説は、星野源氏の名盤『YELLOW DANCER』収録曲とともに。

黄色人種が奏でる黒人労働歌。日本においては船頭さんが舟を漕ぎながら歌う舟歌も9拍子や「6拍子」といった複合拍子を採用しているという歴史的背景も相まって、なお一層奥行きのある楽曲に仕上がっています。『YELLOW DANCER』のフェイバリットにこの曲を挙げる方ははっきり申し上げて相当信頼できる方だと思います。それもそのはず。

「6拍子」の割り方は、以前ご説明したのと同様に少なくとも2パターン。つまり3+3の2小節周期のものと、4+2とハンパに拍数を残すものの2種類がメジャーケース。当楽曲は後者の色合いが強いです。モーダルながらAメロよりもBメロが、メロよりサビが、1番より2番がより力強く響くという全編淡めのコントラストで人の心の機微に優しく寄り添います。

波打つオルガンサウンド、妖艶な長岡氏のカッティング、ブラシ主体の温かくもウェットな質感、抑制的でありながら確かな存在感を放つコーラスラインやストリングス。どこを切り取っても素晴らしい。決して湿っぽくはならず、自然と体を揺らせるようにと設計された5分弱という絶妙な時間設定にも唸る。

SUN」や「」などの大ヒットを受け、彼にアンセムを求める声が次第に肥大していることへの若干の懸念。日がな一日を綴ったライフサイズな楽曲にこそ、この人の持つ素朴な魅力が反映されるものなのですが。「暗い曲」の一言で一掃されてしまう時代のようです。ちょっと悲しい話ですね。

片平里菜/teenage lovers/2014

これも黒人讃歌のテイストを感じますね。片平里菜のメジャーデビューアルバム『amazing sky』6曲目、ちょうど作品が折り返しを迎えるポイントに配置された名曲です。閃光ライオットで審査員特別賞を受賞し、一躍注目の的に。Radioheadの影響を公言したシングル「始まりに」の衝撃は今でも鮮明に覚えています。

女の子の気持ちを代弁してくれる年齢の近いSSW、というパブリックイメージは確かに間違いではない。しかし中らずと雖も遠からずという印象。語弊を恐れず書けば、絶妙にサブいノリに感じますね。音楽的に相当懐の深いミュージシャンであると断言できると思いますよ、その確たる証拠となり得るのが当楽曲です。

4拍子の楽曲ですが、主宰目線、ものすごく特徴的な譜割りに聞こえます。つまり2小節を1単位として合計8拍分を一塊にカウントし、長い音符を挟みながら4+2+2と続いていく。2拍ずつを残して、最後に2歩分の足並みを揃えてあげるようなリズム。これは年頃の揺れ動く男女、悟られずにそっと心に寄り添ってあげようとする姿に重ねているのでは。

音楽のリズムはよく人が歩く速度に例えられますよね。当楽曲の持つリズム感覚は、1人で歩く速度感ではないということです。つまり二人三脚のリズム、あるいは後ろから追いかけてくる相方を待つスピード感、ひょっとすると先を歩く相方を小走りで追いかけるテンポ感に近いかもしれません。ハンパな2拍分には、それほど重たい意味が乗っかっています。

曲後半、リズムの止み間に聞こえてくる「解けない問題は~」の一節が特に印象的。2人が立ち止まってまた歩き出す様子がはっきりと見えますね。物語性があり、時間軸も鮮明に映し出している。物悲しい雰囲気で始まったこの曲が、確実に未来に向かって歩み出す曲であることを示唆しているのだと思います。

スピッツ/優しいあの子/2019

急にヒット曲ばかり取り上げ始めたな?ん?お客様、ぐうの音も出ねえでございます。それはさておき、ドラム/リズム分析においてドラマー・崎山龍男氏にフォーカスしないわけにはいかない。改めてスピッツというバンドが、いかにパンクキッズのまま大人になったのかを見せつけられた快作でしたので。

まかり間違っても朝ドラ主題歌。表向きは爽やかなフレンチポップ風のモータウンビートになっていますが、相手は歴戦のつわものスピッツです。そう簡単にいくわけがない。例えばこの曲のリズムをモータウンビートからHI-STANDARDの「STAY GOLD」風に妄想アレンジして頭から聞き直してみましょう。するとどうですか。

メロコア調に聞こえてきませんか?倍速でまくし立てるビートに変わるだけで、アリーナツアーがライブハウスツアーに、ストレートヘアーがワックスツンツンの頭に様変わりしませんか?当コラムをスマホでご覧の皆様は、今すぐ新しいウィンドウを開いて「崎山龍男 ドラムセット」で検索をかけてみて下さい。とてもポップスバンドのドラムセットではない。

