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説明会に参加して、筆記試験を受けながら、ああこんな問題出るんだ。。。を繰り返しては不合格の日々。


まあ後追いですしね、同じ質問が出る訳ないなんて思っていたら「あら?この問題見たことあるぞ」ってのがチラホラ。筆記試験のハードルがそう高くないんでしょうね、そんな感じのところから1次面接のお誘いが。でも「履歴書持参」って。。。


次のハードルが履歴書でした。当然です。「負け犬を証明することができた剣道」しか書くことがないってのも惨めですが、「自己PRも学業も学生時代に力を注いだことも全部剣道だし!」って。「どの項目も同じ内容になるやん!」みたいな。


わからない。


かろうじて、学業が卒業論文で書いた内容を。ちなみに卒業論文の剣道のことですしね。竹刀の在り方について書きました。(てか4年生ですから、卒論はそこそこ進んでおりました。僕がいつから就活をはじめたのかはこちらから)。


で、自己PRは「上下関係系」、学生時代に力を注いだことは稽古(練習)系で、恥を忍んでそれはそれは謙虚に書きました。苦しかったですね。「は?何これ?こんなレベルで抜け抜けと・・・」みたいな自虐しながら書いていました。


資格の欄なんか書くことがないので剣道の段位を記入。面接官に「それ資格じゃねーしwww」って笑われたこともあります。(あ、もちろん「おお!」って評価してくださったところもありますけどね。人の記憶って嫌だったことが多にして残りますしね。)


まあ受かりません。書き方がわからなし、面接で質問されても「大したことありませんが」という枕詞を連発し続けていましたから。


というか、最初の方の自己PRは「どんなに殴られても立ち上がりました。」とか「右の頬を殴られたら左を差し出す根性があります。」とか、そこまでドストレートには書いてなかったですが、まあまあ同じニュアンスのようなことを書いていたように思います。(そしてこれを頑張って話していたように思います。)


「あなたはどこに就職したいのですか?」


企業からこんなツッコミをされたことも記憶しておりますしね笑。(その気持ちはこの仕事を始めてとてもよく理解できます。)


「どう書いて、どうアピールすればどういう反応されるのか」を繰り返して当たりを付けていく活動をずっとやっていました。


疲れますよ。だって何が正解かわからないし、場合によっては(例えば資格)、企業によって良し悪しの反応が違うわけですしね。「どっちだよ!」って思います。


受ければ不合格通知。この連続です。ポストに入っている茶封筒を開封すると不合格通知ばっかり。もうそれが嫌で嫌で。

通知を受け取り、仏壇の前で手を合わせて「じーちゃん、ばーちゃん。そろそろお願い」って神頼み(先祖頼み)をしました。写真のばーちゃんがニコって笑った気がしたので、楽しみに開封しても「不合格」。「なんで笑ったんだ、ばーちゃん!」って仏壇に逆切れしたこともあります。


精神的に病んでいたんだと思います。就職活動って、人格を否定された気持ちになり(まあ、大半は自己分析でそう思い込んでいるんですが。)ここまで傷付くんだなって。本当嫌でした。


こんなことを繰り返して、僕は「OB訪問」というやり方があることを知ります。


次に続きます。






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