眞山 美香

書評、エッセイ、小説など

眞山 美香

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最近の記事

短編小説: 間違えた恋人

 寒い朝に、食パンを一切れ取り出す。八枚切りのそれは薄っぺらくて、この後の仕事の量を考えてから三枚をトースターの網に載せる。焼き上がると、紫帆ははじめにピーナッツバターを厚めに塗り、それからバターナイフを替え、薄く苺ジャムを塗った。母はいつも一つのスプーンを使っていたから、ジャムの瓶にはいつもピーナッツバターが当然のように混じっていた。  「またそれ」  キッチンに顔を出した雪彦が、背後でスーツのジャケットに袖を通しながら覗き込む。 「よくそんな甘ったるいもの朝から食べるな」

    • 愛についての覚え書き 03「あちらにいる鬼」

       たいていの妻はこんなときには行かずに、かわりに夫を問い詰めたり詰ったり泣きわめいたりするものだということも知っていたし、「たいていの妻」がどこにいるのかもわからないと思っていた。私にとっては行くことがいちばん簡単だった。なぜなら自分がすでに篤郎を許そうとしていることがわかっていたから。                     「あちらにいる鬼」井上荒野  許せることと許せないことの線引きはひとそれぞれだ。あるいは許せないけれど許してしまうこと、許せるけれど忘れられないこ

      • 愛についての覚え書き 02「東京を生きる」

        そしてまたひとりの部屋で、ベッドの横の小さな灯りだけをつけて眠るとき、私は自分の孤独が、もう誰と恋愛しても埋められないほど深くなっているのではないか、と思う。「そもそも孤独というのはそういうものだ」と言う人もいる。誰にも埋められないのだと。私は誰かと愛し合えれば孤独を忘れられる瞬間があるのだと信じていたし、たぶん、まだ信じている。                       「東京を生きる」雨宮まみ  人が孤独に陥り、寂しがっているのを見て、醜いと思ったことはないだろうか

        • 愛についての覚え書き 01「全部を賭けない恋がはじまれば」

          "どこまでも逃げる人生って、悪くない。途中で何か幸せなものに引っかかるはずだから。いい思いをしながら停止することがあるから。 そのループの中で、ずっと生きていって。"   「全部を賭けない恋がはじまれば」稲田万里 全速力で走りだす、あの感じ。滑り出す、魂が吸い寄せられる、引っ張られる、引力を感じる。林檎がすとんと落ちる身軽さで、心が持っていかれる。ここにいるのに、あちらにいる。そんな風になってしまったらもう止まらないから、その手前で留める。ストップ。もうこの先には行かない

        短編小説: 間違えた恋人

          三人姉妹 眠る東京 2

           愛や恋というものについて、切実にに考えたことがあっただろうか。  桜子にとってそれは、いつも身近にありながら、決して触れることはできない通り過ぎるやさしい風のようなものであった。あるのに見えないもの。あると知ってはいるけれど、おそらく手に入ることはないだろうもの。そして、きっとそれでいいのだろうと思っていた。優しい風は、嵐のそれのわずかな残りかもしれなかった。甘いだけのものなどこの世にはない。愛はいつも底なしの欲望のように闇を孕んでいるように見える。幼い頃から、わたしたち姉

          三人姉妹 眠る東京 2

          三人姉妹 眠る東京1

           軽薄な音楽が最大音量で空間を支配して、その中で踊る人々の思考を遮断する。何かから逃げるようにして地下へ潜り込むのに、その何かを明確にすることは誰もしていないように見える。  誰が入れたのか分からないのに次々と配布される名前だけは知っている高価なシャンパンと、何の疑問も持たずにそれを笑顔で受け取る女の子たち。誰も彼もが身に纏っているのは一目に高価なものだと分かるスーツ、ドレス、バッグにアクセサリー。それらが有名なハイブランドのものだと分かるのは、皆似たようなものを身につけてい

          三人姉妹 眠る東京1

          愛の言葉のその種類 「別れる決心」パク・チャヌク

          言葉というものはとても厄介なもので、それのために苦悩したり勘違いしたり早とちりをしたりして、そのために苦労することがある。 私は時間があれば本を読むかツイッターアプリを開くかあるいは音楽を聞いてその歌詞について空想を拡げたり、映画やドラマのセリフをいちいちメモして大事にとっておいたり、言葉というものに傾倒し、それなしでは人生なんて生きてはいけないと思うのだけれど、それでも普段言葉を扱うのにはかなりの労力を使っている気がする。 それはやはり、幼いころより言葉が伝達のツールとして

          愛の言葉のその種類 「別れる決心」パク・チャヌク