ただならぬ太鼓類の数、ただならぬシンバル配置。コーラス用マイクはスイッチ一つで自動操縦可能。もはや要塞。ドラマー界隈でも隠れた技巧派、影のラスボスとまで言わしめる崎山氏。土壌としてあるのはヘビーでラウドな音楽。その上にレンガ造りのメルヘンなお家が立ち並んでいる。でもその家々は玄関を開けるとそれぞれ地下へ繋がる階段があって。

映画パラサイトの話をしてるんじゃないですよ?その階段はおそらく、若き日のライブハウスに繋がっているのだと思います。キッズが揉みくちゃになりながら、汗と涙まみれになりながら聞いた音楽こそが真実のスピッツ。あの頃は若かったねえなんて昔を懐かしむおじバンドこそがスピッツそのものなのだと信じてやみません。

aiko/月が溶ける/2017

待望のサブスク解禁。aikoの音楽を自由自在に持ち歩ける時代が遂にやって来ました。シングル曲のカップリングまでしっかりカバーされているのは、ファンにとってもこれほどありがたい話はないですよね。「予告」のB面に収録されているこちらの楽曲が、やに意味深でひどくお気に入りです。言いたいことがとかく沢山、リズム解説メインでお送りします。

とはいえコード進行の話を前段としてさせて下さい。倦怠期のカップル。すべてに疑心暗鬼になる二人。aikoらしくそういったストーリー性がきちんと楽曲構成にも反映されており、要するに完結するコード進行が少ない。ずっと宙ぶらりん。中継地点として解決するコード進行が用いられる部分はありますが、全体に不協和音が目立つイメージ。

サビから突然顔を出してくるドラム。乗っけからクライマックス並みのテンションです。ハイハットのハーフオープンサウンドは2人のすれ違い具合、心の摩擦を表現しているでしょうか。4分音符の部分にアクセントが置かれているのは、波打つ心臓の鼓動にも聞こえてくる。佐野康夫氏のドラミングがリスナーの想像力をこれでもかと掻き立ててきます。

感情的になったり、突然理性を取り戻したりを繰り返す主人公。メロとサビがここまで好対照になっている楽曲は近年あまり耳にする機会がありませんでした。冒頭「ありがとう」と3回繰り返すだけで曲の輪郭がはっきりと浮かび上がってくる、魔法にかけられたような感覚。「月が溶けた」という言語感覚も非常に類稀なものがあります。

6文字で表現できる男女関係の不和なんて正直いくらでもあるはずなのによ、ホントすげえよ、ともうキリがないのでこのくらいにしますが、最後に当ブログ恒例のハンパな拍数解説を。4拍子でやって来たサビ直前に2拍分の空白があります。気持ちを整理するための2拍か、気持ちが爆発する寸前の2拍か。皆さんはどう解釈しましたか?

Walter Smith III/Foretold You/2014

「曲途中で効果的に用いられる変拍子」の妙について。名手Ambrose Akinmusireとの共演も記憶に新しいテナーサックス奏者。ドラマーKendrick ScottをはじめTaylor Eigsti、ギターにMatthew StevensHarish Raghavanらビッグネームが並びます。コンテンポラリー新時代の到来を告げるアルバムの1曲目から。

ドラム/リズム分析に際し、JAZZ楽曲が持つ強烈なアドバンテージというのがあって。どこかで言及しましたっけ、トランスクリプションが存在する(可能性がある)という点です。つまりプロアマが自分の目と耳を頼りにコピー譜を作成しネットに掲載。他力ということに他なりませんが、自称コピー屋さんの主宰にとっては時にエビデンス資料ともなるわけで。

長らく拍子感に若干の謎を抱えながらも、いつ取り上げようかと時期をうかがっていたところ。敬愛するサックス奏者Remi Bolduc氏のYouTubeにこの度、ソロ部分のトランスクリプションが掲載される運びとなりました。予想通り前置きが長くなっていますがなにせスペシャルサンクスですからご紹介しないわけにはいかない。最大級の賛辞を。

やはり大方の予想通り、4拍子主体。しかし1か所だけ5拍子になります。強烈なフック。これもいつぞや取り上げた最低保証的スタンスの「フィルイン」概念。つまりここで場面転換しますよの合図、アイシテルのサインということになります。知識が着実に積み重なっていきますね。まだお読みでない方は是非part1まで遡っていただいて。

すなわちコンテンポラリー新時代とは言いながらも、土台にはモータウン発祥のスタイルが着実に息づいているということです。60年代はちょうどバップ過渡期ソウル黎明期がグラデーションになっている時代。Foretellの過去形「Foretold」に一体どんな意味が込められているのかはおのずと想像に難くない。きっとこうした時代背景を指しているのでしょうね。

