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たぁさんの魂のひかり

僕は、眼についての仕事をしている。ものすごく腕の良い眼鏡屋さんなのだ。

ものすごく腕が良い眼鏡屋って、

僕が一体、何に長けているかというと、

眼の気持ち、眼の本音に耳を傾けることだ。

今回、サクラさんに僕の魂のひかりを見つけてもらいたくて、物語をお願いした。僕は、自分の魂のひかりの存在を感じている。しかし、まだひかりを目にすることができていない。

僕は、自分の魂のひかりを見てみたい。

だから、僕は今まで目にしてきたものを今から話していく。

目にしたものを語ることで、自分で自分の眼の本音を引き出せるのではないかと思っている。

そしたら、僕は自分の魂のひかりが見えるんじゃないかと思って。


デジタル表示

「いってー!」

ガツンと頭に衝撃が走り、頭をさすったとき

線香の匂いがした。

あともう少しで家に着くところ、友達の自転車の後ろに乗って

たまたま僕は前を見ずに、外灯にしこたま頭をぶつけてしまった。

「なぁ、線香のにおいせん?」背中越しに友達に聞いたけど

「いや、せえへんけど」と答えが返ってきた。

確かに、ここは外で、周りには電柱や信号しかない。

おかしいな、と思いながら帰宅した。


僕の家は眼鏡屋だ。店にはメガネがきれいに並んでいる。

時計も売っているから、カチカチ、チクタクと時計が時を刻む音もする。


警察から電話がかかってきた。

一番上の姉が事故って救急車に運ばれたというのだ。

姉は小さいながらも頼れるスズキのアルトに乗っている。

車の事故だから、大したことはないだろう、という気持ちと

軽傷であってほしいという気持ちが半分半分のまま、家族で病院に向かった。


大腿骨骨折、意識不明、集中治療室


詳細を聞いたら、仕事中、原付バイクに乗っていた時に事故にあったとのこと。

車と、原付バイクが衝突し、身体が吹っ飛び、ヘルメットをかぶったまま、頭を打ち付けた。


信じられない。まさか、現実とは思えない。

病院から帰ってからも、みんな何をすることもできなくて

時間がたつと、店から振り子時計や鳩時計の音が

ボーン、ボーン、ポッポーと音が鳴る。


3人姉妹の後に生まれた僕は、姉たちにめちゃくちゃかわいがられた。

5歳の頃、僕を取り合って、姉たちが僕の腕を引っ張り合い、脱臼までした。

一番上の姉は、僕を特にかわいがってくれた。


どうか、元気になってほしい。

きっとよくなる、と僕は思っていた。

そう願うしか、僕にできることはない。


事故があってから2週間後、病院から家族が呼び出された。

みんなで医者の話を聞きに行った。

姉の脳みそは、事故で頭を打って、ぐちゃぐちゃになっている、つぶされた豆腐のような状態だって。

手術しようにも、手の施しようもない。


人工呼吸器がつながれ、口にはチューブが挿管されている。

指先にはパルスオキシメーター。

腕には点滴。

機械の音と、スーハー、スーハーと空気の出入りする音が聞こえる。


姉は生きている。


脳はぐちゃぐちゃで機能していないのかもしれない。


でも、僕たちが呼びかけると

閉じた目からは涙がこぼれるのだ。


もう、人工呼吸器を、外しませんか?


