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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第十話 わたしにだけ、勃たない?

わたしにだけ、勃たない?

この頃秀吉は、これまではひっそり恐るおそる出していた闇の顔を、わたしに対しても堂々と出し始めました。
清州会議が終わった夜、二人きりの閨で正座した秀吉が突然言いました。

「寧々、わしは側室を持つ」
「えっ?」

わたしは面食らい、身を乗り出しました。それは相談でもなく、決定事項の報告でした。
「明智に味方した若狭の守護大名の武田元明の妻子を捕えた。
妻の京極龍子が、子どもの命と引き換えにわしの側室になりたい、と申し出たのよ。
ならば、受けねばなと思っての。
龍子殿には、二人も男子がおる。
わしの側室の息子になれば、わしが手助けできるが、側室を断れば龍子殿も子どもたちもみな殺さねばならぬ。人助けにもなるでな」

一見、秀吉の言うことは相談のように聞こえますが、断る余地が残されていません。
子どもが親に欲しいものを買ってほしい時、親が断れないような理由を見つけ、買わせるように持っていく方法です。
わたしが承知するもっともらしい理由を、コーティングしただけです。それがわかっているから、そっけなく言いました。
「仕方ないですわね。人助けですから」

秀吉は願いを通し、満面の笑みになりました。

「さすが、寧々じゃ!そうじゃ!
人助けのために、わしの側室にするんじゃ。
龍子殿は、武田で三人も子をもうけた。
わしは、四十五じゃ。
まだ自分の子を持てるかもしれん。
多産な龍子殿なら、わしの子を宿すかもしれんしな」

思わず「あっ!」と叫びたくなるのを、ぐっと飲みこみました。
豪や秀勝という子どもをもらい受けながらも、秀吉はまだ自分の血を引く子どもを持つことを、あきらめていなかったのです。わたしは、鈍器で頭を強く殴られたような痛みを覚えました。
信長様のお子だった秀勝を羽柴の跡取りにする、と言っていたのに信長様が亡くなった今、秀吉の思いは違うところにあります。

やはり彼は、自分のDNAを持った子どもが欲しいのです。
その思いを、隠すことなく堂々とわたしに申し伝えたのです。
わたしだって
わたしだって・・・・・・
彼の望みを叶えてやりたい!
いや、わたしこそが叶えたい!!

わたしは歯を食いしばりながら、自分の一度も使われていない子宮を思いました。
一度も秀吉に抱かれていない身体を、顧みました。
子宮がわたしの苦しみと悲しみを背負い、下腹部がキリキリ痛みます。

どうして、秀吉はそこを無視するのでしょう。
なぜわたしを女として封印し、朽ちらせるのでしょう?
彼の母親になる、と頭では納得しております。いえ、納得させました。
けれど、身体は赦しません。
ブルブルと怒りで震えています。

なぜ秀吉の子を産むのが、わたしの身体ではダメなの?
なぜ秀吉の精子を受け取るのが、わたしの子宮では無理なの?
これまで二十年抑えていた思いが身体中に溢れ出し、今にも爆発寸前です。わたしは、はぁはぁ肩で息をしながら、震えながら脂汗を流しました。

さすがに秀吉も、そんなわたしの様子をおかしい、と思ったのでしょう。
「どうした?寧々?」
彼はわたしの震える手を握りしめようと、手を伸ばしました。
「触るな!」わたしは彼の手をパン!と弾きました。
これは本当にわたしの声か?と思うほどの鋭い声でした。

その時、わたしの闇もふたを開きました。

「わたしを
このわたしを都合よく使いおって・・・・・・
わたしがどれだけ我慢し、お前様に尽くしている、と思ってる?
わたしは一生、お前様に抱かれず、他の男にも抱かれず、ヴァージンのまま一生を終えればいいと思っているのか?
去勢した飼い犬のように、お前様に飼われ続ければいいのか?
わたしだって女だ!
お前様がわたしを抱いてくれたら、まだ子どもだって産める可能性もある!
お前様を愛している。
なのに、どうして他の女を抱く?
それがどれほどつらいことか、お前様にはわからんのか!!」

結婚して二十年、抑えにおさえ、納得させ続けた思いが火山のように爆発しました。ドロドロした熱いマグマが辺り一面、飛び散りました。
火を噴いたわたしの身体は、まだ小刻みに震えています。
とんでもないことを口にした、という思いと、やっと言えた、という思いが複雑に交差しました。
結婚し初めてわたしの本音を聞いた秀吉は、強いショックを受けたようです。ックリ肩を落とした姿は、一回り小さくなったようにも見えました。