Sean Jones/Look And See/2011

御託は要らねえ感じるんだ、という宣言通りの一発。新進気鋭のトランペッターがクインテット編成でリリースした名盤『No Need For Words』のオープニング曲。無類の「感覚派」コンポーザーとして名高い彼の最大の特徴はズバリ「拍感に縛られない自由度の高い楽曲構成」という部分になるでしょうか。傍らにトランスクリプション譜必須の解説スタート。

イントロからいきなり面食らう。4→5→4→6と数列上に並んだ拍子の数々。美しいまでの規則性と絶妙に伸び縮みを繰り返すスポーティさ。Aメロ直前の「フィルイン」は7→5拍子とバトンを繋ぎ12拍間でエンジン着火、以降4拍子で驀進していきます。曲前半だけでこれだけの運動量と消費カロリー。考えるな感じるんだ。こんな調子でまだまだ続くぞ。

AメロBメロも同様。基本軸は4拍子ながらも、意味段落の切れ目ごとに6拍子3拍子といった「フィルイン」的小節が強引に放り込まれる。さっと見渡すのがlook-seeの語意ですがあまりに二度見三度見が過ぎる気もしますね。あざとくしきりに繰り返されるサイクルが、どこかニヒルでクールな遊び心ある楽曲の雰囲気を引き立てている印象。

スペシャルサンクスはサイトNoteheads様。数多あるトランスクリプション譜の中でもこれほどまでの超大作によくぞ着手したものです。気が遠くなるような作業量に最大級の賛辞を。しかしSean Jonesはこうなることを予期して譜面をこしらえたのでしょうか。返す返すも「感覚派」プレーヤーの最高峰、ついていったらこうなった的な作風ということか。

JAZZ史において、こうした伸び縮みある拍感の境地に行き着いた奏者は少なからず思い付きますね。以前紹介したMarsalisなんかはその最たる例でしょうか。名作「Dealfeayo’s Dilemma」は伸び縮みするモーダル進行という超ド級の難易度。デジャブですね、兄弟揃ってニヒルでクール。口は笑っているが目が笑っていない。そんなことはさておき。

cero/魚の骨 鳥の羽根/2018

一端のドラマーらしく教則本的に、個々の拍子にもスポットライトを当てその魅力を深堀りしてみましょう企画の第4弾。満を持しての登場、ある種J-POP史の最高到達点を見せつけたかのような1曲。2018年リリースのアルバム『POLY LIFE MULTI SOUL』は文字通りポリでマルチなまさにリズム天国の様相でした。

興奮のあまりテーマを書き忘れました。「12/8拍子」はじめて聞く方もいるでしょうか。分母が8、つまり8拍分のリズムが入る容器を使って繰り広げられるバケツリレー形式の音楽を指します。ヘンデルの「メサイヤ」ハイドンの「四季」ラテン音楽などにも多用されることからわかるように、スピリチュアルとフィジカルに両対応できる優れもの。

8拍の間に12個も音が鳴ってるって一体どういう状況?要するに分子は3つ塊のリズムが4パックセット売りになっています。ダノンヨーグルトみたいなものですね。4パック全部食べ切るとようやく1小節分としてカウントされる。どう考えても食べ過ぎですよね。それほど密度の濃い速足のリズムパターンであるということです。

4パックがセットになっているのなら、都合4拍子ということにしてしまえばいいんじゃないの?さすがお客様、勘が鋭いでございます。一見「12/8拍子」なんて難しそうに書いていますが原理は4拍子とほぼ同等なのです。しかしリズムの感じ方やパルスに若干の違いはありますよね。そこが冒頭お話したポリやマルチといった複数形のリズムに繋がる考え方です。

乱暴に言えば、同時に鳴らしてしまおうということです。4拍子で大きく踊る人間と「12/8拍子」で細かく踊る人間を同時に野に放つ。めっちゃ社交的なヤツもドギツい引っ込み思案のヤツもいます。生まれるカオス。これを良しとしたのが高城晶平氏そしてceroご一行だったというのが事の顛末です。腹減ってきたなヨーグルト食うか。これもまたカオス。

Robert Glasper Trio/Lil Tipsy/2004

楽典化できないリズム」というのも存在しているようです。もう15年以上も前になりますがRobert Glsperがアルバム『Mood』の中で、何の前触れもなく世の中に突然投げ掛けた問い。ひと昔前のギャルなら「まじイミフ」の一言で一蹴している場面でしょうか。そういった界隈に明るくないのでイマイチ釈然としませんが。

リズム楽器隊だけが合図と共にアッチェレランドをかけられ続けるという罰ゲーム。いや正確には、アッチェレランドの主導権はリズム楽器隊にあるといえます。主犯者はDamion Reidですが、忘れた頃にBob Hurstも仕返ししてくる。一方Glasperは悠々自適。そのやりとりにもJAZZならではのハプニング性、「一回性」の妙を感じます。