医者の提案を、僕たち家族は拒絶し、母親は長椅子に倒れこみ、狂ったように泣いた。

そんな母を見たら、自分はしっかりしなきゃと、僕は涙をこらえた。

家からは、色も、においも、音も消えてしまった。

店の時計たちの時報も僕たち家族には聞こえなかった。

毎日、毎晩、交替で家族が姉のそばについていた。


丁度、父親の番の夜、病院から電話がかかってきた。

姉が旅立った。

23歳。

最後に父の手を強く握って姉は天国に旅立った。

僕は18歳だった。


姉との最後の会話は車の中だった。

事故にあう前日に、たまたま車に乗せてくれたのだ。

学校の寮に泊まりに行くのに、事故にあっちゃいけないからと、夜、僕を送ってくれたのだ。

スズキのアルトの小さな車に二人で乗って学校までの短いドライブをした。

CDからは福山雅治の「恋人」が流れていて

珍しく僕は姉と将来について話し合った。

「将来、何やりたいんや?」

「やることないや、わからんなー」

「歌うまいから、音楽でええんちゃう?」

夜だったから、CDデッキの緑色の蛍光の光が車内を照らして

僕は、そのデジタル表示を見ながら、

一秒一秒時間が過ぎていくのを見ていた。

こんな一秒一秒は、当たり前に続くと思っていた。


姉の死で思い出すのは、

暗闇に緑の光を放つCDデッキのデジタル表示だった。


ヘドロ


お昼の休憩に入るときに言われる言葉は

「えさ食ってこい」

だった。

僕は人間だと思う。食べるものは弁当だと思う。


店長の弁当の食べかすは、本来、残飯としてゴミ箱に捨てられる物だ。

なぜ、僕が食べなけらばならないのだろう?

なぜ、それを僕に強要し、僕が食べなければならないのか。


僕はとある町の、とある眼鏡屋さんの新入社員だ。

家畜のような扱いを受ける理由は、

理由なんて、あってはならないのだが、

それは、彼らにとって僕が異質に見えたからだと思う。


25歳で、初めて会社員という社会的地位についた。

それまでは、ギターを片手に、音楽で生きていこうと音楽の道を歩んでいた。

しかし、一生を共に生きていきたい女性と出会い、生活の基盤を作るために僕は生き方を変え、実家の眼鏡屋を継ぐことにしたのだ。

修行として、とある眼鏡屋に就職したのが今の会社だ。

25歳なのに、多くの25歳が身に付けているであろう、そつのない立ち居振る舞いというものが、僕にはなかった。

就職活動もせず、コネで就職したことも、彼らにはないSS級認定眼鏡士という資格を持っていることも腹立たしかったんだろう。


毎月ノルマを課せられ、

冷たい作り笑いを顔に張り付けて、客に高い眼鏡を買わせなければならない。

彼らのストレスのはけ口に

攻撃的でなく、どちらかというと受け身の僕の気質が、

丁度良かったのだろう。


開店前に、店長からあいさつがなってないと言われた。

「お前なんか客の前に出せへんから、屋上で練習してこい」と言われて

朝の10時から屋上に立たされた。

コンクリートの照り返しで屋上は焼けるように熱い。一人、あいさつの練習をひたすらした挙句に言われた言葉は

「お前、まだここにおったんか、仕事しろ」

午後の4時だ。


店長に怒られる僕を見て笑うパートのおばさんは、ヘドロだ。

店長もヘドロだ。

ヘドロの集まりだ、ここは。


月に一度、僕の町に彼女が来てくれる。

一ケ月ぶりの彼女の笑顔を見て、一ケ月ぶりに心がふわっとなる。

限られた2日間、彼女の温もり、やさしさ、慈しみに触れて、人間であること、人間でいて良いことを思い出す。

2日目の夕方、彼女を駅に送るとき、彼女と別れるのが辛くて、僕は泣いた。

明日からまた家畜に戻ると思うとやりきれなかった。


これが、この目で見てきたヘドロの記憶だ。

そして、ヘドロの中に、ほんの少しひかる、温もりがあった。


黄色くて、やさしくて、温かい光


十数年前に、ようやくコウノトリが運んでくれた僕の家族は、黄色くて淡くて、やさしくて、温かい光を放っている。

期待してあきらめて、期待して、あきらめてを何度も繰り返し、ようやく授かった赤ちゃんは、妻のお腹の中でスクスクと育った。

パンパンに膨らんだお腹にそっと手を当てると、ときどきポコンとお腹が動く。

仕事から帰り、一息つくと僕は妻のお腹に触れる。

お腹に顔を近づけて「元気だねー、パパが待ってるからねー」と話しかける。

新しい命との出会いが本当に待ち遠しかった。

妻におしるしが来て、数日後、自宅で破水した。

いよいよその時が来た。

そんなつもりはなかったのに、流れで、出産に立ち会うことになった。

2月の夜、日付を越えた辺りで、この世界に新しい命が誕生した。

妻の子宮を通ってでてきた頭は、細長い形をしていた。

そのいびつな頭の形に一瞬びっくりしたけれど

赤くてブヨブヨした我が子が泣き声を上げたとき、心の底からホッとした。


しかし、その幸せは大変な毎日のほんの束の間に起きた出来事だった。


その夜、妻がそばで寝ている息子の様子を見ようと、ふと、電気をつけてみたら、赤ちゃんが真っ黒になっていたのだ。

急いでナースコールをし、一命をとりとめた。

原因がわからない。息子の呼吸が止まったのだ。もし、あのタイミングで妻が我が子を見なかったら、息子はたった数時間生きて、そのまま死んでいたかもしれない。

息子はNICUに1ケ月入院し、僕たちは毎晩搾乳した母乳を届けに病院へ通った。1ケ月の間に息子の呼吸は3回とまった。

原因がわからないまま、退院し、僕たちのアパートで3人の生活が始まった。呼吸が止まった原因がわからないということは、呼吸が止まることに対処できていないということだ。また、呼吸が止まるかもしれないし、止まらないかもしれない。止まるとしたら、いつ止まるのかもわからない。

