なぜ「いいね」に翻弄されるのか?

黒電話(ダイヤル式)が家に来た日のワクワクは今でも思い出せる。そんな昭和生まれの私がTwitterを始めたのは3か月前。
何故か?
話題になっている、あるいは話題を引き起こすらしいから、安倍総理も使ってるっていうし、好きな芸能人の動向を追えて返信もできるって、新しいことを始めれば認知症になりにくいらしい、、。
など様々どうでもよいような(切実な)動機もあって始めてみたものの。
「いいね」の数(やリツイート)がその質と価値を決める世界らしいとは知っていた。

ところで、「いいね」って何?
少しずつわかってきたことは「いいね」は「賛成」「同じ意見」「気が利いた事言ったね」「がんばれ」「面白いよ」などなどのポジティブととれる反応らしいということ。
そしてもう一つ分かったことは一度「いいね」をもらうと書き手は「いいね」をもらいたくなって「何が「いいね」をもたらしそうか」を考えながらツイートしてしまいがちということ。

もちろんご自分のしっかりとした主張をもって、「いいね」だろうが、無視されようが、理不尽な返信をされようがツイートされている人もたくさんいる。しかし私に限って言えば、正直、初「いいね」をもらってから受け狙い気味になったように思える。
そして度々Twitterを見てしまっている(忙しいはずだ、在宅ワークだってやることいっぱいあるぞ、こらこら、週末はアウトドア派だっただろうよ、この間までスマホばっかいじっている人を「集中力ないのね」と見下し気味に思ってたよね、あなた)と心の声が。

私はTwitterに翻弄されていないか?
そもそも誰かからの賛同を求めて始めたことなのか?

いや違う違う、落ち着こう。多分知らない人から温かいハートマークが来ることに戸惑いながらも喜んでいる。それを素直に認めよう。それから案外ほとんどの「皆さん」はとてもまっとうなのだと思う。「いいね」が付いた文章は少し距離をもって見返してみると、案外いいこと書いた気がする。

#検察庁法改正案に抗議します  がTwitterで盛り上がっている。 
#鬼滅の刃  が面白いこともTwitterで知って情報が広がった。
そのTwitterワールドは私が今まで思っていたよりもずっと社会で活躍し、存在感を示していることも今更ながら理解した。

翻弄されないように、あるいは翻弄されてもそんな自分を自覚しながら、上手に付き合っていこうと思う。

あ、このnote 「スキ」は無理をなさらずに、でももし良いと思ったらお願いします。



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