この、特定楽器にだけアッチェレランドという音楽手法の正式名称が未だ解明できずにいる。音楽学校で学ばなかったツケがここへきて遂に。しかしモチーフになっているであろう演奏にはいくらか思い当たる節が。例えば60年代後期のMiles Davis Quintet。70年代が近づくにつれてバンドの推進力も上がり、テンポもいささか暴走気味になっていたあの感覚。

実にクラシック音楽経験者のMilesらしい、既成のフォーマットに縛られまいとする姿への変貌っぷりはGlasperの内なる原動力にも通じる部分でしょうか。おっとDamionのドラムにも言及せねば。小口径のドラムセットはとことんまで甲高いチューニングが施されており、もはやスネアドラムの音域がハイタムの音域を担っているほど。

トップの位置にエフェクトシンバルがあてがわれていたり。JAZZでは長らくご法度とされてきた縦割りのビート多用、ゴスペル音楽由来の拍感や程よい隙間感。GlasperといえばChris Dave的な見方は近年確かに多いですが、主宰目線、やはりDamionの音楽性なくしてこのトリオを語ることはできないと考えています。

Brad Mehldau Trio/Boomer/2006

本コラム二度目の登場となるBrad Mehldau。今回はドラマーJorge Rossyが参加した2006年のアルバム『House On Hill』より4曲目を取り上げます。いかにも本コラム向きのリズムしていますよね。この異物感どこかで味わったことがある、お客様その通りでございます。積み上げられたノウハウを存分に駆使し、解析作業に移ってまいりましょう。

タイトル「Boomer」の謎については本稿では省略するとしまして。7拍子が採用された楽曲の上を不思議に流れ続けるのは、寸分違わぬ4拍子のリズム。主宰もこの発想には正直度肝を抜かれました。意図不明確とはまさにこのこと。しかもなぜ王道の8ビートをチョイスしたのか。一向に交わる気配のないパラレルワールドは最後の最後まで貫き通されます。

ブログ読者様にはもはや説明不要の4+3、字足らず感を演出する音形という理解で問題ないはず。むしろ大事件なのは先ほど以来続く懸案事項、7拍子上で不吉に鳴り続けている4拍子の正体です。ここで数学の授業を思い出してみましょう。4と7の「最小公倍数」は28、つまり理論上は28拍ごとに頭拍が揃うという計算式が成り立ちます。

すなわち7拍子で計上するとぴったり4小節分、4拍子で計上するとぴったり7小節分ということになります。おもわぬ「シンメトリー構造」が浮かび上がってきました。ここをどう捉えるか。両者は終始相容れないようでいて、実は要所要所で確実にすれ違っている。どこかでお会いしたことありますよね、というアレです。

咄嗟にタイトル「Boomer」を辞書で引く。でもそれらしい意味は結局出てきませんでした。君の名は、みたいな用法が書いてあるのだとばかり勘違いしていましたが現実はそう甘くありません。謎が謎を呼ぶ世界観。それを束ねたアルバムのタイトルが『丘の上のおウチ』というのですからもうお手上げ状態です。あまりにも情報過多。

Meshuggah/Rational Gaze/2002

「最小公倍数」の感覚を養いさらに深めていくことにしましょう。スウェーデン出身エクストリーム・メタルの重鎮Meshuggahがその良いお手本であるといえそうです。一聴してわかるフィジカルさ。しかし実際には偶数拍周期のリフと奇数拍周期のリフとが絶妙に絡み合った、精緻な理系の音楽でもあります。

拍子感に迷った際の道しるべは「スネアドラムの打点位置」に着目すること。4拍子の楽曲であれば、スリップビート等特殊なケースを除けばそのほとんどが3拍目アタマに来ることが自明です。幾重にも折り重なった高度なギターリフも4拍子に帰結している点から逆算するに、4の倍数/約数を持つ正の整数いずれかに該当することがわかってきます。

ここまでわかってしまえばお手のもの、あとは時間の問題。リズムの共通項を元に手計算していけば順次解決というわけです。傾向と対策。主宰目線、Meshuggahの音楽は徹頭徹尾この考え方でOK。電源コードが知恵の輪状に絡まり合っているように見えるだけで、元を抜いて一つ一つ指差し確認していけば、意外にしくみはシンプルだということです。

例えばコードの色や太さ、形状によってパターン化できる部分があるでしょう。電流や電圧の大きさに比例してコネクターの形も変わります。想定できるケースをあらかじめ増やしておくことで、想定外にも難なく対処できるようになる。できる限り一般教養レベルまで落とし込んだキーワード設定を心掛けてきたつもりですが、果たして。

大学入試問題、それこそ東大京大レベルの超名作と呼ばれるような設問を解き終えた瞬間にも似たカタルシスがあるのかもしれませんね。難しさと美しさは裏表の関係。拙者内部進学組としては高みの見物というか、負け犬の遠吠えというか。多様なリズムに触れ多様な観点を養うことで、挽回できる場面は少なからずあるのだろうと。

