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リーディング小説「美しい子宮~寧々ね~」第四話 わたし達夫婦の当たり前

わたし達夫婦の当たり前

わたしの表の顔は藤吉郎の妻、彼と二人でいる時は彼の母親として裏の顔、という二面を持っていました。
夜、仕事から帰ってきた藤吉郎は、その日あったことを子どもが母親に話するように、無邪気に何でも話をします。わたしはそれを、うんうん、とうなづき微笑んで聞いています。
そこにある一人の女性の話が、たびたび出ることに気づきました。

「そりゃあ、もう、わしには別世界のような、とてつもなく綺麗な人じゃあ!」

「今日は、そのお顔が見られたから、満足じゃ~!」

彼の話にさりげなくちりばめられたその方のことを、上半身を乗り出し、つい悪戯心で彼に聞きました。

「お前様、もしかしてそのお方のことを、好いていますか?」

ほんの軽い気持ちでしたのよ。
笑って、否定するとばかり思っていました。
けれど藤吉郎は一瞬、真顔で言うのです。

「うん、わしは、あの方のことを好いちょる。
一度でいい、あの方に笑いかけて欲しい。
なぁ、寧々、どうしたらいいもんだが・・・・・・」

わたしは激しくショックを受けました。
ぬけぬけと妻であるわたしに、他の女性がすきだ、と言うのでしょう!
夫が妻に他の女性がすき、などと言うものでしょうか?
わたしは息を吸い込み、上から見下ろすように意地悪く言いました。

「そんなお方が、あなたになんぞ興味を示しますか?
それにもうお輿入れ先が、決まっておりますでしょう?」

「そうなんじゃ!
わしの手の届かんところに行かれてしまう。
もう、二度とお顔を見れることもかなわんのが、つらくてたまら~ん!!」

藤吉郎は泣きそうな顔でわたしに抱きついてきました。わたしは腹が立ったから、ぐいっと押し返してやりました。
だって、そうでしょう?
いくら母親役をしているから、といって妻に他の女を好いてることを聞かされて、腹が立たない女がいましょうか?!

藤吉郎はわたしが怒ったのを敏感に察して、機嫌を取るように猫なで声になり、わたしの手を取りました。

「寧々や、怒らんといてちょ。
わしには、とうてい手の届かん人だって知っとるだろ?
信長様の妹様じゃて。
ほんまにお綺麗な方じゃ。
わしのもんにできるなんて、これっぽっちも思っとらん!
わしにとっては、天女様みたいなもんじゃ~~~」

一人で盛り上がり、顔を赤くしてウギャギャギャと、笑っておりました。
そう、藤吉郎のあこがれている女性は、信長様の妹のお市様でした。

お市様の美しさは、このあたりではたいそう有名でした。
わたしもお城に上がった時、何度かお見かけいたしました。
信長様ととても仲がよく、同じ女性の目から見ても美しく男性をひきつける魅力を持ったお方でした。
この時すでに、信長様と同盟を結ぶ浅井家にお輿入れが決まっていました。
思い返せば、藤吉郎が自分より格上の女性を好む癖は、この時からすでに始まっておりました。
自分より身分の高い女性を、自分のものにしてマウントを取るのは彼の、というのか、男のロマンなのでしょうか。
男の征服欲を満たす一つかもしれませんね。

この時はお市様もお輿入れされるし、お市様への思慕は一時的なものだろう、と思っていました。
わたしにしたら、子どもが初恋の話をしたようなもの、と真剣に受け取りませんでした。
ところが藤吉郎の根深い思いは、その後もずっと闇に隠れたカラスのようにわたしの知らぬ所で、どんどん深さを増していたのです。
やがて浅井家にお輿入れされたお市様が、女子を出産した、という話を聞きました。

「お市様がお子様をもうけるのは良いけれど、男子を産めないと肩身が狭いんじゃないかしら?」

そう声を潜めてまつさんが、わたしに言いました。

「でも、お市様は浅井長政様とたいそう夫婦仲が良い、とか。
それに前の奥様との間に男子がおられるから、いいのかもよ。
とにかく、お子様がいるなら何よりじゃない?」

わたしは軽い気持ちで言ったのです。
すると、まつさんはすぐにばつが悪い顔になりました。

「あ、ごめんなさい
寧々さんにお子さんの話をしてしまって・・・
本当にごめんなさい」

そう何度も謝り、頭を下げるのです。その時初めてわたしは、世間を知りました。
世間は、わたしと藤吉郎に子どもができないことを憐れみの対象として見ていました。
この戦国時代に、子孫を残す、血筋を絶やさない、ということは、嫁いだ女にとって最上の条件だったのです。
けれど初めからその条件にはじかれていたわたしは、まったく世間ずれしていました。
藤吉郎も実子を望まず
「子どもは、他からもらえばええじゃないか。
どこから来ても、家にきたら家の子よ」
と言っていました。