息子は、とても小さい。小さなモミジのような手で僕の小指を握ってくれる。胸に耳をあてると、トクトクトクとものすごい速さで心臓が動く音が小さく聞こえる。

大切な命を、なんとしても守りたい。

僕たち夫婦は毎晩寝るときは、電気を消さずに、交替で息子から目を離さずに睡眠をとった。

僕たちが見守る中、息子はすくすくと大きくなった。よく体を壊したが、生きている。

家を建てることにした。方角を見てくれる占い師に家族の生年月日を伝えた。

息子の生年月日を伝えたときに、

占い師が驚いて大きな声で言った。

「この子は生まれてくるはずのない子や、死んでた子や!」

ぎょっとした。

生まれてから3回も呼吸が止まった、

この子は生まれてくるはずのない子だったのか?


この占い師の言葉は呪いとなった。

呪いは僕の心を縛り付ける。


息子の成長を感じれば感じるほど、愛おしければ愛おしいほど

怖くなる。

どうか、息子まで奪わないでくれ!

姉のように、僕から大切なものを奪わないでくれ!


僕や妻にとって命よりも大切な

黄色くて淡くて、やさしくて、温かい光を放つ息子をどうか奪わないでくれ。


息子を、絶対に、守る。



毎日、一日の終わりには、

今日も、人助けをしたなー、と思う。

僕が度数設定したメガネをかけてすぐにパッと笑顔になるお客さんもいれば、

数週間後に喜びの声をわざわざ届けてくれるお客さんもいる。

そして、僕のメガネをかけたお客さんが新しいお客さんを紹介してくれて、全国から毎日お客さんが僕の店に来てくれる。

僕が度数を設定するメガネはただのメガネではない。

ただの物を見えやすくするメガネではない。


メガネをかけただけで、

体の不調が良くなる

心が軽くなる

という、「眼と心と体を繋ぐメガネ」なのだ。


昔は僕も、ただのメガネを売っていた。

見えにくいものが見えるようになって、

レンズの設計や性能、ブルーライト、フレームのデザインや機能、

お客さんが満足するものを提供できれば良いと思っていた。


そんな僕が「眼と心と体を繋ぐメガネ」を売るようになったきっかけは一冊の本だった。

田村知則先生の「眼が人を変える」

眼に対する考え方が180度変わり、田村先生の本を読み、講習会に何度も参加し、眼と心と体を繋ぐ度数調整(眼ー心ー体ー統合法)について学んだ。今も、その精度を高めるために学び続けている。


ひとつ、あなたを驚かせたい。

僕があなたのメガネの度数を調整すると、視界の全てが見えやすくならず、一部は見えにくいままのメガネになるかもしれない。

しかし、目の前のものを奥行きをもってとらえることができるようになるかもしれない。

一日が終わったときの目の周りのコリ、頭の重さがなくなっているかもしれない。

翌朝、爽快感をもって目覚めることができるようになっているかもしれない。

見えすぎなくて良い、見えにくくても良い。

まずは、眼を楽に健康に。そしたら体も健康に。心も元気になる。


僕はあなたの眼を調べる。あなたの眼の使い方、見方が分かり、あなたの性格、行動の傾向、今抱えている体の不調、将来的に起こりうる病気が推測できる。


節穴を覗くように、一つ一つをしっかり見ようとする、一点集中型の眼の持ち主は

視野が狭く、視界に入っているはずのものを認識せず、見たいものだけにフォーカスしたり、物事を平面的にとらえたりする傾向がある。

眼の使い方や見え方は、その人の性格や行動に反映する。

集中力があり、まじめで頑張り屋、妥協を許さず、頑固な一面がある。広い視点を持ちにくいので、周りが見えなくなり疑り深くなったり、攻撃的になったりする面もある。

集中力が求められる場面では能力を発揮するが、その見方を続けると、血流が悪く、肩も凝りやすく、体を壊しやすくなる。

そんなお客さんには、楽に集中できるメガネを用意する。

それだけで見ることに余力が生まれ、眼はゆるく、広くものを見れるようになる。生活の中や人間関係の中で妥協もできるようになり、笑顔が増える。そして体もゆるんで滞っていた部分に血が通うようになり、健康になるのだ。