Animals As Leaders/Another Year/2014

「同一拍子内で拍感だけを変化させる」手法について、実践例を交えながら解説していきましょう。Efterklangのコラムでもさらっと言及した内容。要点だけ繰り返すと、9拍子というフォーマットは3+3+3か5+4あるいは4+5という割合でリズムを刻むのが主流、しかし同割合内で演奏されるケースがほとんどである、曲内で割合が変化するようなケースは稀。

稀なケースにもちゃんと実践例がある。何気なく聞き返したAnimals As LeadersThe Joy Of Motion』の中にバッチリ見つけちゃいました。プログレメタルの貴公子Tosin Abasiが鳴らすリズミカルでメロディアスな世界。Matt Garstkaのドラミングにも時代の耳がどんどん追い付きつつある感じがします。

以前ご紹介した7拍子のお作法をそのまま当てはめて考えてみて下さい。つまり主流となるリズム割りは4+3あるいは3+4の2つ。今回はそれが交互に押し寄せる特殊ケースとあいなっています。どういうことか。AメロとBメロだけを繰り返し聞き比べてみましょう。同じ7拍子ですが文節分けできるポイントが微妙に変わっています。

つまり前者が4+3のパターン、後者が3+4のパターンを採用している。シンコペーションの陰に隠れておもわず見落としてしまいそうなギミックですが、実に仕事が細かい。モーダル進行でありながら確実に場面転換が行われていることの現れ。繰り返されるフレーズがトランス感覚をもたらすというのはどこかダンスミュージック的ともいえる。

4+3と3+4という2パターンを仲立ちする役割でしょうか、BメロからAメロへ戻る最後の小節にだけ4拍子が取り入れられている。前述の「フィルイン」概念がここでも登場。小細工が本当に洒落てます。システムを単純化しすぎることは些か音楽の楽しみ方を狭めることにも繋がりかねませんが、すべての仕掛けに意味があり理由があるのだと信じたい。

Gretchen Parlato/Weak/2009

リズム/ドラム分析のためのロジックツリーに新たに加えていただきたい考え方「数列的」について。これも以前どこかで書きました。主宰は法学部卒にも関わらず猛烈な文系でして、数字を操って何かそれっぽい語り口で人をだまくらかしてはほくそ笑むという性格の持ち主ですが。正直言うと数字が大嫌いです。考えたくもない。

「数列的」と絶妙にお茶を濁したのもそのためです。この曲が取り入れた「数列的」発想の源が果たして階差数列なのか等差数列なのか、いよいよ判別し切らんかったというオチ。冒頭のKendrick Scottのフレーズ感からもわかるように軸をずらそうとする魂胆が見え見え。後のAaron Parksシンセサイザーが疑念を確信へと変えます。

小節を跨ぐ長い音符のフレーズは、設定された曲のテンポよりも速度感を覚える。歌い出しに独特なタメを感じるポイントがありますよね、都合ここを「初項」としましょう。タメることで生まれた拍感のズレを残し、まったく別パルスのフレーズを上塗りしていく。ここが「公差」ということになろうかと思います。文系なのでだんだん不安になってきました。

登坂車線、追い越し車線があるように様々なパルスが付かず離れずの距離感で並走していく。こういったタイム感は00年代最後を飾る年のJAZZ界にとってはまさしく新風で、老若男女問わずリスナーを虜にしたと思います。現代社会はあおり運転厳禁ですが、こと音楽の世界に限ってはヴォーカルが焚き付けるもよし、リズム楽器隊が急き立てるもよし。

つまり「数列的」アプローチに音階楽器もリズム楽器も関係ないということです。限りなくフラットな発想。しかし楽譜に並べられたオタマジャクシ達とにらめっこしているだけではなかなか身にならない分野かもわかりません。感覚的にでも実践あるのみ。ガチガチの文系だってここまで考察を落とせるわけですから、心配ありません。

Earl Greyhound/Monkey/2006

「同一拍子内で小節感だけを変化させる」手法、もはや掲げるトピックスも間違い探しの領域に入ってきました。アルバム『Soft Targets』は主宰目線、2006年を代表する盤と断言できます。ブルックリン出身の3人組バンドとして注目されていましたが、2012年のEPリリース後は活動履歴がありません。解散してしまったんでしょうか。

以前「拍感だけを変化させる」手法を取り上げましたが、今回はリズム分析というよりむしろ楽曲構成の分析にウェイトを置いて話が進んでまいります。4+4+4の3小節、計12拍をしっかりたっぷり使って歌い上げる強力なギターリフが当楽曲の屋台骨。イントロを聞くだけでヘビーなサウンドのバンドであることがわかります。どこかツェッペリン的。