「すまん、わしは寧々をそこまで追い詰めとったんじゃなぁ。
わしのワガママで、寧々をおかんにしてしもうたなぁ。
本当に、すまなんだ」

秀吉は、わたしに頭を下げました。
そして言ったのです。

「わしには、どんな形であれ、寧々が必要じゃ。
ずっとそばにいて欲しい。
だが、わしには寧々を抱くことができん。
できんのよ」

わたしは鋭い声で問い詰めました。
「なぜですの?」

秀吉は口をつぐみました。
息苦しい沈黙が流れました。
何か良くないことを聞く気がする、そんな予感で窒息しそうでした。
やがて秀吉が、かすれた声で言いました。

「わしは、寧々には勃たないんじゃ。
お前が寝ている時に、何度も試してみた。
男として寧々を抱きたい、という欲望はあった。
でもどうしても無理じゃった。
わしは自分がおかしいのか、と思った。
他の女で試したら、他の女とはできるんじゃ・・・
なぜなのか、わからん。

たぶん、わしには寧々にコンプレックスがあるんじゃと思う。
お前はわしより十近く年下なのに賢く、わしよりも身分が高い家柄じゃった。愛されて育ち、天真爛漫だった。
そんなお前に惹かれ、お前を手に入れたい、と望んだ。
でも手に入れてみたら、お前は輝きすぎて。わしには手が届かない相手じゃった。だが、お前を愛してる。
どんな女よりも、お前が一番じゃ。
お前を離したくない。
ずっとお前をそばに置きたい。
そう考えて、お前をおっかあにすることにした。

じゃが、お前も一人の女じゃ。
お前はわし以外の誰にも抱かれてないんじゃのう。
お前は女としての欲望がないんだ、と思い込んどった。
そんなワケなどないのになぁ。
今まで我慢して、耐えてたんじゃなぁ。
本当にすまなんだ」

そう頭を下げた後、秀吉は意を決したように言ったのです。
「寧々
離縁しよう・・・」

秀吉は、泣きながら頭を下げました。

「これ以上、お前を苦しめるわけにはいかん。
わしと離縁して一人の女になったら、お前は他の男に抱かれることもできる。他の男と結婚することもできるだろう。
まだ子を産むことができるかもしれん。
お前のためには、それが一番いいのかもしれん・・・・・」

わたしは呆然としました。
こんな事実が隠されていました。
この事実を長い間秀吉は、隠し通していたのです。もはや隠蔽です。
わたしにだけ、勃起できない?
なんですか、それ?

屈辱と怒りで、髪の毛が逆立ちました。
握りしめたこぶしに爪が食い込み、固く噛みしめた唇から血が流れ出しました。
わたしの心にも鋭い刃が突き刺さり、今にも息絶えそうです。

「なに・・・・・
なに、それ?
今さら、二十年も経って何よ!」

わたしはキリキリと音を立て突き刺さった刃を抜き、立ち上がりました。

「もうわたしは、三十五よ!
今さら離縁され、どうしろ?というの。
三十五で処女だなんて、誰がわたしを抱いてくれるの?
二十年も妻をしておいて、誰が信じてくれるというの?
もっと早くに教えてくれていたら、まだ身の振り方を考えられたわ!
今さら、どうにもできないのよ!」

わたしは激情にかられ、そばにあった湯飲み茶碗を投げつけました。
秀吉は腕でよけましたが、畳に落ちた茶碗は割れ、欠片が秀吉の頬に当たり切れました。
切れ後から、血が流れています。

「わたしにだけ、勃たない?
はぁ?なにそれ?!
わたしのこと、女として見てないだけでしょう?
都合よく使っただけでしょう?
自分のコンプレックスを、埋めたかっただけでしょう?
いい加減にしてよ!」

一度開いた闇は、もう蓋をできません。
一度口に出した言葉も、もう二度と口に戻せません。
わたしは呪いのように次々、口に戻せない言葉を吐き続けました。
言いたいことを言い終えると、わたしは秀吉の前に立ち、着ていた着物を脱ぎました。
真っ裸になり、力なく座り込んだ秀吉を上から見下ろしました。
秀吉はどうしたのか?と、おびえるような眼差しでわたしを見上げました。

わたしは裸のまま秀吉に抱きつき、寝床に身体を押しつけました。
押しつけた男をどうしたらいいのかわからないまま、彼の着物をはだけ、あちらこちらに唇をつけました。
彼を犯すように、わたしは馬乗りになりました。
そして彼のものを触りました。
そこは、力なくグンニャリと柔らかいままでした。

「寧々、すまん・・・」

秀吉が泣き始めました。
わたしは打ちのめされました。彼はそっとわたしを押しのけ布団の上に座らせました。そして裸のわたしに背中から着物をかけました。

「わしは、お前を抱けん。
お前を女にしてやれん。
本当に、すまん」

彼はわたしに土下座して頭を下げました。呆然としたままわたしはその姿を見つめました。わたしは自分が女の形をしたもので、妻という名ですが、女ではないものだと思い知らされました。

やがて秀吉は立ち上がると、部屋から出て行きました。

わたしは一人その場に残されました。夏の暑い夜なのに、心も身体も氷のように冷たいのです。わたしは秀吉が背中にかけた着物を放り投げ、裸のまま布団に入りました。涙がどんどん溢れだします。

もう二度と朝なんて来なければいい、このまま目覚めたくない、そう思い暗い天井をにらみつけました。
その夜、秀吉は寝床に帰ってくることはありませんでした。

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