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「シャイニング・ワイルドフラワー~千だって~」第二十九話 なんの後悔もない人生

なんの後悔もない人生


それからも色々ことがあったわ。
六十歳の時、歴史的な大火事が起こった。
四十七歳で亡くなった家光を見送り、家光の長男が四代目の将軍徳川家綱となった時のこと。後に後に江戸三大大火とも言われた明暦の大火だった。
この火事で私の住んでいた竹橋御殿も焼けてしまった。
火の勢いは凄まじかった。真っ赤な火が大きく手を広げ、江戸城や、江戸城の周りにあるたくさんの大名達の屋敷や江戸の町も、ほとんど焼き焼き尽くした。残ったのは江戸城の外堀だけだった。

怪我人や死者の数も、三万とも十万とも言われ数えきれないほどの多くの命が失われたり、傷つけられた。

私は侍女達と一緒に、焼け野原に呆然と立ち尽くした。焦げ臭い匂いが私達を包む。見事な焼けっぷりに思わず可笑しくなって、くすり、と笑った。そして、これだけ焼け尽くされていると、いっそ清々しいわね、とそばにいた侍女に話すとあきられられた。焼け野原にぽつん、と残った外堀を見て
「どこかで見たような景色だわ・・・・・・」
とデジャブを憶えた。
遠い昔に、状況は違うけど似たようなことがあった気がし、首を傾げた。

記憶の引き出しから、するり、と思い出が飛び出た。「ああ、そうだ!」思わず手を打った。
半世紀近い昔、秀くんに嫁ぎ豊臣に居た時だった。
大阪城で豊臣が徳川と争った「大阪冬の陣」。
その講和条件で、大阪城は内堀も外堀もすべて徳川に埋められ、お城だけがぽつん、と残っていた。その記憶と今の光景がかぶさった。
今は反対にお城が燃え外堀だけがぽつん、と残っている。
その光景は切なく悲しい。心の奥深くに眠っているやわらかい場所をキュン、と猫に甘噛みされたような気持ちになり、思わず自分の腕を抱きしめた。

この時期、私は白い猫と一緒に暮らしていた。
「たま」と名付けた毛並みの美しい白い猫は、火事の前にどこからともなくやってきて、屋敷のお庭にちょこんといた。人なれしているのか人間を怖がらずすり寄ってくるさまが可愛く、屋敷で飼うことにした。
火事が起こった時、火の手が近づいてくるのをいち早く感じ取ったのも、たまだった。
遠くに見えた火なのに、尋常でない激しく鳴き声が止まないたまを見た刑部卿局はみなに指示をし荷物をまとめ、早めに屋敷から避難した。
それからしばらくし強い風にあおられ、火は大波のように一挙に屋敷を襲い、瞬く間に飲みこんだ。
火の手の速さにみなあっけに取られ、ただただ屋敷が焼き尽くされていくのを見ているしかなかった。

激しい火の手は大阪城落城も思い出させた。火に包まれていく大阪城。
そこに立ちすくんでいた、若い私。秀くんとの永遠の別れを覚悟した私。
私達の命を救ってくれたたまを両手で抱き、焼け野原に立ち尽くした私は、その時以来、どれだけ大切な人達と永遠の別れを告げたか思い出した。そし
六十歳の自分がずいぶん遠くまで来た、としみじみ感じていると、たまがペロペロ私の手をなめた。

その時、風が吹き焦げ跡の匂いに体を包まれた。匂いは過去の思い出を蘇らせる。昔寧々ママに言われたことを思い出した。
運命に流されるのではなく、運命を操る女になりなさい、あの時から私は懸命に自分を探しながらこれまで生きてきた。
風に乗りどこからか運ばれた種が砂漠に根付き、両手を広げ咲くワイルドフラワー。運命に流され生きていたあの頃の私は、そんな自分の意志で強く生きる事を決めた。砂漠まで風に乗って運ばれてきた種は、また風に乗ってどこかに運ばれていく。次に私はどこに行くのだろう?たまの丸い背中を撫でながら考えた。

