チェスにおけるトランスジェンダー女性の問題に対するフェミニストのプロパガンダ
国際チェス連盟(FIDE)から中々に奇妙な「トランスジェンダー女性の女子大会への出場を一時的に禁止する」という発表が為された。当然ながら、この発表に批判が出ている。BBC News Japanが、国際チェス連盟の発表とそれへの批判に関する記事を出している。
この記事における批判の部分を引用してみよう。
BBCが記事に取り上げた批判は実によく分かる。
他の様々なスポーツ競技で問題になっている身体的な男女の差異が、チェスにおいても問題になるのだとの認識がなければ、今回の国際チェス連盟が発表した決定は出てこない。当然ながらチェスにおいては(男女差が顕著な)骨格や筋肉量といったものは関係が無いため、「脳のつくりの男女差がチェスに関係する」ということになる。
もちろん解剖学的にみて男女の脳には違いがあるので、その解剖学的差異が頭脳活動において何らかの形で現れるということはあるだろう。しかし、それがチェスの有利不利にどう関わるかは現在のところ明らかになっていない。更に言えば、男女の脳の解剖学的差異はチェスの能力とは無関係ですら有り得るのである。
したがって、チェスにおいて女子競技からトランス女子を排除するのは「チェスにおいても身体的に女性は劣る」とする女性への侮辱、すなわち、女性の能力に関する無根拠な軽視と言えるのである。
以上のように、BBCの記事の批判は実に的を射ている。
■朝日新聞のフェミニズムにかぶれた記事
一方で的を外した、男性悪玉論に染まったフェミニズムから国際チェス連盟を批判している考え無しの以下の記事が朝日新聞から出た。もっとも、偏向記事を出しても恥じることのない朝日新聞なので、考え無しなのではなく、むしろ邪悪な意図をもって書かれた記事である可能性はある。すなわち、ありもしない被害を訴えて「女性の被害者ポジションの確保」を目指したプロパガンダかもしれないのだ。まぁ、どちらにしても批判することには変わりがないので、プロパガンダかどうかはさておき、どこがおかしいか見てみよう。
朝日新聞の記事においておかしな箇所は以下である。
上記は実にクソな表現ではないか。太字で強調した表現からは次のような印象を受ける。
更に、この印象から記事の読者には「元であっても男性は優遇されて女性は冷遇される男尊女卑」というイメージが発生するのではないだろうか?
こんな見せかけの男女の対比から男尊女卑を捏造するあたり、日本式フェミニズムに偏向した朝日新聞らしい記事である。これが見せかけの対比であることは、次で詳しく見ていこう。
■「なぜ扱いが変わるのかという説明は発表文にはみられない」かだって?
さて、なぜ元男性(=トランス女性)は獲得したタイトルを無効化されず、元女性(=トランス男性)は獲得したタイトルを無効化されるのだろうか。
それは、国際チェス連盟のタイトルに関して、男性が保持できるタイトルは性別に関わらず獲得できるタイトルであり、女性が保持できる(一部の)タイトルは女性だけが獲得できるタイトルだからだ。
そしてそんな事実は、今回の国際チェス連盟の発表以前から公表されていることだ。チェスのタイトルに関する周知の事実だから発表文に無いのだ(※その辺りを理解しているBBCでは"トランス男性が性別移行前に獲得した女子タイトルは無効"としか言及していない)。
いやしくも大手メディアに属する記者であるにも関わらず、記事を書くにあたって、以下のチェスのタイトルの下調べをしないものだろうか?
これらの国際チェス連盟のタイトルに関するルールは公表されている。そして、上記のルールから「ウーマン○○マスター」のタイトル(=称号)は女性しか保有できないのは明らかなので、元女性のトランス男性が「ウーマン○○マスター」のタイトルを保持していたとしても無効化されるのは自明である。また、元男性のトランス女性が保有する「○○マスター」が無効化されないのも自明である。
また、既に公表している周知の事実に対して、特段の事情が無い限り、それをあらためて発表しなければならない道義的な義務などない。既に公表されているのだから必要性を感じたものが各自で見直せばいい話である。
チェスのタイトル(=称号)は日本人には馴染みが無いために想像できない人もいるだろうから、将棋で譬えよう。
将棋には「棋士」という称号(≒タイトル)と「女流棋士」という称号がある。そして、「棋士」は男女問わずになることができるが、「女流棋士」は女性しかなることができない。また、「女流棋士」に対応する、男性だけがなることのできる「男流棋士」は存在していない。つまり、女性は「棋士」にも「女流棋士」になることもできる一方で、男性は「棋士」にしかなれない。
つまり、元女性のトランス男性が「女流棋士」という称号を性別移行以前に持っていたとしても、トランス男性もまた男性なのだから女性しか保持できない「女流棋士」の称号が無効になるのは当然なのだ。逆に元男性のトランス女性が「棋士」という称号を保持していた場合は「棋士」の称号が男女問わず獲得できるものであるので無効にならないのだ。そして、元男性のトランス女性に対しては、男性限定でなることのできる「男流棋士」といったものが存在していないので、その称号の無効化の話は出てこないのだ。
そして、「棋士」の条件に関しては性別は問われていない一方で「女流棋士」が女性限定であるといったことは、わざわざ改めて発表されるまでもない周知の事実である。
したがって、トランス男性の「女流棋士」の称号の無効化に当たって適用された「女流棋士は女性限定」というルールは周知の事実であるがゆえにわざわざ改めて発表する必要は無く、またトランス女性の「棋士」の称号が無効化されないことについても「棋士となることは性別を問わない」というルールも周知の事実であるがゆえに、同様に改めて発表される必要はないのだ。
以上のように日本人に馴染みのある将棋で譬えれば、朝日新聞の記事の異常さよく分かるだろう。
元男性であるトランス女性が性別移行以前に獲得し得るチェスのタイトルは男女共通のタイトルだけである一方、元女性であるトランス男性が性別移行以前に獲得し得るタイトルのうち女性限定のタイトルもあることは、下調べをすれば直ぐに理解できることだ。
繰り返すが、朝日新聞の記事ではそんな直ぐに分かることを、以下のように「なぜなのか?」と問うのだ。その行為から記者の無能か邪悪な意図が窺える。
それにしても上記はなんとも白々しい記述ではないか。男性悪玉論に染まったフェミニズムにかぶれて、「世の中はこんなにも男尊女卑に満ち溢れているんだ!」と糾弾しようとする意図から不実な行為をもって男性を悪魔化する風潮を助長しようとしている。
これらの事情を理解すれば、当該朝日新聞の記事の記述が如何にフェミニズムによって視野狭窄した思考によって書かれたものかが分かるだろう。
上記の朝日新聞の記事を一読して「なんて男尊女卑な世の中なんだろう!」と悲憤慷慨した人間は、今回の記事に限らずフェミニストのプロパガンダを鵜呑みにはせずに、まずは自分の頭の中の「世の中の様々なものは男尊女卑!」というアンコンシャス・バイアスこそを真っ先に疑うようにして欲しいものだ。
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