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読書:「仕事の辞め方」を読む。

表紙の一文に目が釘付けになりました。
「40代からソフト老害」
衝撃すぎて・・・。

私が現場の仕事を辞めたのは、
自分が老害になりそうで怖い でした。
あの頃、この本に出合ってたら、何か変わってたのかな?
そんなことを思いながら、一気に読んでしまいました。
題名は『仕事の辞め方』ですが、
ー 仕事への向き合い方
ー 人生と仕事
ー 生き方・生きざま
もっと深いテーマが隠れています。
30代の頃に出合いたかった本でした。


「ソフト老害」は早期から自覚したほうが良い

老害って、
被害者視点(される側)で表現することが多いですが
加害者になっていたなんて自覚がありませんでした。

30代後半から40代は、
上司と直で話し合えたり、
後輩や部下に指導や管理らしきこともしたり、
大きな会議に参加して、時には意見が言えたり、
20代の頃よりワンランクアップした
「THE 大人」の世界の仲間入りを実感してました。
自分が会社を回しているみたいな錯覚に陥ってましたね。
部下や後輩に
「気持ちはわかるけど、会社の方針だからそれはできないかも・・」なんて言った経験もあります。

中間的な立場で全体のバランスを取っているつもりが、
次第に「大人たち」の意見に引っ張られていたんだ。
この「大人たち」が老害を蔓延させると、
部下や後輩たちの感性が育つ環境は作りにくい。
「大人たち」の老害を非難しつつも、
見て見ぬふりをしたり、微妙に忖度したりと
老害が蔓延る環境維持の片棒を担い、
「ソフト老害」をする加害者側だったのだと・・
「はっ!えっ!・・やばっ!まじ!」を繰り返したくらいショックでした。

“〇〇しなきゃ”を積み重ねると ワクワクしなくなります

自分のキャリアアップのために、
必死で集中して、頑張った時期が人生の中でいくつかありました。
今、思い出してみると
毎日忙しかったけど、
半端ないほどのワクワク感が蘇ってきます。

この経験って、大事だったと思います 本当に!

今の自分の仕事、これからの仕事を想像して、ときめくかどうか?
「これから10年。今の仕事をしている自分がワクワクするかどうか?」が大事なんです。

仕事の辞め方 本文より

私は「学びたいワクワクがあるかどうか」をイメージしていて、いくつかの転職のきっかけはすべて「学び」がキーワードでした。
無理して、自分を奮起させないとワクワクしなくなって来たら、潮時だと思います。

「好奇心力」を鍛えよう~付箋は貼っておく~

全てこれまでの人生で、興味があったり、途中までやったけど、やめていたこと。拾えていなかったパズルのピースを拾っていき、今の自分にハメていくと、また新しい発見があると思っています。

仕事の辞め方 本文より

人生の中でちょっとでも好奇心が揺さぶられたら、
忘れないように、心に付箋を貼るようにしています。

不思議なもので、何十年たっても
心に付箋で残したものは、
何かの拍子にふっと思い出します。

「今の自分にハメていくと、また新しい発見があると思っています」

この表現がとても嬉しく感じました。

付箋で貼ったところを振り返ると、
自分にとって最適なタイミングでピースがみつかり、
パズルにハマる!

可能性や選択肢はたくさんあったほうが楽しいし、
何より安心。
今の自分は、過去の自分ではないのだから・・。
未来の自分のためにたくさん、付箋を貼って
ここぞのタイミングでピースをはめにいきたいものです。

縁が円になる(これが大事!ほんとうに!)

40代では、特に「縁の円」を増やすことが大切ですと語られています。
まったく、まったくその通りです。
私は、
「嫌なら切っちゃえ!切っちゃえ!次はもっと良い縁が来るはず。」
本気でそう思ってたし、後輩や友人にアドバイスもしたこともありました。
バッサリ切り捨てるやり方イッポンでやってました。

人生にも限りがある。
出合える「縁」にも限りがある。

せめて、
縁の切り方くらいは、
一刀両断以外の方法を考えるべきだったと・・。
縁については、いろんな言葉が最近目につきます。
今頃になって本当に後悔しているからです。

小才は 縁に出合って 縁に気づかず
中才は 縁に気づいて 縁を生かせず
大才は 袖すり合った 縁をも生かす

柳生宗矩(徳川将軍家 兵法指南役)

「袖すり合うも多生の縁(そですりあうもたしょうのえん)
【意味】知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも前世からの深い因縁であるということ。

故事ことわざ辞典より


【私の考察①】もしあの頃、ソフト老害を自覚していたら何か変わったのか?

もし、私が30、40代でソフト老害を自覚できていたら、
何か変わったのだろうか?

  • 人のせい(特に上司や会社)にする癖が解消できた。

  • 自分の立ち位置を俯瞰で見れる目が養われていた。

  • 快適な環境(職場や人間関係など)作りに真剣に取り組んでいた。

被害者から実は加害者であったという
立ち位置の変化は、まるで真逆の世界を見ているよう。
振り返ると「〜あるべき」「どうせ無理」みたいな
固定観念が自分の中に形作られ始めた頃でした。  

この頃に、この本に出合っていたら
俯瞰で物事をみる訓練ができただろうし、
バランス力のある大人になれたかもしれない。

【考察②】もしあの頃から、縁を大切にしていたら何か変わったのか?

もし、私が30、40代で縁を大切にしていたら、
何か変わっていたのだろうか?

  • 豊かさの質と量が大きく変化した。

  • 知的好奇心に刺激が与えられ続けていた。

  • 幅広い世代の縁がつながり広がった。

  • 隠れた才能が発掘された。

自分の可能性がもっと大きく広がっていたと思う。見える景色が、全く違うものになっていただろうし、感性がもっと豊かになっていたと思います。

後悔ばかりですが、まだ人生は続くので
やれそうなことは、今からでも挑戦していきます。

30代40代、いや20代のみなさんも、
この縁を大切に、自分の可能性に気がついてくださいね。
人生を自分を俯瞰で見ようとする努力は、続けていきます。














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