だから、わたしは自分が子供を産む、という概念から大きく外れていたのです。
そもそも子どもを産むのが前提の、閨の契りがないのですから、できるわけもありません。
それが、わたし達夫婦の当たり前でした。

わたしは笑いながら、申し訳なさそうに縮こまったまつさんに言いました。

「まつさん、いいのよ。気にしないで。
わたしはもう藤吉郎との間の子どもはあきらめているの。
だから、まつさんがたくさんお子さんを産んだら、わたしのところに一人いただけない?
できれば女の子がいいわ。
女の子は母親の味方をしてくれるでしょう?」

まつさんは、ホッとした顔になりました。

「寧々さん、まかしておいて!
わたし、たくさん子どもを産むわ。
そして、女の子をあなたのところに養女に出すわ。
あなたのところなら安心して、渡せるわ。
約束するからね」

そう言って、わたし達は指切りをしました。
後年、まつさんは本当にわたしと藤吉郎に女の子をプレゼントしてくれました。
それは、何よりうれしいことでした。

しばらく穏やかな日々が続きました。
ところが、ある日藤吉郎が真っ青な顔をして帰ってきました。

「大変じゃ、織田と浅井の同盟が破綻した・・・・・・
長政様が、信長様を裏切った・・・」

驚いたわたしは思わず立ちあがり、藤吉郎につめよりました。

「なんですって!
でしたら、お市様はどうなるんです?!
お市様と長政様のお子様は、どうなるんです?!」

吉郎は無言で、頭を抱えていました。
そして暗い声で言いました。

「寧々・・・・・・」

「はい」

「わしは信長様に、長政様を攻めるように申し付けられた。
お市様を追い詰めることになる。
じゃが、信長様の命に逆らうことはできん。
わしは、お市様に嫌われてしまうんじゃろうか?」

わたしは、藤吉郎をしっかり抱きしめました。彼は小さな子供のようにブルブル震えていました。

「つらいね、つらいね。
でもね、あなたが今やるべきことは何?
信長様の命に従うことでしょう?
信長様を盛り立てることでしょう?
そこに意識を持っていって。
それに・・・・・・」

「それに?なんじゃ、寧々?」

「それに、お市様は信長様の妹。
浅井家と織田家が戦ったら、どうなるのかわかっていると思います。
お市様は、織田の女です。
女はみな、自分の実家を身びいきするものです。
信長様も、お市様を決して見捨てることはないでしょう。大丈夫です」

藤吉郎は、顔を上げて言いました。その顔は一筋に光を見つけたように明るく輝いていました。

「そうじゃな!
そうじゃな!
わしが今するべきことは、信長様を勝たせることじゃ!
それがお市様を助けることになるんだな?
そうだな、寧々?」

「ええ、そうです。
信長様を勝たせることが、お市様をお救いすることになります。
だから、あなたは思うがままに活躍してきて下さい」

「わかった!
さすが、寧々じゃ!
わしのかかじゃ、おっかあだ!!」

彼はそう言うと、先ほどの落ち込みぶりはどこへやら、わたしの身体のいたるところに、チュウし始めました。
わたしはそれがくすぐったくて、笑っていました。
いつもはふざけて笑いあって終わるのですが、その日は藤吉郎の唇がわたしのうなじに触れました。
それが思いのほか、ゾクッとくる感触でした。
それまでクスクス笑っていたのに、つい
「ああん」
とわたしの口から、甘い吐息がもれてしまったのです。

藤吉郎は、ハッ、と唇を離しました。
わたしも、思わず襟を正しました。

「さぁ、これでもう安心ね。明日から忙しくなります。もう、寝ましょう」

そうわたしが切りかえると、藤吉郎は安心した顔になりました。
わたし達は何もなかったように、いつものように手をつないで寝ました。

いえ、わたしは寝たふりをしていました。隣から彼の健やかな寝息が聞こえます。
お市様のことを思うと、なかなか寝付けません。
藤吉郎があんなにも強くお市様に惹かれ、お輿入れされてからも執着していたのが衝撃でした。すっかり思慕の火は消えたものだと勝手に思い込んでいました。でもまだくすぶりながら、燃え続けていたのです。
わたしは彼の執着の強さが、何か別のものを引き寄せなければよいけれど、と不安にかられました。それが何なのかわかりませんが、口に苦いものが残るような嫌な予感が広がりました。

お市様はとても美しく聡明な女性です。けれど同性として、何かあの方には計り知れないところがあるのも感じていました。
お市様は、これからもずっと藤吉郎の手の届かない存在でいて欲しい、そう願い、暗闇の中で両手を組んで祈りました。
それは母親が子供の危険を察知し、守るような力かもしれません。
とにかくわたしはそう願いながら、眠りについたのです。

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