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「シャイニング・ワイルドフラワー~千だって~」第十九話 涙は明日への力になる

涙は明日への力になる

「千姫様、あなたは亡くなった秀頼公のお恨みをかっております」

その言葉を聴いた時、背中がゾッと泡立った。
この人の言うことを聞いてはいけない、という思いと、すがりたい、という思いが強烈に交差した。
本能は「近寄ってはいけない!」と赤信号を出し続けた。でも、私は彼女の前に座ってしまった。すぐそばには、ピタリと刑部卿局が張り付いていた。

私の中で、ワイルドフラワーは確かに咲いていた。
けれどその花はまた、瀕死の状態だったの。
朝、天満宮に向かって祈っている時は落ち着いている。
けれど夕方になり真っ赤な夕日があたり一面を照らし悲しいほど美しい景色が広がると、また涙が流れてしまう。そんな日々を送っていた。
乾いた砂漠の中で、神のご加護を求めさまよい歩く旅人のようだった。

私の様子があまりにも不安定で、流産ばかり続くのを心配した熊ママは思い悩み、ついにこう言いだした。
「よい占い師がいるので、一度みてもらったらどうかしら?」
そして私を占い師のところに連れて行ったの。

そこは町から少し離れているものの、大きな屋敷だった。静かだったが、数人の召使たちがいるようで裕福な暮らしぶりがわかった。

「たいそう当たる、という事でたくさんの寄進が寄せられるそうです」刑部卿局が耳元でささやいた。一人の召使に長い廊下を歩き部屋まで案内される時から、嫌な予感がし足が進まなかった。空気が重くよどんでいた。引き合えして帰りたくなったが熊ママの紹介なので、無理して足を前に運んだ。障子を開けると、六十代くらいで高価な紫色の着物をまとい白い髪を一つに束ねた老女がいた。彼女は私を鋭い目つきでえぐった。
「ようやく、来られましたか。 たいそう、遅かったことですね」

そして私に次々と悪意の矢を放った。

「千姫様、あなたは亡くなった秀頼公のお恨みをかっております。」

えっ・・・秀くん!!
心臓がどきん、とはね封印した過去の結婚が開いた。

「そなた、ご無礼ですぞ!」
間髪入れず刑部卿局が叫んだ。

占い師の老女は刑部卿局の言葉を無視し、私の心臓に向かい矢を放ち続けた。

「幸千代様のお亡くなりになったこと、そしてそれからお子が生まれないこと。すべて亡くなった秀頼公が、千姫様を恨んでおられるからです」

私は驚いて、立ち上がりそうになった。秀くんが私を恨んでいる?
私だけ幸せになったから?一緒に死ななかったから?
でもあの落城寸前の大阪城から逃してくれたのは、秀くんよ。
彼女が言うことに、合点がいかない。
腑に落ちないというか、何か喉に小骨が刺さっているようなスッキリしない気持ちだった。だから私は唖然とした顔をしていたのでしょう。
そんな私の態度にイラついたのか、彼女は叫んだ。

「ほれ、すぐそうやって自分だけ関係のないようなお顔をされる。
それが、秀頼公の恨みをかっておるのです!」

その時わかったの。
このお告げは、秀くんのものではない、この人自身の私に対する妬みや嫉みだ、と。
そう考えると、クスっとおかしくなったけど神妙な顔で聞いてみたの。

「では私は、どうしたらよろしいでしょうか?」

彼女は胸を張り、重々しく言った。

「秀頼公に赦しを得る手紙を書いて、観音像の中に入れ祀りなさい」

変なの!と思ったけど、一刻も早くこの部屋から逃げたかったので、大人しく頭を下げた。
「わかりました」
そして立ち上がった。私が部屋から出ると、刑部卿局が礼金の包みを渡し早々に屋敷から退散した。屋敷の外に出ると、私も彼女も大きくふーっ、と息を吐いた。
「なんだか息がしずらい家だったわね」

