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欲を無くすとどうなるの?

小学校低学年ぐらいの時、新年が明けると鐘が鳴るのが不思議に思い、
親に聞くと

「108つ鳴らして、108の煩悩を消すためだよ」


煩悩というものが何か聞いたのか覚えていませんが、

そうか。煩悩というのは良くないものなんだ。毎年鳴ってるってことは、
それを実行するのは難しいってことだ!


と、お得意の大予測をし、盛大に間違った実験をしました。



煩悩を消す修行(笑)



しかし実際は小学校低学年なので

煩悩=欲

と単純に認識し、頑張って欲を消して行く修業をし続けました。

割と乞うと決めたらストイックにすぐに習慣に持ち込んでしまえるタイプで、今回はそれが悪い方に習慣化されてしまいました。




結果どうなったのかと申しますと、




まず、笑わなくなりました。

それから、何が良いとか、これが良いとかそういったものが無くなり、

皆が楽しんでいる事が何が楽しいのか全く分からなくなりました。

食も適当になり、得意な事をやっていても楽しいとも思えず、ただ生きているだけになりました。


そして次第に


『あれ?生きるって何だろう?何で生きてるんだろう?』


と思うようになり、全てが色あせて見えてきました。

学校は勿論、生きていくための仕事が一番苦しかったように感じます。生きる理由が無いのにあくせくする。しかし帰って来たところで心は休まらない。

何故なら、家を生きて生活するようにしてはいなかったからです。



除夜の鐘とは、人の心にある煩悩を祓うためと言われています。

人の心の乱れ・汚れを煩悩とすると、代表的な煩悩には、
1.欲望(肉体的および精神的なもの)、
2.怒り、
3.執着、
4.猜疑
などがあります。
更に煩悩は様々な種類があり、分類のしかたにも色々なものがあります。


仏教では煩悩を祓うことにより解脱ができるとされており、(解脱(げだつ):俗世間の束縛・迷い・苦しみからぬけ出し、悟りを開くこと。また、死者の霊が修羅(しゅら)の妄執(もうしゅう)をのがれて浮かばれること。)


また、除夜の「除」には、古いものを捨てて新しいものに移るという意味があるそうです。



世界が花火や爆竹などで盛大に年越しをする中、これほど静かに鐘の音を聴きながら過ごす民族というのはどれほどいるのでしょうか?

しかもその鐘の回数や鐘に意味がある歴史があるときたら…。やはり日本人で良かったと思います。

なので、いたずらに欲を消すのが除夜の鐘ではなく、執着や度を越したものなど、黒いものを浄化する意味なので欲を打ち消すものではない、ということですね。



人は欲が無ければ人ではなくなります。
その頃の私の写真はどれ一つ笑っていません。



人が持って生まれたものは良い方向へ使うべき・・・
というより、もっと出してよいと思います。



あなたが喜びの人生を送るための材料は何でしょうか?
そのためには何を揃えて、どう料理していきますか?



まずは、「最高だ!」と思えるビジョンから、
空想し尽すと面白いことになりそうですね。


振り切ってやってみてください(*^^*)



桜賀和


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