見出し画像

ビルバオとバスク自治州(Pais Vasco)

バスクといえば「バスチー(バスクチーズケーキ)」とか観光名所サンセバスチャンなどの影響で最近日本でもポピュラーになってきましたが、ピレネー山脈を挟んでビスケー湾に位置したフランスとスペインの両国にまたがったエリアのことを示します。

私が1学期を過ごしたビルバオは、バスク自治州の中のビスカヤ県というところにあります。近年はビルバオ・グッゲンハイム美術館をはじめ、近代アートの街として有名になりました。ちなみに年に2回模様替えをするグッゲンハイム美術館のシンボルのパピー(Puppy)ですが、現在はマスク姿になっています。

画像1

ビスケー湾までつながるネルビオン川が街の中心を通るという立地から、漁業や捕鯨のみならず、イギリス方面への貿易の拠点としてビルバオの港はかなり栄えていたそうです。
その後、1900年に入ってからは重工業で栄え、スペイン全土から移住者が相次いだそうですが、産業構造の転換によって衰退。先に述べた近代アートはある意味街の起死回生の策といったところで、現在は世界中の観光客を惹きつける場所となっています。

幸運なことに私の通う大学の対面にグッゲンハイム美術館があるので、通学途中にふらっと立ち寄ることができたり、街を歩いていると現代アートのモニュメントも多くあり、一時衰退していた頃の「灰色」のイメージをすっかり覆した、モダンな街だなぁと感じます。

最近は春の訪れかお天気の良い日が多くなりましたが、10月以降は雨の日が多く、かばんの中には折りたたみ傘が欠かせませんでした。
「シリミリ」と言って、傘のついた洗濯物干しスペースもビルバオにいるとよく見かけます。
まさに主に過ごしたのは雨の秋冬のシーズンだったので、カラっと晴れた青空やフラメンコ・闘牛といったザ・スペインのイメージはすぐに覆されました。

バスクといえば、バルセロナのあるカタルーニャ同様、強い地域のアイデンティティや、スペインからの独立運動などを耳にしたことがある方もいるかもしれません。
例えば、先月のSuperCopa(スーパーカップ)でバルサを破って優勝したアスレチック・ビルバオは、バスク人選手を中心とした、ビルバオに拠点を置くチームとしても有名です。ビルバオの人にも愛されたチームだなぁと思います。
とは言え、数ヶ月過ごした中では、バスク人としてのアイデンティティの強さやバスク独立運動を支持する度合いは人によりけりだな、というのが私の感想です。
もちろん、チャペラという伝統的な黒いベレー帽をかぶっているおじいちゃんがたくさん歩いていたり、バスクの文化やバスク語を大切にしている人は多いとは思います。
とはいえ、ビルバオの人は日常でバスク語を話す人も少なく、バスクの中でも「1番スペインらしい都市」(バスク人同級生談)らしいです。
間借りしているおばあちゃん(バスク出身)のお話だと、ビルバオと近隣都市が重工業で栄えた1950年・60年代には、当時経済的に厳しかったスペインの他の地域から移住者が相次いだとのこと。現在は更に海外からの移民も増え、英語も伝わるところが増えてきました。
そう考えると、ビルバオはスペインバスク側の大都市という性格から、バスク人に限らず多様な人によって構成されているので「バスク」に対してはバスク自治州の中でも割とマイルドな考えを持っているのかもなと。少なくとも「何が何でも独立を!」といった過激なイメージはビルバオの人からは感じられません。

とはいえ、それでも私からすると、ビルバオでもバスクに対する愛情というか、熱というのは十分に感じます。
一時は内部の人によるバスク文化やバスク語の衰退の危機が叫ばれていたようですが、現代はかなり保護機運が高まっています。新しく来た人も含めて「バスク」というアイデンティティや文化に敬意は払っているように見受けられます。グローバル化が進み、人々の移動が進んだことで、むしろ外から来たけれど、自分の確固たる文化や言語がない人たちは、「バスク」のような強烈な個性を持つことに憧れるのかもしれませんね。
グローバル化は、人々にどこにでも行ける、自分で自分がどうあるか決められるという自由を与えたのと同時に、自分のあり方を決めてくれていたものや「ルーツ」のようなものもなくしてしまって、その結果「迷子」をたくさん生み出しているのかもしれません。
そうすると、逆に地域回帰のベクトルというか、確固たる文化や言語を欲するという気持ちも人々の中にも生まれるのかもな、とも思います。
これは、ヨーロッパのアイデンティティとして、授業でも扱ったEU統合の文化政策のコンテクストでも語られることもあり、これはまたの機会に文章にしてみたいと思っています。長くなってしまったので今日はこの辺で。Agur! 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?