「久しぶりにあのような空気が濁った家に入りましたね。塩を持ってきてよかったです」

さすが刑部卿局。袂から塩を取り出し私の頭や背中に向け、ぱらぱらと振りかけ祓った。それから自分の体全体にふりかけ、祓った。浄化の儀式を終えると、体が軽くなり視界が明るくなった気がした。

「ねぇ、どう思う?」刑部卿局に問いかけた。

彼女は一瞬答えていいかどうか迷っていたように見えた。

「亡くなった秀頼様が、姫様を恨んでいるなど、そんなことはないかと存じます。 ただ・・・・・・」

「ただ、何なの?」

「人は幸せな人を、うらやましく思います。
特に自分が不幸であればあるほど、幸せな人が妬ましいのです。
姫様が大阪城から救い出された時、姫様は不幸なプリンセスでした。
不幸なプリンセスには、みな同情します。
けれどそこから姫様は忠刻様と出逢い幸せな結婚をし、お子様もお生まれになりました。
一転幸せなプリンセスになったのです。
するとこれまで不幸のプリンセスに心を寄せ、同情していた人たちは手のひらを返します。
自分だけが幸せになって!という妬みや恨みの念を、姫様に送ってくるのです。あの者も、そうでしょう。
とても幸せそうには、見えませんでしたね」

 その時、占い師に感じていた違和感の正体にピントが合ってわかった。そ
そう、そう、そう!わたしが言いたいのはそれよ!と私は息せき切って言った。

「さすが、刑部卿局ね。私もそう思うわ。
秀頼様が私を恨むなどありえない。
あんな純粋でお優しい方だったのに。
もし本当に私を恨んでいたら、結婚前にまんまと坂崎に略奪されていたはずだわ」

「そうでございます。
でもあの者の言葉は、世間のある一部の者達を代表した思いでしょう。
前の夫に恨まれていたらいいのに、という願いというか、よこしまな思いがあの者の口を借り出てきたのでしょう。
ですから秀頼公に赦しを得る手紙を書いて、観音像の中に入れ祀りなさい、というアドバイスをそのままやってみてはいかがでしょうか?」

「え~~~!恨まれてもいないのに、そんなことするの?なんか、いやだわぁ」

「姫様、世間と言うものはそういうものです。
何か、証、が欲しいのですよ。
播磨の民達も、姫様がそうやって理由付けをすることで安心するのです。
やってみても損はない、と思いますよ。
 人は幸せな人よりも、不幸な人に心を寄せるものです。
少し不幸なプリンセスを演じる方が、受けは良いかと思います」

頭を下げる刑部卿局を見て、私はつくづくプリンセスとは不自由なものだわ、と思ったの。一般庶民はセレブに憧れるかもしれないけど、その立場にいるものは責任も重い。受け取る念や恨みも半端なくたくさんくる。それでいいのなら、代わってあげたいものだわ。

複雑な気持ちだったけど、せっかくだから言われた通りやってみることにした。
手紙は書いた私にしかわからないから、秀くんへのお手紙にした。秀くんへの感謝の気持ちとご冥福を祈り、今の私の状況を書いた。そしてごめんなさい、ではなく、ありがとうと感謝をたくさん伝えたわ。
その手紙を観音像の中に入れ、ふたをして誰にも見られないようにし、祈りを捧げた。

人はいつか、死ぬ。
私も夫だった秀くんと秀くんのママ伯母の淀ママを亡くした。
大切な跡取り息子の幸千代も亡くした。
私ができるのは彼らが安らかに極楽浄土にたどり着き、安らかに過ごせることを祈るだけ。
そう思い、これまで以上に熱心に男山の方に向いて祈った。

人はいつか、死ぬ。
それから三年後、参勤交代から帰ってきた忠刻ダーリンは体調を崩して寝込だ。
江戸にいた時から、咳がひどかったことを一緒に江戸から戻った家臣に聞いた。医師は「結核」と見立て、病名を聞いたみなは震えた。

