見出し画像

バスク地方とアイデンティティー

2021年3月9日より、ついにバスク自治州内の移動が解禁!ようやく写真のビルバオ近郊のビーチがあって、かつバスクの伝統的な家屋が立ち並ぶ、GetxoのPuerto Viejo地域までいけるようになります!嬉しい!

そんなバスク地方ですが、スペインとフランスの2ヶ国にまたがった地域の中で、スペイン側は私がいるバスク自治州(3県)にナバラ州を合わせて4地域、フランス側に3領域があり、7領域が合わさって、バスク・アイデンティティを持っています。
バスク地方全体の旗として(イギリスのユニオンジャックに似ている)イクリニャ、シンボルとしてラウブル(バスク十字、意味は諸説あり)があり、街なかでもよく目にすることができます。

ちなみにベレー帽の発祥地でもあり、こちらでは黒のベレー帽をおじいちゃんたちがよく被っているのを目にします。(写真は生ハムのお店で、ベレー帽にマスク姿のブタちゃん。)

画像1

さて、そんな中、「ヨーロッパの少数民族・言語の権利と法律」という授業の冒頭で、教授が学生に対して「あなたは何人ですか」という質問をして、
“I’m German.” (ドイツ人です)
“I'm half Dutch, half Spanish.” (オランダとスペインのハーフ*です)
などと学生が答えて行く中、衝撃を受けたのが”I’m Basque.”(バスク人です)という同級生の答え。

*ちなみにハーフという言葉については、意外とこちらでは普通に使われてました。ある教授によると、欧州統合による圏内の自由移動(それこそErasmusなど)によって、国際結婚の確率はかなり上がったらしいです。

どうやら「スペイン人」というよりは、「ヨーロッパ人」と「バスク人」というアイデンティティをオーバーラップして持っている、という方がしっくりくるらしいです。
彼女は”Basque country”という物言いをしたので、その後”country”とは何か、”nation”とは何か、という議論になりました。

ちなみに、バスクを象徴する文化(前述のイクリニャやラウブルの使用)や、バスク語(Euskara)は、フランコ独裁政権下(1939-79)では禁止されていたこともあり、私が間借りしているおうちのおばあちゃん(74歳)など、年配の方で話せない方も多いのですが、その後、復興運動が起きて、学校でのバスク語教育が推奨された結果、若い世代で話者数が増えるという逆転現象が起きています。

そのため、バスク州のすべての街の標識はスペイン語とバスク語の両方が併記されています。
例えば、Bilbaoはバスク語でBilbo、有名なSan SebastianはDonostiaといいます。そのため、近年ではDonostia-San Sebastianとハイフンでスペイン語とバスク語をつないだものが正式地名となっていたりします。

言語体系としては、ヨーロッパ大陸のど真ん中にありながら、インド・ヨーロッパ語族に属していない、謎の言語として有名です。
イベリア半島にラテン語が流入する前から存在したとのことで、スペイン語をはじめとするロマンス語系(ラテン語)とは全く異なる言語体系で、背景も残念ながらわかっていないらしいです。むしろ日本語と文法の語順が似ている、というコメントもあるほどです。

山などが多く、地形上の隔たりが多くあったのが他の言語との混在を防いだのでは、という説もありますが、バスク域内でもその地形が影響して、地域によって若干発音や語彙等に差はあるようです。現在は「標準バスク語」というものが学校教育では使用され、習得するため、これを用いてバスクの人たちは会話をしているようです。
毎年11月にはバスク語強化週間のようなものもあり、バスクの言葉や文化を奨励する2週間のイベントがビルバオで開かれ、バスク語が話せる人たちはバッジをつけて連帯を示していました。
街なかを歩くと、バスクフォントのものがあって、とても可愛らしく思います。
また、スペインの他の地方に比較してGDPも高く、優れた食生活も影響してか、長寿でも有名で、そんな自分たちの地域に誇りを思っています。
ただ、なんとその長寿で有名なバスク地方、100歳以上の方が約1800人もいるために*、コロナのワクチン接種がまだまだ回ってこないのよね・・・と先述の74歳のおばあちゃんが今回ばかりは複雑な心境を漏らしていました。

一時期はカタルーニャのように、スペインからの独立を目指す過激派テロ組織(FTA)の活動も活発だったようですが、今はそうでもないようです。
日常で人々と話している限りでは過激さは感じられませんが、スペインとは違う、バスク人としての誇りや、フレンチバスクとともに、いつかは独立したいという思いも街の至るところからも感じられます。
もちろん、人によって立場や考え方は色々で、バスク生まれながらもバスク語を話せないため、特に何も愛着を感じない、というバスク出身の先輩から、私の同級生のようにかなりバスクアイデンティティーを誇りに思い、スペインに対してただならぬ気持ちを持っている人もいたりします。(写真はあるお店で掲げられていたカタルーニャの旗・バスク語週間の旗・イクリニャ旗。特にカタルーニャ州選挙があった先月は、カタルーニャへの「連帯」から、一緒に旗が掲げられていたのもよく目にしました)

画像3

現在、スペインの憲法では、カスティジャーノ語(スペイン語)に加えて、バスク語や、ガリシア語、バルセロナのカタルーニャ語とそのバラエティの言語など、少数言語での教育が各地方で推奨されています。

一度言語話者が減ってしまったけど、新たに教育の場での教授言語として扱われることによって新たな立ち位置を確保しようとしているバスク語。
その言葉を運用できる、ということが文化の維持と民族アイデンティティに強く関わることを実感するとともに、言語教育と民族アイデンティティ(再)構築の可能性と難しさも感じます。では、長くなってしまったので続きはまた今度。Agur!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?