短歌

公開前のボツ短歌から見る、「言葉選びの妙」

まだまだ下手なんですが、短歌考えるの結構たのしいです。

何首か書いてみて思ったのは、短歌というのは短い文字数の中でどこまで情報量を多くできるかに、出来不出来が関わってくるということ。

5・7・5・7・7それぞれの節に、まったく別の役割を持たせながら、全体で情景を描けないと、いい歌にならない気がします。

例えばこの歌。

妻

この形になるまでいろいろ考えたんですが、最終形になる直前はこうでした。

休もうかそろそろのんびり温泉でスマホを握りしめ寝る妻よ

「常に忙しくしている妻」を表現するために「そろそろ」という言葉を選んだわけですが、「のんびり」と「温泉」がかぶってるのが気になります。

あと、「休もうか」というのはこの歌そのものの趣旨を表すので、それを書いちゃうのは野暮ったい。

そこで、寝ている妻へ(聞いてるはずもないのに)、「どうだろう」とぼそっと語りかけるような表現にしてみました。絵が浮かぶ感じがぐっと出てきた気がします。

こうすることで自然と「時期見てさ」という、「そろそろ」に代わりつつも語りかけているニュアンスの出る言葉が浮かんできました。「温泉なんか」の「なんか」も、口語っぽい響きになるように考えました。

前:休もうかそろそろのんびり温泉でスマホを握りしめ寝る妻よ
後:どうだろう温泉なんか時期見てさスマホを握りしめ寝る妻よ

こう見ると、情報量がぎゅっと詰まって情景力も上がってるように思います。

それで言うと、なかなかいい言葉が出てこず、微妙に納得行かないまま公開しちゃった歌があります。

母を想う一首

母

これ、「こういう時にも」が気に入らなかったんですよね。わざわざ言わなくても伝わるので。

他は決まってたんですが、この7音だけが最後までどうしても思いつかず、とりあえず出しちゃいました。

そんな思いを見透かすように、短歌の先輩、まほぴさんにこんな指摘を受けました。

姉さんさすがです。

あと追加でこんなアイデアも。

なるほど。なぜだかは説明できないんですが、「母の手をつなぐJK」より「母と手をつなぐJK」のほうがしっくりくる。何これ不思議。

ずーっとこの歌が引っかかってたので、今回、書き直してみました。

母を想う一首:改作

母改作

前:母と手をつなぐJK睦まじくこういう時にもあなたを偲ぶ
後:母と手をつなぐJK睦まじくひとり渋谷であなたを偲ぶ

うん。よくなった、気がする。「母と手をつなぐJK」というイメージのギャップが「渋谷」という言葉でさらに強まったし、「人通りの多い象徴」である「渋谷」があることで、母をなくした孤独さが強調されてもいる。

上の句の明るい感じと、下の句の寂しい感じが対比され、全体的にぐっと引き締まった感じがします。

あ、ちなみに実際はそんなに孤独じゃないです汗。妻もいるし。

短歌と記事タイトルの共通点

前々から「記事タイトルは、相手の脳裏に一枚絵を描けるかが勝負」と語ってきました。

短歌ってその最たるもの。音節も文字数も決まっているという制限の中で、相手の脳裏に一枚絵を描かなきゃ面白くならないので、タイトルワークのいい訓練になります。

なので、タイトルに悩んでる人は絶対やったほうがいいですよ、短歌。めちゃめちゃ言葉に敏感になるし。オヌヌメです。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

サポート特典としてテスト的に、これまで3万件以上のタイトルをつけた僕が記事のタイトル協力します。気軽にご相談ください。