AメロとBメロの境目は非常に曖昧な印象。Aメロ’とみるべき構成かもしれません。他方、サビとの県境を見分けるには前述の「フィルイン」理論を使えば一目瞭然。12拍サイクルで進行してきた流れが突如オーソドックスな4拍子に変わるポイントに気が付きます。このノリがサビ後半まで続きタイトルの「Monkey」が聞こえる辺りから元の12拍サイクルに。

これは着眼点による違いなのかもしれませんが。例えば小節感の伸び縮みではなく拍感の伸び縮みに基準を定めた場合、当楽曲は4拍子一辺倒から6拍子+4拍子という変則的な構成にガラリと姿を変えます。星野源「ミスユー」とまったく同じ枠組み。細かな解釈の違い、異なる解法から導き出された結論ということになります。

英文法問題のように、数学問題のように別解がいくつも存在していることの裏返し。ただ別解とは言いながらまったく異なるプロセスを踏んでいますので、額面上は同じでも別物のニュアンスにすら感じられます。リズム/ドラム分析は実に奥が深い。しかし同時に落とし穴がいくつも潜んでいる。徐々に深みにはまり始めた感がありますね。

Cornelius/Point Of View Point/2001

まさにここまでの約40稿を駆け足で振り返るにはもっていこいの、総集編的内容。とりあえずの一区切りとして。2001年リリースの『Point』2曲目より。渋谷系の申し子として業界に参入、実験音楽とポップソングの融和を図りながらの21世紀初パッケージ発売。はからずも自身の音楽活動を総括するような充実の作品となっています。

文節分けにも意味段落にも薄いブラインドをかけたような無調なドラミング。縦割りのギターリフやヴォーカルトラックすべてがリズム楽器として意味を成す。複合拍子の妙。文系であり理系。拍感のズレと親和性の高い「数列的」志向に至るまで。すべてはこの曲を紹介するための下準備だったのではないかと疑うほど。まさに総決算。

これらがすべて2001年時点で小山田圭吾氏の頭の中にイメージできていたという事実にまず驚かされます。曲中のあらゆる「Point」を一筆書きで繋いでいく作業。あるいはすべて結ばず残しておく「Point」があってもいい、順序や方法におそらく正解はないのでしょう。リスナーの手の中にすべて委ねられ、あらゆる「Point Of View」が許容されている。

入稿時は2020年、来年でリリースからちょうど20年目という節目にあたります。主宰が前述したリバイバル文化の指摘がもし正しければ、20年代は間違いなく『Point』の再評価/再発見が加速度的に進む10年間になると思います。いやすでに始まっているのかも。そうやって音楽業界全体で脱構築/再構築が進んでいくのでしょうね。楽しみは尽きません。

何かすべて終わってしまいそうな雰囲気になっていますが、引き続きpart2、part3と進めていく計画がございます。正直なところ終わりどころを見失ってしまったと書いたほうが正確かもわかりません。あんな切り口やこんな角度の視点があるじゃないか、と思い付いた瞬間ペンを執るスタイルで、今後もゆったりまったりやってまいります。

—————–(キリトリ線)—————-

GRAPEVINE/公園まで/2003

「ドラマー名作曲家説」当ブログもひと段落させまして、以降は趣向を変えてやや番外編的に。とはいえ内容は濃くの精神で。2003年リリース、もはや知らぬ人はいないGRAPEVINE不朽の名作『イデアの水槽』から。作曲・亀井亨。GRAPEVINEの楽曲そのほとんどを亀井氏が手掛けていることは、もはや周知の事実でしょう。

アルバムの11曲目を飾る哀愁漂うナンバー、是非歌詞カードと照らし合わせながらどうぞ。これぞバインといういかにも外堀から埋めていく、回り道をしながら愛の言葉を伝える名曲。一生白米がおかわりできそうな田中和将節も冴え渡ります。音楽的手法としてテクニカルな点といえば、やはりサビ前のブリッジにおける7拍子フレーズでしょう。

歌詞でいえば「その手を満たすもの/偽りないものを」の部分がそれにあたります。7+7+4拍子という3小節間、計18拍分からなるブロックです。拍でいうと14拍目、ちょうど4拍子に変わる境目で、ハイハットオープンを契機に「アタマをくう」リズムを挟み込むことにより、絶妙に軸ずらしされています。

心地良い違和感は、当然目を引くための工夫です。淡々とした中にもオーガニックな響きを感じさせる、これぞバインというサウンド。当アルバムで印象的に映る楽曲といえば「豚の皿」になるでしょうが、主宰長年のファン目線では、どうしても亀井氏の類稀な作曲センスが光るこちらの楽曲を推させて下さい。