逆に、すぐに妄想や空想の世界に飛びやすく、集中力散漫な人には、

現実に心が向きやすくなるよう、目の前の現実に長く楽に集中できるメガネを用意する。

「台風の目」という言葉があるように、僕たちは「目」をその人の心と体の中心、原点と捉えている。

「目」という原点に、メガネという手段をもってアプローチすることで、お客さんの10年後の笑顔や健康を作りたいと考えている。

僕が調整したメガネを使ったお客さんが心から喜んでくれると

虹色の光が見える。

僕はその光を見ると、今日も人助けができたなーと、心から幸せな気持ちになれる。


魂のひかり

僕は、サクラさんと一緒に自分の心の奥にもぐってみた。

もう二度と見たくない過去の風景や心が温まる過去を一緒に見た。

勇気をもって、あのヘドロの日々に見てきたものをもう一度、目にしたときに僕は自分の魂のひかりのかけらを見つけた。

小さくて温かいかけらを拾って、次の過去に向かうと、そこにもかけらが光っていた。

いくつものかけらを拾い集めて、

両手にいっぱいになった、ひかりを見ると

まぶしくて、心がほんわりと温かくなった。

人生で出会った全ての人々の、心の温かさが、僕の魂のひかりだった。


そして、ドミノが倒れていくように、

いろいろな出来事の良し悪しがひっくり返っていった。


天国の姉は、今も僕を、家族を絶対に見守ってくれている。


ヘドロがあったからこそ、妻の心の温かさが沁みた。

ヘドロにさえ、感謝の気持ちが湧いてくる。


息子は呪われてなんかない!死ぬ運命を覆した奇跡の子なんだ!

姉が息子を絶対に守ってくれているんだから!


人の人生に影響を与える人になりたくて、音楽を目指した。

今は、音楽のかわりに、眼と心と体を繋ぐメガネを売ることで、たくさんの人が虹色の光に輝く。

人の人生に影響を与えることができているではないか。


最後のドミノが倒れた。

そして、

今、この瞬間も、今までもずっと、僕は幸せの中にいたことに気付いた。


中学校の息子は、目に入れてもいたくないほど可愛い。

未だにお風呂にも一緒に入る。

大の男が二人、浴槽に入るとさすがに狭い。

「ダンスの発表、かっこよかったわー。今までで一番良かったんちゃう?」

「そやろ?リハーサルと本番のスイッチの入り方がちゃうねん。」

「お父さんもそう思ったわ。ジーンときたわー。」

親子で向かい合って、体育座りで交わす会話が毎日楽しみでしょうがない。


寝る前にはギューッとハグをする。


妻、息子、仲間に囲まれた毎日は、なんてありがたくて幸せなんだろう。


今、見えるもの


幸せと、希望。

毎日に感謝して、毎日の幸せを受け取って、家族を守る。


もう一つは虹色。

太陽は白色か、黄色に見えるが、本当は虹色だ。

虹は何百もの色を含んでいる。

虹の赤色は一色ではない。

紅、薄紅、朱色、臙脂(えんじ)、茜、緋色(ひいろ)、もっといっぱい含んでいる。


「眼と心と体を繋ぐメガネ」をかけることで

白か黄色しか見えない世界に

その人の心、個性、その人にしかない可能性を引き出すことで、

その人にしか表せない、

美しい虹をかける。


メガネをかけたら

心に

虹がかかる。


出会う人を健康と幸せに導きたい。

強く、強く、誇りを持って、そう思う。


以上、たぁさんの魂のひかりの物語でした。

たぁさん、ありがとうございました!


