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021.スプーン1杯の認知症

少しだけ認知症の母との時間に心に浮かぶ言葉の徒然

先日、母を連れて出かけた、スプーン1杯くらいの認知症の母は、機嫌が良かった。月に一回の検査で、前回よりテストの点が良かったそうで、本人曰く「あれだけ脳トレしてるんだもの!当たり前やろ!だから、びっくりしている先生に、『あ~そうですか』って、冷静に返事したよ」といたずらっ子のように笑った。

「周りの事も、気にしてよ」と車の運転しながら心で呟いた私。

その二日後、近くのショッピングモールでお好み焼きを二人で食べに出かけた。まだ空腹でない母と本屋でウロウロしていたら、脳トレの本の前で立ち止まって立ち読み禁止の張り紙を見ながら「脳トレの本、家にあるけど、すぐ飽きるんよね。なんか気持ちが落ち着かないんよ・・・なんでやろか?」と小声で言った。辛いだろうな、と思ったが『ま~もう面倒なことせんで、気楽に生きなさいってことやろ・・・』としか言えなかった。まだまだ、未熟だなと思った。

正解はないけれど、少し気になった。

母は、よくこう言う。「結婚してから、苦労しかしてない!あんだけ苦労して、なんで私が認知症にならにゃいけんのかね!」と怒鳴っていた姿が脳裏をかすめる。

『苦労したから、神様が忘れたほうがいいけ~なったんじゃないん?え~やん、都合悪くなったら、忘れた!って言えるやん』それくらいしか、言えないな。私が、そうなったら、私の面倒は誰も見てくれないから、最悪な状況になると思う。。。今更、子ども産めないし、優雅にヘルパー付けて世話しておくれとは、言えないし・・・困った。

先週は、魚市場にある魚屋で海鮮丼を持ち帰りにして公園で食べた。少食の母は、食べられないと思ったが、全部食べることができた。ご飯残そうと言っていたが、覗くとご飯も無くなっていた。嬉しそうに「刺身がデカイのを食べたかったから、良かった!美味しいし、量もたくさんあるし、全部食べた!」とニコニコしていた。自宅に居ると、ワガママに育ててしまって公開している長女が居るので、楽しそうにするのが悔しいようで息が詰まると言っていたから、出かけると忘れるらしい。

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写真は、港の水面は風が遮られて、私の影から、光が散っている。飛び込みたくなるね。危ない危ない。

お好み焼きは月に1回くらい行っている。父も一緒の事が多いけれど最近、付き合いが悪い。調子が悪いのか、母に疲れているのか、よくわからないが…母は、寂しそう。私と2人の時は、私に甘えている。でも、みんなに甘えているかもな。

母の実家は、高校の近くでお好み焼き屋さんしていたらしい。だから、お好み焼きは、思い出の食事。

母方の祖父は94才で祖母は56才で他界した。母は、長生きすると思う。「婆ちゃんより30年も長く生きた。長生きしたね・・・爺ちゃんまであと10年か~もう、そんなに先じゃないね、10年」と言っていた。10年か。。。

って、父の事はすっかり頭にない。ま、いいか。これから先、地球の方が先に居なくなるかもしれないし ね!

この頃、時間と言葉を大切にしないといけないなって そう思う。