補足すれば、メロパートが一度しか曲中に登場しないのもバインではよく見られる構成。例えば『Sing』収録の「CORE」がそうですね。二度目のブリッジではさらに7拍子の時間が増え、7+7+7+4拍子の4小節ブロックに。該当歌詞は「その目に映る事~」の部分です。テクニカルでありながら素材の味を生かす老舗料亭のような音楽。箸が進む進む。

平井堅/KISS OF LIFE/2001

2ステップ・ガラージ(以降、2ステップと表記)」一世を風靡したドラムパターンを番外編的に取り上げます。長いJ-POP史における「2ステップ」曲の代表例といえばm-flocome again」、CHEMISTRYPoint Of No Return」と当楽曲。若干煽る意味も込めて、三大巨頭と申し上げておきましょう。厳密にはもっと沢山あるのですが。

長くイギリスを中心に発展してきた「サブジャンル」で、1999年頃から商業ベースでも大成功を収めたという当時としては稀有な例だったのではないかと記憶しています。話のミソになるのは「サブジャンル」であるという点。ダンスミュージックが細かく分化、枝分かれしてきた長い長い激動の歴史を紐解いていく必要があります。

都合簡略化して説明しますと、4つ打ちの音楽は90年代大きく二派に分かれていきます。平たく「音楽は積分するもの」「音楽は微分するもの」という対照的な立場だったとしておきましょう。前者の流れを汲んだ例はSquarepusherAutechre、「2ステップ」を含むミニマルな仕上がりの音楽は後者の流れといえます。

「2ステップ」の2は「2倍の周期」を指しています。主にバスドラムに注目して冒頭挙げた三大巨頭を聞き比べてみて下さい。共通する特徴として①バスドラムが2・4拍目で鳴っていない②バスドラムの周期が比較的ゆったりしている、言い換えれば2倍に引き伸ばされていることがおわかりいただけるはずです。

諸説ありますが、と都度都度書かなければいけないほど多様な理解/解釈のあるジャンル。それほど普遍的で奥行きのあるサウンドである証明ですね。音楽業界のリバイバル周期的に考えても、議論を再燃させるのにこれ以上のタイミングはありません。むしろぼちぼち来始めてますよ、Jorja SmithとかLucky Kilimanjaroとか。

Calvin Harris/This Is What You Came For ft. Rihanna/2016

EDM茶の湯説」ダンスミュージック狙い撃ちの番外編。パリピの勢いに押されやや俗物化/平均化してしまった感のあるEDM。自分勝手な再教育の必要性に迫られ筆を執った次第です。実はたいへん「お行儀良くお作法に厳しい」ジャンルであることを証明し、なんかあのノリ苦手なんだよねー層を秒で振り返らせるための5行コラム。まいります。

長いダンスミュージック史の中で培われた「曲の盛り上がり=音を積分する」発想。広くEDMのスタート地点はここです。それでいて特徴的なのは、必死に積み上げた音の数々を、だるま落とし的にサビで取っ払ってしまう点。ジェットコースターのような高低差に、数え切れないほどのパリピが見事に打ちのめされました。ジャスティスウェーイ。

EDMという響きそのものに拒否反応を示してしまう層の大半が、この「退屈なフォーマット」に辟易しているという現実がある。しかし考え方を変えてみて下さい。ここまで「フォーマットに忠実」であるということは、高度に情報化した現代社会においてむしろ誇るべきこと。風紀を乱す人間が少なからずいたっておかしくはないはずです。

事実、べつに風紀を乱す意図はないもののEDMにも少なからず分化の波が押し寄せつつあります。Future Bass等々、マス向けコア向けに縦横無尽といった様相。流行り音楽と誤解されがちなジャンルではありますが、根底にはダンスミュージックの系譜がしっかり地続きになっているということは是非頭の片隅にでも。

現代社会にメス。つまりもはや「EDMは茶の湯」の境地なのであるから、リスナー層にもそれ相応ジェントルな楽しみ方が求められて然るべきです。楽しみ方の幅はできるだけ狭めない、しかし度が過ぎた楽しみ方にはちょくちょくと異論を呈しながら、ジャンル発展を物陰より静かに見守ってまいりたい所存です。

JUDY AND MARY/Rainbow Devils Land/2001

TAKUYA作曲。バンド解散というゴールが見えてもなおこの創作力、振れ幅の大きさ。むしろ終わりが見えてからが本当の始まりということか。主宰が小学生の時分に聞いた、ジュディマリ最後のスタジオ盤『WARP』のオープニングを飾る衝撃作。生ドラムとリズムマシーンのサウンドを、同期させずあえて分離させたままで進行していくという逆転の発想。

水と油。バンドサウンドと打ち込みサウンドをはっきりと区別し、あるいは交互に見せることで場面転換や曲の色付けに生かす。アルバム後半に収録された「ラッキープール」でも同系統の手法が採用されているように映ります。しかし後者でのみドラマー五十嵐氏リズムマシーンに合わせ微かに叩いているようにも聞こえる。その真意は何か。