この時代、結核は「死」を意味する。
何とか忠刻ダーリンに元気になってほしくて、みなに反対されたけど懸命に看病した。
けれどその甲斐もなく忠刻ダーリンは三十一歳で、この世を去った。
五月七日だった。そしてその日は、大阪城が落城したのと同じ日だった。
死はそれだけではなかった。彼の後を追うように、八月には熊ママ九月には江戸城にいるママも亡くなった。

わずか四ヶ月の間に、愛する人を三人も失った私は茫然とした。
口さがない人たちは「やはり亡くなった秀頼様の呪いが・・・」と噂した。
だけど私はそんな噂で傷つくより、あまりに突然だった愛する人達の相次ぐ死に心も体もついていけなかった。不眠症と過食症が始まり、自己嫌悪に陥った。

人はいつか死ぬ、という概念を頭で理解するのと、現実の体験で受け入れるのは天と地ほど違う。秀くんの時のように戦で愛する人を失うのではなく、病で失う不条理な現実。

夜眠れないので、昼間起きていてもうつらうつらとぼんやりする。その日も座っていたけど、船をこいでいた。その時、刑部卿局の言葉が耳に蘇った。
「人は幸せな人よりも、不幸な人に心を寄せるものです。
少し不幸なプリンセスを演じる方が、受けは良いかと思います」

私は不幸なプリンセスなのかしら?それとも呪われたプリンセス?
そんな不幸設定の方が世間受けするのだろうか。
私はそんな設定で生きたくない。これも神様が与えた試練だとしたら、どんな意味があるのだろう。

出口が見えない答えのない迷路に入り込み、両手で頭を抱え込んでいた。
すると横から「お母さま」と呼ぶ声が聞こえた。そしてあたたかい小さな手が私の背中を撫でた。
ハッ、と顔を上げると、勝姫が一生懸命私の背中を撫でていた。そばにいる侍女達もそっと涙をぬぐっている。勝姫は後ろから私の方に周り、心配そうな顔で私を覗きこんだ。

その時私は気づいた。愛する娘がいたことを。
ああ、そうだ、私は一人ではなかった。
そして勝姫を見ていると、一人の少女の面影がだぶった。
それは秀くんの側室さんの娘で、養女にした奈阿ちゃんだった。
あの時の奈阿ちゃんは、今の勝姫くらいの年で東慶寺に入った。
私は東慶寺に連れて行く時、奈阿ちゃんの手を握りたしかこう言ったわ。

「でもね、生きていくの。生きているだけで、もうけものなの。だから、生きていこうね」

奈阿ちゃんは両親を失い、兄を失い、おばあちゃんも失った。
家族全員を失い、本当に一人ぽっちだった。
それでも生きていた。

今この立場になって初めて彼女の辛さや寂しさがわかった。
そして、奈阿ちゃんはえらかった、と心から思った。
涙も流さないのが彼女の強かさだと思っていたけど、そうではなかった事にも気づいた。そうするしかなかったよね。生かされた命をただひたすら、生きるしかなかったのよね。

だったら、私はまだ生きていかねばならない。
生かされている命ならば、まだ何かやることが残されているはず。

私は勝姫を抱きしめ、泣いた。勝姫もこれまで我慢していたのか、私が鳴き始めると同時に堰を切ったように大声で泣き始めた。声を出して泣きながら、決めた。たくさん涙を流し、泣きたいだけ泣こう。
そうしたら立ち上がり、前だけを向いて生きていく。
だけど、今はまだ泣いてもいい。
泣くことを自分に赦してあげよう。

つらかったよね。
さみしかったよね。
私達は自分のインナーチャイルドを抱きしめ、激しく泣いた。

涙は明日への力になる。たくさん涙を流したら、立ち上がり前だけを向いて生きていく。
私は砂漠に咲くワイルドフラワーだから。


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愛し愛され輝いて生きるガイドブック

心が弱っている時、誰かに心を預けたくなるかもしれません。

あまりの悲しみやつらさに、前を向いて歩くのを止めたくなるかもしれません。

それでも、それでも、あなたは生かされています。

それは、あなたにまだやることがあるからです。

あなたのやること・・・

それは、何でしょう?

あなたはそれを知っています。

知るのが、怖いだけかもしれませんね。


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