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本と不登校の話

今日は晴れ時々曇り。急激に最高気温が上がってきているのに、最低気温との寒暖差が激しくて、日中の日なたは暑く感じられる。

できるだけ家に引きこもらないようにと、お昼ご飯を軽く食べた後に、車で少し走ったところにある公園に出かけてきた。

初めて来た公園なのかと思ってたけれど、主人にLINEしていたら、何年か前に夜桜を見に家族で行った公園だと教えてくれた。
あぁ、そういえばそうだったと、その時の記憶が思い返された。

その時は真っ暗な時間帯だったので、周りの景色もよく見えなかったし、とにかく夜桜を見に来ていた人混みがすごくて、今日見た公園と一緒の場所だとはすぐには気が付かなかった(今の場所には引っ越してきてからまだ数年で、元々地元ではないので土地勘がない…)。

真ん中のため池に沿って散策路が作られている公園で、散策路沿いに桜が沢山植えられていて、地元では人気の花見スポットだ。
ため池沿いの散策路以外の周囲にも、森の中に散策路が複数あり、所々に広場や休憩のためのベンチも沢山あって、森林浴しながら歩き回るのに絶好のスポットだった。

少し晴れ間が出ていて、日差しは少し暑かったが、心地良い風が吹いていて、木陰の散策路をのんびり歩いていると、とても気持ちが良かった。

本当は、その公園の近くにあるお気に入りのブックカフェに行く予定だったのだが、お昼ご飯時だったので混んでいるだろうなと考えて、近くにあった公園で時間をつぶそうと来た場所だったが、思いのほかいい所で、出かけて来た甲斐があった。
カフェで過ごすよりも、ずっとリラックスして過ごせたように思う。

満足したので、そのまま帰っても良かったのだが、せっかく近くまで来たし、とブックカフェの本屋さんの方にだけ寄ってみた。
本を買うつもりはなかったけど、気になった文庫本を見つけたので、コーヒー飲まなかった代わりにと、久しぶりに本を買った。

最近調子が良くなってきて、また本が読めるようになってきたので、何日か前も図書館へ行って本を何冊か借りて来たばかりだった。
すでに1冊は読み終わり、今は2冊を併読しているところだ(本を読むときはほとんど併読しています)。


本屋さんや図書館は、私にとってお気に入りの空間だ。
しっかりと本を読みだしたのは小学校中学年くらいの時から。学校の図書室へ行って、児童文学だったり伝記だったりを色々と読み漁っていた。

中学校へ上がり、大人しすぎてクラスに馴染めなかった私は、休憩時間に教室でもずっと本を読んでいた。ワイワイはしゃいで遊んでいる他のクラスメイトの中では、完全に浮きまくっている存在だった。

そんな状況でも、しばらくは学校へ通っていたが、クラスに馴染めないことがだんだんと息苦しく感じられるようになってきた。
友達と言える存在もできず、中学生らしいきゃぴきゃぴした、他のクラスメイト達との感覚についていけず(とにかく私は真面目過ぎだったようだ)、噂話や陰口が自分に向けられているような、周りのクラスメイトが敵に感じられるような日が多くなっていた(実際に容姿についての陰口を、私に聞こえるように言われたときもあったが)。

今考えれば、ただの自意識過剰と被害妄想だが、多感な時期だったこともあり、徐々に学校へ行くのが怖くなってしまった。
(その当時に、母に連れて行ってもらった心療内科から「抑うつ状態」との診断を受けている)。

保健室登校も続けていたが、もはや学校の存在そのものに恐怖を抱くようになっていた私は、中学2年生から完全に不登校に突入。
特にいじめを受けていたわけでもないし、クラスに馴染めるよう努力すればよかっただけの話なのだが、その時は無理だった(今なら大丈夫)。


…本の話をしていたのに、色々思い出していつのまにか不登校の頃の話になってしまった。

私の時代は、不登校が社会問題になり始めたばかりの頃ぐらい。
現在は、かなり不登校の子どもたちの数が増えて、大きな社会問題になっているようだが、私は自分の経験上、学校へ無理して行く必要は無いと考えている。

現代は、自ら学ぼうと思えば、学校に行かなくても、良い学びがいくらでもできるし、ネットを駆使していろんな人とも出会える。
学校の先生方よりも人生経験を多く踏んだ諸先輩方の考えていることなどの情報を、いくらでも知れるし学べる。

協調性を身に付けるとか、集団生活に慣れるとか、社会に適応するための生活リズムを身に付けるといった意味では、既存の学校の仕組みは良いかもしれないが、他に代用できる仕組みがあるのなら、別に学校に縛られなくていいんじゃない?と思う。
実際に、そういう別の選択肢は少しずつ増えてきている。

私の不登校だった時代に、今ぐらいの情報源があればよかったのになぁと、時々思う。
だから、今の世の中で不登校の子たちを、私はうらやましいと思う。

『学校へ行くこと=善』『学校へ行かないこと=悪』みたいな社会の常識が、そもそも今の時代どうかと思う。

学校に行けないことで自分を責めるのはバカバカしいと今は思えるし、特にいじめられている子などは、人をいじめて面白がるような、そんな程度の低い子どもたちと(失礼)一緒に過ごすことをバカバカしいと思ってほしいと思う。そんな学校には行く必要が無い。

将来的には、学校制度が大きく変わり、枠に縛られずにもっと自由に、子どもたちがそれぞれの個性や特性を発揮できるような学びの方法が築かれることを願いたい。


…ちょっと辛口コメントありました。失礼しました。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。





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