明暦の大火で住む場所を失った私達に紀州の徳川頼宣叔父ちゃまが手を差し伸べてくれた。私達はたまも一緒に連れ、紀州に身を寄せた。
叔父ちゃまは徳川一族の長老的立場で、親切に私達の面倒をみてくれた。
叔父ちゃまはおじいちゃまにとって十番目の息子だけど、最後までおじいちゃまの手元に置かれ教育された、いわば秘蔵っ子だった。
叔父ちゃまは秀くんが京都の二条城でおじいちゃまと初めて会った時も、一緒に行っていた。あの頃から叔父ちゃまは、私をとても気にかけてくれていた。
紀州は明暦の大火など何もなかったように、気候も温暖で穏やかな土地だった。紀州の地や叔父ちゃまの愛に包まれ、私達は火事でショックをうけ疲れ果てた心と体を癒し、骨休した。

自分が楽でおだやかに暮らしていた一方、江戸に残された人々のことが気になって仕方かった。
家を焼かれ、家族を失った人たちは今、どうしているだろう?
着るものや食べるものがなくて、困っているのではかしら?
そんなことばかりが頭に浮かび、自分だけが安穏と遠く離れた紀州でのんびり暮らしているのが嫌になった。
だから江戸が少し落ち着きを取り戻すと、叔父ちゃまが引き留めるのも聞かずに、また江戸に戻ってきてしまった。

江戸の町はこの火事を教訓に再開発が行なわれ、町中が整備されることになった。
幕府は備蓄米を出してみなに分け与えたり、食料の配給や新しく家屋敷を建てるのに必要な建築資材やお米の価格を統制した。
また武士や町人の区別なく、復興資金の援助もした。
私も少しでも協力したくて、侍女達と一緒に避難所で炊き出しの手伝いをしたわ。
だけど、それでは物足りなかった。もっと何か人の役に立つことがしたかった。
そこで私の知恵袋、刑部卿局に相談したの。刑部卿局は髪の毛も真っ白になり背中も曲がっていたけど、かくしゃくとし元気だった。

「もっと何か資金を集める方法はないかしら?」

「そうですね。
私達が今回命を助けられたのは、火の手が回るのをいち早く教えてくれた、たまのおかげです。
たまは私達の命の恩人です。
ですから、持っていると命を守れ、運気アップするたまグッズを作り売り出しましょう。
たまは手招きをするように、私達を助けてくれました。
幸運を呼ぶ招き猫、というキャラクターにして、売り出せばよろしいのではないでしょうか?」

「まぁ、それはナイスアイディア!!」

私は手を打って賛成した。

早速、たまをモデルにした招き猫の制作に取り掛かった。
若い侍女たちの意見も取り入れた「招き猫」の置物や髪飾り、そしてストラップ代わりになる根付け。
「幸運を身に着ける」という売り文句と、命が助かったという逸話をつけた「招き猫」グッズは大ヒットし、飛ぶように売れた。
私はこれを、火事にまったく影響のなかった大阪でも売り出すことにした。
似たようなまがい物が出ることを防ぐため、私の「招き猫」には徳川の葵の紋を入れさせてもらったわ。
自分の持っているものをしっかり有効活用した。

たまモデルの「招き猫」グッズは、瞬く間に売れ、おかげでたくさんのお金が入ってきた。
このお金は、夫や家族を亡くした女性のための資金にした。
彼女達に招き猫グッズの販売や、作成をする仕事を提供した。
シェアハウスのような女性専用の長屋を作り、夫を亡くした妻子や家族を失った娘が一緒に住めるようにもした。
この機会に夫と離縁し人生をリセットしたい女性は、東慶寺に送り込んだ。
こうやって私は、自分でできることをしていったわ。
そして江戸の町は、少しずつ活気と笑い声を取り戻していった。

火事から四年後、九十二歳で刑部卿局がこの世を去った。
去り際の言葉は「姫様、お先に失礼致します」と、最後まで奥ゆかしい彼女らしい最後だった。
私は彼女の皺だらけの手を握りしめ、泣きながら見送った。

その五年後、七十歳で私もこの世を去った。
寒い冬の日、風邪をこじらせ肺炎になりそのまま身体を手放したの。

私の七十年の人生は、精いっぱい砂漠に花を咲かせた人生だった。
恋もした、愛おしい人と結婚した、子供も産んだ、誰かのために役に立つこともした。なんの後悔もない人生だった。

こうやって私の人生を振り返り、あなたと一緒に再体験したの。
いかがだったかしら?

さて今、私はどこにいると思う?

どこからあなたにこの話をしていると思う?


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