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読書メモ6 リフキンを読むに当たって
ここでまとめて私見を述べておく。
①リフキンを読むに当たり、これからを考えるに当たり、進もうとする時の出発点を考え直す必要がある。
②世界観、宇宙観の拠り所、権威は、「長老」から、「宗教」へ、「宗教」から「哲学」へ、「哲学」から「科学」へと、移行してきた、と考える。
③現状の出発点は、デカルトに発する分析理性だと思う。個の独立、理性の優位、自由意志...(勿論日本人として、東洋的感性、全体観などが基層にはあるが)
④ところが、分析理性の素晴らしさによって、分析理性の限界が明らかになって来た。
⑤科学の現状として、熱力学、相対性理論、量子力学、複雑系など。全てが繋がっているように見える。大統一理論が出来るのか、不可能なのかが分かっていない。
⑥しかし、はっきりしているのは、独立した「存在」という概念が成り立たない。個別の、それだけで在る、確固たる「存在」という概念が。
⑦意識、理性は、無意識の脳機能の上にのった、後発機能で、少なくとも理性については線形構造をしている。
⑧意識は生体の機能で、本来行為によって検証、修正されるものであった。
巨視的には、生命史のスケールで、自然選択されてきた機能であり、自然選択によってだけ、有効性(正しさ)が保証される。
⑨人間の意識は、意識の中で行為〜検証をシュミレート出来るようになった。しかしその検証が妥当かどうか保証はない。
⑩無意識の脳機能はたぶん非線形的なのだろう。
無意識の脳機能の研ぎ澄まされたものが、直感とか、勘とか、ひらめきと呼ばれるものだろう。
⑪意識は、自己完結するものではない。本来、行動とループになっている。行動は、環境からのリアクションを受けて、意識にフィードバックする。
その円環のシュミレートを、意識内部に取り込む事で、人間の意識は作られて来た、のではないか?
意識の、内的整合性による「正しさ」の正しさは、自然からの検証を必要とする。
⑫経済学、哲学、社会学、法学等は、自然科学と矛盾しては成り立たない。けれど、現状の基盤はデカルト、ニュートン的なままだ。
⑬従って、小手先の修正ではなく、根本的組み直しが必要とされている。
とても荒削りで、間違いもあると思うが、大筋こうなのではないだろうか? 光
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