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読書メモ15 レジリエンスの時代ジェレミー・リフキン著 第10章

第10章レジリエンス革命のインフラ


リフキン世界観はどうなっているのか?本書を9章まで読み、第10章にかかる時、デカルトリフキンの違いを考えて置かねばならない。

リフキンの視点を、予断で整理する。
1、【インフラ革命が時代変革を先導する】
2、【社会は一個の生命体の如く自己運動する】
3、【個人は、近代的主体者ではなく、社会の有機的構成要素だ】

「万能の主体」として、世界宇宙の主導権を「」から奪い取ったつもりでいた近代。それが終わろうとしている。

そこでは、本当に主導権が「」から「人間」へ、そしてまた「何者か」に、移動していくのだろうか?
それとも、人間からの「観方」だけが変わって行くのだろか?

観方」だけが変わるとして、それだけで人間の力、「破壊力」は コントロール出来るのだろうか?

10章以下、自動運動の記述は詳細だが、それに関わる「レジリエントな主体」が、どのように可能なのか、自動生成するものか、「主体的」意識革命を要するのか、分明ではない。
         光


伝達の新しい形態、エネルギー動力の新しい源泉、輸送ロジスティクスの新しい様式。これら三つのインフラ革命が人々の経済生活や社会生活や政治生活を根本から変える」(p.276)

「一九世紀には、蒸気印刷機電信、豊富な石炭、国内の鉄道網を走る蒸気機関車第一次産業革命を引き起こし、都市居住地や資本主義経済、国民国家政府が監督する国内市場を誕生させた。

二〇世紀には、中央集中型の送電網、電話、ラジオ、テレビ、安価な石油、国内の道路網での内燃機関を使った輸送、内陸の水路、海路、航空路が合わさって、第二次産業革命と、郊外居住地やグローバル化や国際的な統治機関を生み出した。

今日、私たちは第三次産業革命のただ中にいる。デジタル化されたブローバンド通信インターネットが、太陽光発電と風力発電の電気が流れる、デジタル化された大陸内エネルギー・インターネットと融合しつつある。

これら二つのデジタル化されたインターネットは、デジタル化された移動・ロジスティクス・インターネットと一体化しつつある。移動・ロジスティクス・インターネットは、電気自動車と燃料電池車などの乗り物から成り、それらの乗り物は、エネルギー・インターネットから供給される太陽光発電と風力発電の電気を動力とする」(p.277~)

「アメリカの生化学者ローレンス・ジョセフ・ヘンダーソンのものとされる、よく知られた言葉がある。『科学が蒸気機関に負うところのほうが、蒸気機関が科学に負うところよりも大きい』」(p.280)
蒸気機関が科学を産み、産業インフラが資本主義を産んだ。(リフキンの認識)
最初の二つの産業革命のインフラは、中央集中化するように設計されており、ピラミッド型のトップダウンで運営され、幾層もの知的財産権と物的財産権によって囲い込まれているときに、最もうまく機能した。また、中央集中型のインフラは、高い投資収益率を確保するために十分な『規模の経済』を生み出すように連携している諸産業による、垂直統合型の『規模の経済』に有利だった。そのおかげで、各産業や部門で、一握りの先発企業が、新興市場を掌握して支配することができた」(p.281)
第三次産業革命のインフラは、垂直方向ではなく水平方向に拡張するように設計されている」(p282)
そのために、社会は自動運動として、水平、分散、協調の方向へ移行する、と。
その様に、リフキンは主張する。

1、指を咥えているだけで良いのだろうか?
2、欲望に従って、そちらに行くのだろうか?
3、「主体的」に意図して 行動する事で、そうなって行くのだろうか?

「絶対的主体性」を持たぬ人間、「理性的」ではない人間の、本当の行動特性、社会行動性がどの様なものであり、私たちが、「主観的意識主体」として、どう行動すれば良いのか、そこを解明したい、と思ってしまう。(可能か?不可能か⁇)  
       光





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