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数字のマジックを超えた未来

私がアパレル店員だった時。

お顔の色や今から思えば未来視で素敵なその方のイメージが出てきてそれになぞらった服を探してお渡しすると


「まぁ。素敵だけど…この歳じゃね…」

「若作りとは思われたくないのよ…」

「私の年齢で着ておかしくないかしら」


と言われて

『なぜそんなにも歳を引き合いに出してくるのだろうか?』

と首をひねりました。


決して進めている服が若すぎるとか、40代の方に10代や20代前半の服を勧めているわけではありません。雑誌を見たり、同じぐらいの歳の方で

『この女性のファッションは素敵だな・カッコいいな』

と思ったものを勧めていました。


そんなある日接客をしようとしたらお客様からにこやかに言われました。


「私〇〇歳なんだけど、この歳に合った服を探してるんだけど」


衝撃で二の句が直ぐに出てきませんでした。


『え…?今この人は歳に合った服を着たいって言ったの?え…?ていうか今まで時折歳を氣にされていた方の発言はここから来てたの?』


この言葉が頭をぐるぐるしていました。

ショックでした。


そんなお年とか、そういうわけではないのに茶色とか、グレーとか枯れた色を手に取っています。
それがお顔の色に合ってない。
彼女の本質的な人間とマッチしてない。

不協和音です。


「なぜ、お年で選びたいのですか?」


と聞くと、


「だって、歳と合ってない服なんて買って着たら、

家族に笑われちゃうわ。恥ずかしいわよ」


自分が着る服なのに、依存心から自分で決められないのです。

自分の事を自分で決められないのです。


自分のことを自分で決められない事の方が恥ずかしいと思うのですが、彼女はそう思っていない。


家族の中の小さな社会の中で、常に人の目を氣にして生きているのです。


年齢相応の洋服というのは確かにあります。
職業や、TPOによって変えるのも大人なら必要です。

しかし、「この年齢だから」というだけで選ぶというのは強引すぎです。自己肯定感皆無です。


彼女が年齢で選ぶと言って、枯れ葉色冬景色の洋服を選ぶのを私は止めませんでした。


彼女の年齢は、今、彼女が決めているのです。


他の誰が何と言おうが、心から決めて思い込んでいるものは、本当にそうなります。

彼女の未来は、自分自身を大切にしている人たちよりも何倍も早く歳を取る未来が待っています。

そう望んで、決めているからです。


しかし、その逆もまたしかりです。


年齢で服を選ぶ様な人生ではなく、

こんな人間であろう!と思う自分を追いかけ続ける先には、
数字のマジックを超えた未来が待っています。

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