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【令和元年高野町祇園祭・其の二】

7月最後の週末の金土で行われた高野町祇園祭。
予備知識なく参加しての感想。

一日半とにかく歩く!(つっかけで行ってしまって激しく後悔><)

歩くし、その間ずっと大きな屋台を引いて、押して、


そして、ずーっと唄って、叩いて、そして、御酒も飲み続けて・・・

信州南佐久佐久穂は高野町の若衆たるや、相当の体力と酒の強さが求められるんだな〜
っていう驚きもありながらも。

一番の感想は…

高野町祇園祭は、荘厳な神事でした。

世代を超えて受け継がれていく大切な文化だとシンプルに思いました。

山から神様をおろしてきた氏子のお神輿に四町の屋台がお供し町内を練り歩くことが清めになり、
また張られた注連縄を切り、町の無病息災や家内安全を祈る儀式なんだとか。

その代々受け継がれてきた伝統を、今の若手が力強く全うしようとする姿には、
心打たれ、いや、心動かされるものがありました。

こうやってモノクロにすると歴史の1ページ感増す


一つ前のnoteで東町屋台が2022年に閉じるということを書いたけど、
地方で伝承文化を守る大変さについて他にも事例があるか調べてたら、
こんな記事を見つけた。

「祭りどう存続?地域の葛藤」
https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/11/1112.html

↑の記事の中で、

祭りの研究者:
「人知れず消えていく祭りが、加速度的に増えている。」

とありました。

ー地域の葛藤
ー祭の衰退はイコール地域の衰退

地元の人が夏の風物詩的に当たり前にあると思っているお祭り一つ取っても、
佐久穂町のいろんな局面が見て取れるというか。

人口減少で当たり前が当たり前じゃなくなる日はいつか来る・・・
じゃなくてもうすでに来ているんですね。

かつては賑わいを見せた東町商店街を行く東町屋台

続くにしても、消えるにしても、一番悲しいのは「人知れず」ってとこだと思う。

同日に開催されたお祭りの催しに来ていたAパンマンはそれこそ全国どこでも見られるけど、
祇園祭の四町の屋台は佐久穂でしか見られないものであって、
よっぽど価値も魅力もあると私は感じました。
(祭に人を呼ぶためにAパンマンの力も必要なのかもしれませんが…)

我が息子も、家に帰ってからもしばらくお囃子の一節をずっと唄っていて、
みんなのヒーローよりも、祇園祭の屋台の方が記憶に残っているようでした。


東町交差点での四町競演の様子

若いエネルギー溢れる柳町屋台

唯一の女屋台で格子がある翠町屋台のしっとりとした演奏

一番威勢がいい相生町屋台

そして東町お膝元 東町屋台


これは子どもたちにもずっと引き継いで見せていきたい。

高野町にある保育園に通っているのもあって
お友達に声をかけていただき息子も一緒に屋台を引かせてもらう


祇園祭はきっと、老いも若きにも地元の誇りですよね。

その誇りを守る責任感を持って屋台を引く若衆と呼ばれる担い手の皆さんの姿は、
とても尊く、立派でかっこよく見えました。
いや実際かっこよく見惚れるものがありました。
(この日ばかりは色めき立つ女子もいるとかいないとか…w)


とにかく背負っているものが違う。

これを背負っている一部の人たちだけで守るのではなく、
間違いなくこの祇園祭は佐久穂のなくしちゃいけない魅力の一つだと思うから、
町全体で守っていけたらいいのではないかな?なんて。
そのためにもっとみんな、来たる者も去る者も自分の町に興味と愛着を持ってほしいと来たばかりの人間は思いました。

・・・なんて、そんな理想みたいなことを思いつつも、、、
夢を見て旅立つ若者を地域が止めることもできない。
自分の幸せを誰しも自由に追い求めていいとも思う。
そんな私もだから私も佐久穂に来たのだし。

四町のぶつかり合い

激しい揺れの中でも唄い続ける女衆


この今の佐久穂を生きる若手たちの
今できる精一杯をそれぞれが全うする姿を見ることができた高野町祇園祭。

知らなかった佐久穂の魅力をまた一つ知りました。


◆おまけ◆

このお祭りで一番ドキドキしたポイント

交差点の向こうから隣町の屋台のお囃子が聞こえてきてやって来るのが見えた時…

一瞬ちょっと緊張感が走ったけど、
実際は仲良く礼儀正しいお隣さん同士でした。

四町の若衆の皆さん、大変お疲れ様でした!!

千曲川といいずら花火

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