つまりアルバムタイトル『WARP』を体現しているのだと思います。つまり最初は水と油だったものが、ストーリーが進行すればするほど純化あるいは混ざり始めたという証拠。ワープの途中で突然変異あるいは空間の歪みが生じたためか。何かそういった時間軸、細かな変化を感じさせるサウンドメイクでした。

メンバー間の軋轢、金銭問題等々解散理由をめぐるゲスの感繰りは尽きませんが、こうしたサウンドメイクの部分が大きな要因となった可能性も否定できないと思います。つまり打ち込みサウンドとの同期や融和、バンドサウンドとの差別化あるいは決別。世紀末から21世紀へという時期にリリースされた音楽ならではの葛藤が見えるアルバムです。

Oasis/The Shock Of Lightning/2008

解散繋がりというわけではありませんが、個人的フェイバリット。事実上のラストアルバムとなった『Dig Out Your Soul』はもうなんというか、やっつけ仕事といえばやっつけ仕事、ストレートアヘッドといえばストレートアヘッド。2人の作家の二面性がよく音に表れていて面白い1枚でした。シングルカットされた1曲より。

2人の関係が冷えついていない時期を探すほうがむしろ難しいのかもしれません。喧嘩するほど仲が良いなどと言いますが真偽やいかに。ともあれドラム解説に移っていきますと、基本形のリズムは4分音符主体のものと8分音符主体のもの、いわゆる二段構成になっていると思われます。ざっくりと前者を上半身、後者を下半身でまかなっています。

王道のUKサウンド、ある意味では手垢のついたフィールであるともいえます。ハイハットスネアが4ビート、バスドラムが8ビートという前後輪異なるパルスを鳴らすサウンドがなんとも心地良い。間奏部分での16分音符乱れ打ちも、これ以上ない曲のアクセントになっていますね。打楽器奏者にはお馴染み、徐々に音符が細かくなる「チェンジアップ」の手法。

かなりマニアックな話になりますが、ハイハットのオープン加減も「さすがわかってるな」と思わせる点。トップとボトムを同方向に揺らす程度、わずかに左足のつま先を上げる。逆方向に揺らすと倍音が目立ちシャンシャンした出音になってしまう。倍音は抑えつつ程よくトラッシー。このほんの少しのこだわりが完成形を大きく変えることに繋がってきます。

対照的に、シャンシャンした音色はすべてトップシンバルに一任されています。細部まで徹底された分業、役割分担。かといってtoo muchにならないバランスの取れたドラムサウンドに落ち着いている。このあたりの棲み分けが本当に見事です。こればっかりはエンジニアさん含め匠のなせる技だなと。ジュディマリ同様、解散後は一切共演歴のない2人ですが。

TRICERATOPS/赤いゴーカート/2006

分量の都合上、あるいはなし崩し的に20曲単位でpart分けする運びとなりましたのでこの曲で最後ということになります。単純に、主宰の推しドラマーをご紹介する形で締めです。たまにはこういうのもいいやね。2006年発売のアルバム『LICKS & ROCKS』より。吉井和哉氏のサポートをはじめ、あの山下達郎氏も太鼓判を押す泣く子も黙る名手・吉田佳史

2000年代以降の音源のみで構成されるという縛りプレイが継続中ですので、トライセラのあんな名盤やこんな名盤がもれなくご紹介できない状況。涙。とはいえカッコ良いドラマーとはつまり8ビートをカッコ良く叩けることなんだと思い知らされる、おもわずため息をつきたくなるほど見事なドラミング。足し算と引き算のバランス。

バンドのコーラスワークを支える超美声の持ち主でもあり、ドラミングというものはまた歌心そのものなんだと思い知らされる、以下省略。ライブ単位でも楽曲のアレンジを大胆に書き換え、自分史更新に余念のない3ピースバンド。1人も欠けることなく活動が続いていることもまた、ファンにとって嬉しい悲鳴です。いまや上野樹里さんもファミリーに加わって。

ややこじんまりとしたレコーディングブースで収録されたとおぼしき、アットホームな音場も仲の良さ、距離感の近さをうかがわせます。音楽的ルーツ底なしの和田唱氏をして、ここまでパワーコード全開の楽曲は珍しい。「赤いゴーカート」からくる幼少期の思い出、青さや甘酸っぱさがこれでもかとキャンバスいっぱいに塗りたくられている。

締め括りに入りつつpart3の展望についても。キーワード方式にもそろそろ限界が。漏れなくダブりなくのつもりが漏れまくりダブりまくっている悪循環にも耐えかねて。ドラマーをピックアップし掘り下げる形式もありなのかな、などと及び腰になっております。腰が引けに引けております。ワンチャン持っていかれるレベル。引き続きご愛顧のほど。

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