【グリーフケア】ハハには、劇場の暗やみが必要な日もある
感情が胸にたまって、どうしようもないときがある。
じんわりとした寂しさを感じることがある。
わーっと叫んだり,誰かに機関銃のように話せばすっきりと吐き出せるのだろう。
ところが私はとうに分別ある歳ごろで、その上いろいろなものを背負いすぎている。
悲しいことがあったら誰かの背中をさすって慰め,困っていたら助け舟を出す立場だ。
私も大変なはずなのだけどと思いながら励ましの言葉を掛けていたりする。そのうちに感情の波は収まり、ただただ澱んだ重い水が胸にたまる。
そもそも、家に自分だけの空間がない。
都会の平凡なマンション暮らしで,家の全てが夫婦二人だけの空間だったのはいつまでだったか。
子どもが生まれ,子どもたちに個室を与えるようになっても、母親にも父親にも部屋がない。
居間でお茶を飲んでいれば息子が「なんか食べるものない?」と話しかけてくるし,テレビを見ていれば娘が「明日,駐輪場を更新するからお金ちょうだい」と言ってくる。いったいいつ彼らがやって来るのか、油断も隙もない。
ハハは,日常の中で,感傷になんてふけってはいられないのだ。
さて,胸の中でふくらんだこの気持ちのやり場は,いったいどこにあるのだ?
こんなときに思うのだ。
「あぁ,劇場に行きたい」
映画や演劇は,感情の蓋を開けてくれる魔法の鍵だ。
映画館でわかりやすく泣ける映画を見たい。
大画面に広がる青い海,風になびくヒロインの長い髪,音楽がドラマチックに音量を上げていったら。
それとも芝居。
ドライアイスの匂いが残る小劇場の隅の席で,スポットライトを浴びた女優が言葉の粒をはじけさせるのを見上げたら。
客席にいれば、ハハは母親ではなく,ひとりの観客にすぎない。
劇場の昏い闇の中ならば、涙を流しても誰もそれを気に止めはしない。
ヒロインに感情移入するうちに,いつしか自分の心の中の画面を見つめて滂沱の涙を流していても,誰も咎めることはない。
そして物語が終わり、客席に眩しい灯りがともったのを合図に立ち上がり,外の太陽のまぶしさに目を細めたら,駅へ向かって歩き出す。
あぁ,劇場に行きたいな。
ハハにこそ,劇場の暗闇が必要な時がある。
劇場が閉められたこんなときは,あの柔らかい観客席が無性に懐かしい。
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