たぁさんのTwitter

たぁさんのお店のホームページ視覚ラボ


あとがき

たぁさんと私は年齢が近いです。そういう同年齢のよしみというのでしょうか。同級生のような関係性の中で記事を書きました。

たぁさんは、私に記事を書いてほしいという思いがあるのみで、中身については全くのゼロからのスタートでした。

いやぁ、いろいろあるんだけど、何から話せば・・・

これ、話したらやばいやつちゃうんかな・・・

途中でふ、ふ、ふ、という魅力的な含み笑いを交えながら

2日間、お話を伺いました。

が、全く埒があかず、物語のテーマが見えてこない。

2日目の深夜に、

わかった、たぁさん、とりあえず私が今日の話にでてきたエピソードを一つ書くから。それを読んだら、なんか見えてくるかもしれないから、そうしよう。

学級委員長が、同級生の読書感想文を手伝うような言いっぷりです。

そうやって書いたエピソードが「ヘドロ」でした。「ヘドロ」の話をしているとき、たぁさんの言葉に一番感情が入っていたので「ヘドロ」のエピソードを選択しました。

たぁさんは、「ヘドロ」を読みました。

そしたら、何かが見えてきたようでした。また2時間お話を伺い、ようやく下書きが完成しました。

下書きを読んだたぁさんは、更に見えてきたものがありました。

私は下書きを修正しました。

こうやって、2人で物語を作りあげ、完成させました。

1日目は静かなトーン、どちらかというとたぁさんは暗かったのですが、3日目には声がとても明るくなっていて、特に眼についてのお話をされている時のたぁさんは、熱くて、話が止まらなかったです。

こうやって魂のひかりを集めるのは、楽しいし、私にとっては冒険のようなものです。

たぁさんの記事を書きながら、私は自分の眼の本音にも耳を傾けるようになりました。

私の眼は、スマホの超高速スクロールを見るのが超絶嫌いだと教えてくれました。細かい字なら、パソコンやスマホよりも本の活字の方が疲れないことも教えてくれました。

和歌山県に行ってたぁさんの眼鏡屋さんでメガネを作りたいです。

食欲も物欲もなくなってしまった母親にも、たぁさんのメガネをプレゼントしたら、すごく喜んでくれるだろうな、とも思っています。楽しみです。

最後に、たぁさんがお姉さんを思って作った歌を紹介します。

サネカズラ


みなさん、いつも記事を楽しみにしてくださり、リツーイトの応援もありがとうございます。本当に感謝しています。

たぁさんの魂のひかりが皆さんの心を照らしますように。


後日談

先月末の土曜日に、福島県に住む母親とたぁさんの眼鏡屋さんにメガネを作りに行ってきました。

前日の夜に出発して、富士山が良く見える町で一泊しました。そこから車で7時間、ようやく午後の3時にたぁさんの眼鏡屋さんにたどり着きました。

途中で天気雨が何度も降り、3回も虹を見ました。

初めてお会いしたたぁさんは、私が想像していたよりも髪の毛が長くて、とてもやさしい目をしたイケメンでした。

3時間以上も時間をかけて母と私の眼を見てくれました。熱心に、丁寧に私と母に説明してくれました。

私の眼の使い方は一点集中型でした。近くの物をぐわっと目に力を入れて見にいっている。自分でもびっくりしたのが、近くの物をボーっと見ることができなくて、目の前の物は焦点を合わせて、見よう、見ようとしてしまうのです。

本来ならば、近視になる目の使い方をしているはずなのに、視力がとても良い。その分、体の別の部分に負担が来てるのではないか、とたぁさんが心配されていました。

そんな私には、近くの物を楽に見れるメガネを調整してくれました。

一週間もしないうちに、たぁさんのメガネが届きました。

つけてみると、目の前のもの以外ぼやけるメガネでした。

目の前の物は、ぐわっと力を入れなくても見えるメガネでした。

遠くのものがぼやける感じは、目をつぶっている時と変わらないくらいの眼の使い方なんですね。眠りにつきそうなくらい、ボーっとしてしまいます。

「あぁ、物を見るなってことなんだ。いろいろ見えると気を張ってしまうから、もっとボーっとしろってことなんだ」と思って、あまり何も考えなくなりました。

その分、パソコンを前にした仕事をすると、本当に目は疲れません。周りがぼやけている分、目の前のことに集中できる時間が増えました。事務作業なんかは、びっくりするくらい長い時間することができました。

遠くは何も見えないけれど、裸眼でいる時よりもメガネをかけている方が、眼が全く疲れない。

使い続けてまだ4日しか経っていませんが、こんな使い心地です。

息子に対して、細かいことに口うるさくなってしまう自分をどうにかしたいと思っています。

このメガネをつけていたら、細かいことを気にしない、大らかな母親になれることを期待しています。

また、使い続けて変化があったら加筆しますね。







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