進化への追従を再考する
進化への追従を再考するきっかけ
先週金曜日WEB業界大手の大先輩とミーティングをしている中で多くの気づきがありツイートしたのですが、この想いを備忘録としてちゃんと残したくNOTEにまとめることにしました。
我々のWEB業界では昔から”ドックイヤー”なる言葉使われています。犬の成長が人と比べて速いことから業界のスピードの速さに例えた俗語。そんな途轍もなく変化の速い業界に身を置いたのが2006年3月。まもなく丸15年になります。
この15年間で企業も個人も多くの栄枯盛衰を目の当たりにしてきました。
当時潤沢な利益を出していた会社が廃業していたり、当時組織の役職者として権限を振りかざしていた人が窓際族状態になっていたり。
アリとキリギリスの童話にあるように彼らが現状に浮かれて怠っていたのであれば、それは自業自得という話になるのですが、話はそんなに簡単ではありません、、、私の目から見ても、全力で働いていたと思うし、規模拡大、利益追求に奔走していたと思います。
一方で事業や考え方を次々にピポットさせながら、成長している、もしくは好調をキープしている企業も、個人もいます。
この両者の違いから学ぶべきことは非常に多いと感じています。
結論としては時代に追従できたか否かの違いだと考えているのですが、それではなぜ追従できなかったのか?ここを熟考してみたいと思います。
弊社のビジョンとねぎおの想い
弊社の企業理念は、「進化し続けるプロフェッショナルの集合体」と定義しています。社会の変化に追従しながら、常に必要される存在であり続けること、これを組織としても個人としてもビジョンに掲げています。
数年前に部長クラスの人間が辞めていくときに言われた言葉があります。
「サクラサクのビジョンはしんどいですよ。終わりがないじゃないですか。いつまでたってもこれでは楽になれないですよ。」
その言葉が今でも脳裏に残っています。価値観の相違といえばそれまでなのですが、必要とされ続けるということは組織、個人の存在価値であり、市場の中で存在価値を維持し続けようと思えば、変化に追従する他ないと私は考えています。
40歳になり、自分の人生を以前よりも俯瞰してみる力がつきました。人生ゲームの双六みたいにゴールに向かっていくのが人生だと思っていた時期もありましたが、今は違います。
社会に必要とされ続ける為に、今という瞬間瞬間を全うして、楽しむことが人生を豊かにすること。そしてその体験や想い出の濃厚さが己の人生を決めるのではないかと考えています。
進化に追従できない2つの要因
少し話がそれてしまったので、元に戻したいと思います。なぜ時代に追従できなかったのか?それは2つの要因があるように思います。
一つ目はゴール設定の問題です。
これは”うさぎとかめ”の話がわかりやすいです。
高校時代にサッカー部の監督にこう聞かれました。
監督「ねぎし、なんでうさぎはカメに負けたかわかるか?」
ねぎ「おす!油断したからだと思います!」
監督「ちげーよ。ゴールを間違えたからだよ。」
ねぎ「いや昼寝したからでは、、、」
監督「おまえさ予選突破とかしょぼい目標設定しないで全国目指せ!」
※鬼監督だったので、この口調そのままで言われ、高校生の私はおびえながら回答をしたのを覚えていますw
上記、元部長の言葉にあるように時代に追従できなくなってしまった1つは誤ったゴールを設定し、それをなまじ達成してしまったことが要因だと推察します。
出世、地位、年収、などわかりやすい目標を設定することは大事なことかもしれません。ただそれは目標であって目的ではないはずです。目標と目的を曖昧にしたままに捉え違えてしまうと目標を達成したところで、目的を見失い進化することを止めてしまうのではないかと思います。
2つ目は、過去の成功体験のジレンマです。
なまじ成功をしているとその成功体験に縛られて脱却することが難しくなります。すでに成功した時と状況が変わっているにも関わらず、過去の成功した色眼鏡で判断を繰り返し、結果的に時代に合わない尺度で行動してしまうのです。時として成功体験は善にも悪にも働くという教訓がここにあります。
進化に追従していく為に
さらにここから数十年時代に追従していく為に、現時点のねぎおの結論は謙虚さと大胆さこの2つです。
まずは若者や他人に耳を傾ける謙虚さが必須です。特に自分が門外漢なことにも積極的に頭を下げて、情報を収集する姿勢が大事です。特にインターネット、スマホが生まれたときから存在するネイティブ世代が活躍している市場です。非ネイティブが勝てるわけがない領域が間違いなく存在します。
自分は成功者である、埃塗れの過去の冠を被っている場合ではありません。アンテナを張り巡らし、謙虚さという高速エンジンをインストールして、進化へ追従していく姿勢を常に保ちたいと思います。
そして過去の栄光、利益、成功体験にとらわれず、大胆な損切りをしながら意思決定ができるか、ここが問われていると思います。痛みや羞恥を伴わない変化などありません。藁をもつかむ姿勢でダサかろうがみっともなかろうが時代に追従するそのくらい覚悟がなければ変化の激しいこの業界で存続することはできません。
魚が陸上生活に進化していったように変化の過程は動きも姿も醜く一見すると変化した方がリスクを感じます。しかしぬるま湯に浸かり続ければそれはまたリスク。何れにしてもリスクはあるのです。
先駆者の教えを乞う謙虚さ。ぬるま湯を這い上がる大胆さ。改めて気を引き締めるきっかけをもらったミーティングでした。年内も残すところわずかですが改めて進化に追従するプロフェッショナルでありたいと思います。